今年の桜は、開花から満開の花見頃を悠長に眺めていると、
あれよ~あれよ~と云う間に、はら~はら~散る桜(花)も早かった。
この儚さが、私たちの暮らす日本列島の自然風土に通底する死生観(もののあわれ)と身体感覚として同調してしまうのでしょうね。
はらはら~と散る花片の春風に乗って、最期の桜を何処で観ようか?
もしかしたら、光を失ってしまうかもしれない?
68歳~残された時間も限られている。
そんな想いで選択したのが、生れ育った場所(生誕地)に還る~
長い旅路の果てに生まれ故郷に還るサケやウミガメにも通じる帰巣本能に導かれたような、生物として根源的な選択肢に素直に従った。
私が生まれ育ったのは、護国神社に隣接する御幸寺山の麓。
幼少期の遊び場は、護国神社境内と御幸寺山だった。
生家を訪ねるのは50数年ぶりだろう?
なんと外観は、ほとんど変わっていない。
築70年以上経っているはずである?
二階家の外観が、そのまま残っていることの僥倖に驚いた。
まだ若くて綺麗だった母(小学校の授業参観で級友から、「お母さん綺麗ね。」と称賛を受けるのが得意だった)
が庭先で季節の花を丹精に育てていた光景が目に浮かぶようだ。
そうだ。お隣は、いつもイーゼルにキャンバスを載せて絵を描いていた絵描きの女性だった。
近所にアーチ状のバラの生垣のある老夫婦が住んでいて、いつもバラの切り花を頂いていたのを思い出す。
以下の護国神社の前を流れる川には、昔、蛍が飛んでいたのだ。
川辺は田圃で、夏には青田を揺らす涼風が吹き抜けていた。
まだ気候変動とは無縁の、美しい四季に彩られた日本の自然風土と私たちの穏やかな暮らしがありました。
以下の教会は、当時通っていた聖母幼稚園のチャペル。建て替えられたようで当時と印象が違う。
壮麗なステンドグラスの美しさを、今も思い出す。
通っていた小学校は、道後小学校。今は、もうない。
道後温泉本館の裏山。今のニキタツ会館の建つ場所に旧道後小学校があった。
裏山の伊佐爾波神社の敷地から、道後小学校跡地の運動場と桜並木が見渡せたのは、嬉しかった。
懐かしい思い出の数々が、走馬灯のように見下ろす桜風景の中で巡るようだ((笑)
小学三年生の初恋のあの娘から、大事そうに薄い千代紙に包まれた瑠璃色の綺麗な昆虫(ルリボシカミキリ)を手渡された
胸に灯る暖かで切ない想い。
あれが、きっと昆虫少年へと足を踏み出した少年の日の原風景だったのでしょう。
ヘルマン・ヘッセや福岡伸一先生とは違う少年の日の、私の大事な宝物。
4/7、歩行距離、10.3km(日赤病院まで市内路面電車利用)
ブログ記事を掲載してから、内田樹のブログを見ると、
私が脳出血発症以来、堂々巡りの去来する祈りの風景と死者たちとの交流を、
そのまま書き写した文章と出会いました。
村上春樹の著作に、ずっと惹かれて読み続けて来たことも含め、
コロナ禍の生命の危機を経験した私たちが知っておくべき、人類史に通底する傷つき癒されない魂の救済と鎮魂の方法論だと思うし、
それは神話伝承として長く、それぞれの民族に継承されてきたことだと思う。
先日、ある新聞から映画『ドライブ・マイ・カー』についてインタビューをされたときに、この映画の主題も「傷つくべきときに十分に傷つかない人間が引き受けることを
拒絶した負の感情は悪霊になる」ということだったという話をした。
記事は短いものなので、それだけでは説明が足りないと思うので、ここに講演中の関連部分を再録しておく。
内田樹は、相変わらず時代の閉塞感を読み解く直観力の鋭さに「うなってしまう。
誰しもがたどる路ですが、正常なら気がつかないことが多い。
自分の屋立場によって思いが変わってくると言うこと。
いつも感心するのは、いかなる場合でも読書を欠かさないこと。
映像だけで無く、文字を追う、この素晴らしい感性に驚かされます。
季節は知らない間に移っていく。
今生きていることの実感を愉しみましょう。
私が大学入学し所は御幸山の麓におられたんですね。
どこかですれ違っていたかも・・・(笑い)
生家の裏に御幸寺山への登山口がありました。
山頂近くの岩場でロープにぶら下がってクライミングの練習をするお兄さんたち(たぶん愛大か松大の山岳部の学生たち)と遊んでもらった記憶があります。
年齢的に、その中に鬼城さんやkyoちゃんがいたとしても不思議ではありません((笑)
日赤病院から護国神社までの参道周辺は、松山市内の文京地区。
松山市内中心部(官庁街や繁華街)を過ぎて、城山へのロープウェイ街を抜けて東雲町の坂を下る学生街を辿る道を歩きました。
城下町の散歩道は、長閑で情緒があって、いいですね。
護国神社から道後温泉への道でも、そう感じました。
良い環境で生れ育ったものだと、実感しています。
桜も終わって、さて、どうした、ものか?
私の病気は改めて、脳の機能障害なのだと実感する(毎日の暮らしの中の家事が遅々として進まない)
今日この頃です。
できないことを悲観して、あれこれ悩まないで、
今は、できることを、一つ一つ積み重ねてゆくことが、生きてゆくということなのだと考えるようにしています。
遅々と歩みが鈍くても、一歩一歩できること、と誠実に向き合う毎日が、今の私にできること。