呆気なく梅雨が明けた。
青く眩しい空が朝から広がり、その空の高みへとぐんぐん延びてゆく入道雲。
ジリジリ陽射しは照りつけ、じっとしていても汗が滴り落ちる。
そしてうだるような季節の到来を告げる、蝉の声が聴こえ始めた。
私は夏が好きだ。
開け放たれた窓から、心焦がれる夏の気配が押し寄せてくる。
朝から、そわそわ落ち着きがなく、
捕虫網片手に飛び出して行った、あの夏の日へと還ってゆく。
草の海がざわざわ波打つ青田を渡る風、夏草の茂る河辺の水の匂い、濃い夏の闇を孕む裏山の森。
ひとつひとつ記憶の欠片を、掌に転がし慈しむように
美しい夏の風景を、懐かしいあの日を瞼の裏にリピートしながら近郊の郷を点描してみた。
そんな中で今は少なくなりつつある昆虫を・・・
何時も不思議に思います。羽のある気ままな昆虫をどうして切り取ることができるのでしょう?
ちなみに私は産んでしか無い。(笑い)
待つことができないんです。
すがすがしく、仕事に向かいます。
農地法の改正以降、どんどん近郊の田圃が消えて宅地に変わっています。
子供の頃は、周囲に田圃が広がっていたので窓を開け放てば、真夏でも充分に涼しい風が吹き抜けていました。
エアコンなんて、まったく不要でした。
便利になるということはイコール快適だとは云えないですね。
温度湿度調整されたクリーンな部屋が、人の身体にとって良いことなのか?疑問です。
外界の環境変化によって生き物は、生存のための適応を続けてきた筈。
これでは便利になるということは、人は滅菌室のような密閉された空間に籠り、外の世界は生き物が住めないような過酷な環境に変えてゆくことと同義になりそう。
この懐かしい里山風景は、いつも石鎚へ行く道の途中にあります。
いつか、この風景をじっくり撮ってみたいと思いながら、通過するばかり(笑)
やっと今夏、意を決して撮影開始です。
一年を通して通ってみたい場所です。
ディランに、よく例えられた岡林信康でしたが、今は何をやっているのでしょうか?
メディアへの露出が少ないと、それだけで忘れらた人というレッテルが貼られる底の浅い音楽業界です。
そういえば先日、長谷川きよしの音楽活動が新聞で紹介されていました。
京都に家族と暮らし、全国の小さなライブハウスを回って、ずっと歌い続けている様子。
また、あの伸びやかな声を聴きたくなりました。