震災後の復興プロジェクトとして、受け入れ先を失くして途方に暮れていた瓦礫処理の
画期的な立案として注目を集めたのが「森の長城プロジェクト」だった。
津波の被害を受けた海岸線に瓦礫による盛り土を築き、そこにその土地本来の植生の森を
(瓦礫の利用は、幼木の根が酸素吸入をするための土壌の空間密度と根を絡ませるために有効らしい)
再生させようという壮大なプロジェクトだ。
東北地方の太平洋沿岸を占める潜在自然植生はシイ・タブ・カシ類の常緑広葉樹林だ。
白砂青松で知られる防風林としての黒松の効用と日本の海岸線を代表する景観としての植生は幻想だ。
(人の手によって造られた二次林としての景観)
あの震災のシンボル、奇跡の一本松にしても、海岸線を覆っていた黒松林は、
津波のために、ことごとく壊滅し、流木となって住宅地に押し寄せてきた。
それに引き替え、地に根を深く張る(深根性、直根性)シイ・タブ・カシの森は、見事に持ち応え、
隣接する住宅の被害を最小限に留めたという。
それは阪神大震災や関東大震災における地震や火災の延焼にも、
その防災林としての効果が証明されたようだ。
(タブノキ一本、消防車一台と例えられる)
その土地本来の植生(植物が適正とした場所)が育んだ森は、自然更生を繰り返し
百年千年と、その土地の唯一の生産者として、人を含めすべての消費者としての生き物を支えてゆく。
そのプロジェクトの立案者であり世界中に4000万本以上の木を植えた植物生態学者、宮脇昭が、この本の著者だ。
まず驚かされるのが、科学者としての実証研究よりも企業や自治体、中央官庁を動かす実務家としての手腕だ。
元はといえば自分自身の理論を実証するための科学者のエゴだろうが…(笑)
土地本来の植生を再生し防災に強い森を造り上げるためには、膨大な資金と人と手間を要する。
それを利潤優先の経営者や先例がないと動かない官僚を相手に、よくもこれだけと呆れるばかり…
まぁ、そういう意味では、この本は科学者、宮脇昭のプロジェクトXであり、手柄話の羅列(笑)
さて話を戻して、日本における土地本来の植生といえる潜在自然植生林域を見ると、
関東以西では海岸から海抜800m付近までをシイ・タブ・カシ類の照葉樹林(常緑広葉樹林)が占め、
800から1600m付近をブナ・ミズナラ林の落葉(夏緑)広葉樹林が占め、
それ以上の亜高山帯(1600から2600m)をシラビソ・トウヒ・コメツガなどの亜高山性針葉樹林が占める。
(森林限界を越えた高山ハイデ・風衝草原・低木群落は省略)
だが、第二次大戦後の戦後復興のために杉、檜の建築用材が国策として広く植栽され、宅地開発で山は崩され、
日本の森林面積における潜在自然植生林の占める割合は、危機的状況だ。
里山の象徴であるクヌギ・コナラ・エゴノキ・ヤマザクラなどの落葉広葉樹が形成する雑木林も、
木炭や肥料を得るための伐採萌芽再生林と呼ばれる二次林だ。
この照葉樹林を偏重する宮脇潜在自然植生論には異論も多い。
縄文期における日本では照葉樹林が優勢な西日本よりも、
ブナ・ミズナラの落葉広葉樹林が優勢な東日本の方が、人口も多く文化も高かったという。
昼なお暗い照葉樹林は茸や山菜などの多くの食材を育まず、それに依存する沢山の生き物を支えることができない。
私も、ずっと縄文森林文化論に傾いていたが、ちょっと軌道修正。
宮脇理論の根幹を成すのが、日本各地に島嶼のように残された「鎮守の森」だ。
この森こそ典型的な多層群落、潜在自然植生の貴重な宝庫だという。
そうあのトトロの森だ。
「一神教のキリスト教やイスラム教は、自然を征服する対象とみなし、たった2000年で地球環境を破壊し尽くした。
その一方で、日本土着の宗教は、鎮守の森を聖なる場所として長年にわたって守り伝えてきた。
日本の神道や6世紀に中国大陸を通じて日本に入ってきた仏教には、自然との共存思想があった」
「鎮守の森」は「ツナミ」などと同様に世界共通の学術用語としての地位を獲得しているらしい。
蛇足だが、宮脇昭が初めて手掛けたプロジェクトが、1970年代末の愛媛県、野村ダム建設によって生じた
切土盛土斜面につくった「ふるさとの森」だったという。
スダジイ・タブノキ・カシ類、ヤマモモ・ホルトノキなどによる本物の森が広がっていると記している。
さて、また近郊の鎮守の森へ足を向けなければ…
森の力 植物生態学者の理論と実践 (講談社現代新書) | |
宮脇 昭 | |
講談社 |
http://blog.tatsuru.com/2013/05/23_1617.php
「日本の文脈、アメリカの文脈」
まさに私の読み通りでした(汗)
否、それ以上に過激で痛烈な内容です。
あぁーあ、情けない…