梅雨明け以来、身体に堪える炎暑の夏が続く~
私は日本中を震撼とさせた2011年の福島第一原発事故(被災した現地を自分の足で訪ねて)以来~
消費電力の一番高いエアコンを使わない夏をずっと過ごしている~
それにしても何故、こんなに暑いのだろう~?
年を取ると昔のことばかり思い出すので、
私が生まれ育った1960年代から1970年代の日本の夏を思い返してみた~
私が生まれた愛媛県松山市は県庁所在地でしたが、
官庁街や繫華街のある中心部以外、
市内電車の走る環状線から外は一面の水田の広がる田園地帯だった~
市内を重信川と石手川と云う一級河川とその支流が流れていた~
だから夏の暑さは地表に留まることなく空気中に放出され、
それに水田や河川からの水蒸気が天然の空調装置として循環していた~
その証拠に1970年の松山市の気象台のデータを調べてみると、
7月の最高気温が30.9℃、8月が32.3℃、
平均温度は7月が27℃、8月が29℃なのです~
それに最低気温が22℃と23℃ですから熱帯夜もありません~
だから、それなりに快適に夏を過ごしていたのです~
あの頃の子供は野遊びや川遊びが当たり前の野生児ばかりでしたから~
私が記憶する夏の原風景は~
一面の青田をざわざわざわ渡る天然の涼風吹く風渡りの風景~
東北自転車旅では、まさにその風景(最後の画像)を目の当たりにして実感しました~♪♪♪
グローバル資本主義の猛威にさらされたこの30年間で日本は、
安い外国産の農産物を輸入して自国の農産物生産を減反減反で
日本の食料自給率を支える第一次産業に壊滅的打撃を与えました~
その結果が
気候変動と連動して日本の夏の暮らしを支えた田園風景の消失です~
この毎年続く人体に危険な猛暑の夏は、
一番大事な
日本の気候風土が培った豊かな山河とそれに依存する人の暮らしを忘れた
私たちに対する土地の神様からの
手痛いシッペ返し(天罰)なのでしょうね~??
今月末の夏越しの祭りの茅輪潜りで、
土地の神様の怒りを鎮めましょう~合掌~♪♪♪
自分お命を護るのが精一杯です。
ニュースを見ると地図は真っ赤!
経済成長の代わりは大きすぎる大小ですね。
世界も同様!
経済大国が変化しない限りこの条件緩和は無理でしょう。
個人個人が自覚し、乗り切るしかないのが腹立たしいことです。
台風接近で降雨が予想される今日明日は、
この暑さも一息つけそうですね~
鬼城さんのように自由に涼しい場所に移動できなくなった私は、
昨日も家事の途中で意識が朦朧として
身の危険を感じたので、水シャワーで身体を冷やし
日影に横たわり、うたた寝しました~
連日の熱帯夜と就寝前のアトピー性皮膚炎による
全身の痒みに、なかなか眠りが訪れません~
暑さと免疫機能の異常反応であるアレルギー性皮膚炎による二重苦です~
これも脳出血を発症後、
身体に起きた異常反応なので、
神経細胞の損傷による脳の機能障害が、
何らかの形で影響しているのでしょうね~?
私は子供の頃から、
目の前で起きた理解できない出来事(不思議)に
対して「、何故」と問い掛け答えを探す子供でした~自我に目覚めた頃からは、ひたすら本の世界に
分け入って先人たちの築き上げた深遠な智恵の
世界に目を見張り読み耽りました~
今回も身の危険を感じるこの異常な暑さにも~
何故~と感じ答えを探しました~
目の前に迫る命の危機に対して、
それから危機回避するのが、
地球上に生きる生物の本能的な行動だからです~
鬼城さんは、どんな危機が迫っても
それを自分たちの問題として考えないのですね??
気候変動会議で3年連続化石賞を受賞する
今の日本現状を唯、受け入れるのですか?
NHKオンデマインドで最新の考古学資料から
氷河期以降の本列島の歴史を振り返っても、
ユーラシア大陸の極東に生きる私たちの先祖たちは
度重なる民族消滅の危機から、
列島に渡って来たい民族の生存術を学び
環境の変化から生き残ってきたのです~
何もかにも失い焦土と化した敗戦後日本の
親たち世代も民族復興の危機回避行動しました~
そして30年前までの日本の大人たちは
政府が不祥事を起こすと容赦なく民主主義国家の
当然の国民の権利、政権交代させていたのです~
今の日本の大人たちは、
日本列島の歴史上、本能的な危機回避行動
できない最低最悪の大人たちなのです~
恥を知りましょう~