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暑さ寒さも彼岸まで…
今年は珍しく時候の慣用句が、ピタリはまった。
20日を境に、みるみる季節は秋の装いを色濃く纏い始める。
今回は近郊の里山と高原の秋を一緒に。
この夏から通い始めた放置されたことで、本来の自然の姿を取り戻した場所。
でも、このまま人の手が入らないまま繁茂する植物の勢いに任せていると、桔梗(キキョウ)や女郎花(オミナエシ)は消えてゆくでしょうね。
微妙なバランスで保たれているということでは、本来の自然とは云えないかもしれませんが…
標高100mに満たないこの場所には、藤袴(フジバカマ)を除いて秋の七草が咲きそろい(撫子(ナデシコ)は開花が早いので時期がズレます)
植物の媒介者である昆虫相も豊かで、生命の循環が顕著に観察される場所と云えそうです。
釣鐘人参(ツリガネニンジン)が茅場一面に咲く姿に、この花が本来は里の花だということを教えられました。
精霊飛蝗(ショウリョウバッタ)のメカニックな機能美に魅せられ、
絡新婦(ジョロウグモ)に絡め取られたツクツクボウシ(漢字名不明)の姿に夏の終わりを実感します。
どこまでも高い秋の空を実感したければ、空の広い高原に限る。
地続きの四国カルストでも、比較的観光化の波を免れた大川嶺の秋は静か。
「世界の天井が抜けたよう…」と美ヶ原の展望を表現した尾崎喜八のように、高原の空は高い。
≫登りついて不意にひらけた眼前の風景に、しばらくは世界の天井が抜けたかと思ふ。
やがて一歩を踏みこんで岩にまたがりながら、此の高さにおける此の広がりの把握に尚もくるしむ。
無制限な、おほどかな、荒っぽくて、新鮮なこの風景の情緒は
ただ身に沁みるやうに本源的で、尋常の尺度にはまるで桁が外れてゐる。
秋が雲の砲煙をどんどん上げて、空は青と白との眼もさめるだんだら。
物見石の準平原から和田峠の方へ
一羽の鷲が流れ矢のやうに落ちて行った。
尾崎喜八「高原詩抄」より。≪
咲き乱れる竜胆(リンドウ)の鮮やかな青紫に、この花が好きだった亡き母を思い出す。
近頃は花屋の店先にて園芸用の竜胆や吾亦紅(ワレモコウ)が切り花として売られているので、
仏前に供える季節の花には事欠かない。
それでも女学校時代の思い出として何度も語ってくれた篠山ハイキングの折にみた竜胆の美しさは、
母にとって生涯忘れられない宝物のような記憶だったのだろう。
巡りくる秋、午後の陽光に浮き立つ竜胆の輝きを目にする度に、きっと私自身の胸中にも母の言葉が鮮やかに甦る。
そして曙草(アケボノソウ)に千振(センブリ)の楚々とした白にも目を惹かれます。
9月25日、念願の無言館へ行き、尾田龍馬の絵を見ました。戦争がなければ優秀な画家が多く誕生したと思い、平和の尊さと我郷里を守らねばと感じました。龍馬の出征前の写真を見ると同じ血筋だなと思いました。とてもいい経験でした。皆様、本当にありがとうございます。この場をお借りして感謝いたします。ところで、長野市松代(無言館のある上田の近く)は真田家ですが最後の藩主は宇和島伊達宗城公の長男なんですね。私の真の友人の伊予小松当代の一柳氏は曽祖父が宇和島九代目の宗徳公ですのでここでも不思議な縁を感じました。一連の先祖の旅もようやく終わります。本当にお世話になりました。特に宇和島市伊達博物館の方にはご尽力いただき感謝しています。また先祖の地に行きますのでよろしくおねがいいたします。尾田
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この尾田さんからの礼状は鬼城さん経由で転送されました。
当ブログがお役に立ったようで、とても嬉しいです。
こんな関係性なら、どんどん広がってほしいのですね。