4/15日は、近郊では信仰のある目の神様、「生き目神社」の春の例大祭。
脳出血の入院療養から退院一年が経過しても、回復の見通しの経たない、脳の機能障害である視覚視野障害。
最近は、突然の視野の暗転に見舞われ、このまま光を失ってしまう恐怖感が募る⋯⋯????。。。
眼病治癒。。。失明回避。。。手を合わせ、首を垂れ、柏手を打ち、何度も祈った。。。
ただ光を失いたくなくて⋯
掲載した画像は、この一週間近く眼病治癒祈願のために通った生き目神社(八ツ塚のお地蔵様にも)周辺の祈りの風景です。
春の例大祭は、天候不順とお祭りの人混みによる感染症回避のため諦めました。
生き目神社周辺は、四国88カ所の札所が続く遍路道なので、
春の訪れを待ったかのように巡礼の旅を始めるお遍路さんにも何人か出会いました。
コロナ禍の生命の危機を乗り越えた春に再び祈りの旅を始めるお遍路さんに、
発心の動機を聞いてみたい誘惑にかられます((笑)
私自身が11年前に四国一周の歩き遍路旅を経験しているので、お遍路さんに声をかけ易い立場にあります。
桜の咲く四月、お遍路旅を始める巡礼者を「花遍路」と呼称します。
歳時記の美しい四季の日本語表現です。
そして私の生まれ育った、この島(四国)は、心に癒されない痛切な想いを抱える人の祈りの島、巡礼の島なのです。
毎日、祈りながら心を解き放ち歩き続けることは、脳と身体に良い。
(脳の機能障害である私の病気療養とメンタルケアのためにも霊場巡りの写真散歩は、可能な限り継続したい)
以下、宗教家、釈宗徹の言葉です。
あなどれない“歩く”
“歩く”という行為は、なかなかあなどれません。坐禅のプログラムにも「経行(きんひん)」がありますし、ひたすら歩く「回峰行」、不眠不休で念仏しながら行う「常行三昧」、
そして「巡礼」「お遍路」など、歩くことと宗教的実践とが直結しています。
四威儀禅というのがあります。行住坐臥の四威儀で実践する禅で、それぞれ行禅・住禅・坐禅・臥禅となります。そのうちの行禅は、まさに歩く禅であり、歩く瞑想です。
呼吸や歩行は、自律神経の働きと密接だそうです。自律神経は、古い脳(様々な動物に共通の脳の部分)である大脳辺縁系と関与しています。
生きるために必要な能力と結びついている部分です。
これに対して、大脳辺縁系を覆っている大脳皮質は、複雑な生物である人間として知覚や思考などの高次機能を司っています。
大脳皮質の中でも一番新しく形成された部分を大脳新皮質と言います。
古い脳である大脳辺縁系は、食べたい、寝たい、泣きたい、怒りたい、などの指令がでます。でも、それじゃ社会や他者に受け入れてもらえないとか、そんなことしたら結局は損だかとか、
自意識やプラドとか、そういう判断や思考を大脳新皮質は行ないます。
ということは、そこにはズレがあるということです。そして、この齟齬をうまくバランスとってくれるのが「歩く」ことらしいのです。
(大島清『脳は「歩いて」鍛えなさい』新講社)。
れいわ新選組代表の山本太郎衆院議員は15日、衆院議長宛に議員辞職願を提出した。同日午後、記者会見を開き、今夏の参院選に出馬する意向を表明した。選挙区から立候補するとした。
「政治の暴走を食い止めたい」「それじゃもう間に合わない」山本太郎氏の会見詳報
頑張れ、山本太郎。
あなたの弱者の声を掬い上げることを第一に考える政治姿勢とその活動はyoutubeを通じて、ずっと見てきたし応援しています。
「自身を含めトルストイの多くの子孫が、「私たち一族は、罪のない国を侵略するという現在の恐ろしい行為に反対します」と記した書簡に署名し、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領宛てに送ったことを明かした。」 #NewsPicks
大学時代の基本トレーニングは走ることでした。
走っていれば忘れることが出来る。
頭を空っぽにする。
ランスケさんが言われるとおり、ひたすら歩くこと!
それも目的を持った歩き・・・
それが祈りの遍路の姿だと思います。
結願すれば思い出となる。
年を取ると祈りを捧げるという言葉が身にしみます。
生きていること、四季を通じて自然に感謝!
無理をしないように・・・
樹齢500年のひょたん桜から300年の枝垂れ桜。そして花桃の郷と、
まさに、うららかな微睡む春の夢のような桃源郷の風景ですね
病気が快癒して、健康が戻ったら、また訪れたい場所です。
私の病気は、主治医にリハビリ経過期間が過ぎたことを理由に再診療を断られたので、
私自身の免疫力獲得と自然治癒のための自助努力を毎日積み重ねてゆくことにしました。
食事療法と自律神経を整えるための規則正しい体内時計に添った暮らしを信条とした
健やかな身体と心を取り戻すための68歳の発心です(笑)