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なかなか片付かない父母の遺品を整理していると本棚一ぱいの母が投句していた俳句誌「俳句研究」が目に留まった。
週明けは紙類のゴミ収集日なので、まとめて出そうかと整理を始めた。
父母は晩年の日々を共に季節の情景を俳句に詠むことで過ごした。
私も俳句吟行を兼ねた二人の散歩に何度か寄り添った。
句作に老いて行く日々を生きてゆくことの糧(生き甲斐)を見い出していた二人の心情を思うと、このままゴミとして出してしまうのも偲びない。
二人を見送り生き残った私に、せめてできることは、父母の残した句作に形を与えてあげることかもしれない?
投句雑誌で選者から評価された入選作だけでも、せめて。
第一回は、母の詠んだ郷土の名峰、石鎚山の句を。
「真向に石鎚の聳えつ稲架襖」 俳句研究2002年12月号、大石悦子選、秀逸。
「石鎚へ靴紐締むる朝曇り」 俳句研究2002年10月号、大石悦子選、」佳作。
二句目は私が朝家を出て石鎚へ向かう様子を詠んだもの。
ちょっと胸が熱くなってくる⋯
今週は秋雨前線停滞で天候不順の日々。
近場の重信川の遊歩道散歩で過ごしました。
空模様を見て、夕焼けや虹を期待するのですが、外れてばかり(笑)
川面が金色に輝く様子や雨上がりの秋の野草についた水滴の透明感とか、
目に留まった素材で結構遊ばせてもらいました。
経つんですね。
ー真向に石鎚の聳えつ稲架襖ー稲のはさかけの
事を、”はざぶすま”と読むんですね。俳句の季語 になると”なさふすま”と読むと知りました。
真向に石鎚の聳えつと詠むと情景がまざまざと立ち上がります。
「俳句研究」は1934年 創刊。 その後何回か休刊と復刊を繰り返し、 2011年 8月が最終発行となっています。
お母さまが亡くなって1年足らずで終刊になってました。
選者の大石悦子氏は郷土の俳人石田波郷が主宰する「鶴」が最初の俳句結社でした。
何か因縁めいたものを感じます。
ランスケダイアリーの「山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。」
原点回帰みたいな今回の投稿優しくて好きです。
まさかホッホさんが、こんなに俳句に詳しいとは思わなかった(笑)
大石悦子先生と父母は生前交流があったようです。
私は母が亡くなった時に先生からお悔やみの電話をいただきお話しただけでした。
生前、父母から私も俳句をつくるよう何度も薦められましたが、どうも五七五の世界はダメでした。
定型に囚われない現代詩は好きで何冊か詩集も持っているのですが、石田波郷は自由律俳句でしたね。
詩歌自体は好きなので、今からでも遅くないかもしれませんね?
ホッホさんや鬼城さんの薦めるように、こういう日記形式の写真ブログなら、脳と身体に障害のある今の私には合っているようです。
今日は色んなことを一遍にやり過ぎて頭がボッとしています。
さっきからキーボードを打つ手が変です。
まぁ無理しない程度に身体と相談しながら生きてゆきます。
和歌、俳句など自分は経験が無い世界です。
しかし、博物館勤務の時に「渋柿」同人の方々とは、ご一緒し勉強させて頂きました。子規門下の東洋城の主催した結社です。
お母さんの二つの句、語句一つ一つ取っても感動の圧縮!優しさがあふれています。
ランスケさん、まだ若い、しかし無理は行けません。ゆっくり、焦らず過ごして下さい。
野や山に秋は来ています。
南予方面にはヒガンバナが咲き始めました。
季節便り、楽しみにしています。
残暑が和らいで過ごしやすいと云えばその通りなのですが、写真撮影には、やっぱり光がほしい(笑)
そうですか、南予では早くも彼岸花が咲き始めましたか。
重信川土手周辺ではまだ秋彼岸の花は見られません。
窓外の曇天の空に雲間を裂いて光が射し始めました。
今日は、少し遠出して久谷周辺の里山散歩を楽しみましょうか?
毎日ニュースの政局争いを見ていると、うんざりします。
この国には毎日10人単位で死者が増え続けている危機的状況を本気で解消しようという覚悟を持った政治家は一人もいないのでしょうか?