Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

霜の降りた朝

2017-12-07 | Walk on

 

この冬一番の冷え込みという予報が出た朝、珍しく早朝散歩に出掛けた。

それも夜明け前の暗い内から、出発しての移動である。

目的は二つあった。

その朝の最低気温2℃なら山沿いの里は0℃くらいまで下がる。

真っ白な霜化粧を期待した。

もう一つは満月二日後の沈む月を水に映す凍月の水鏡。

こちらは、やはり一日遅かった…太陽と違って月は、一日違うと月没の時間がずいぶん遅れる。

日の出前の月の位置が高過ぎて、綺麗な月景写真とならない。

月を大きく取り込んだ望遠系レンズによる水鏡は次回に持ち越しだ。

メタセコイアの名残の紅葉と満月を絡める絶好の機会となると来年まで待たなければならない。

旬の風景と出会うのは、やっぱり難しい…

場所を移動して、さらに山間部へと入ってゆく。

途中の野辺にも、所々、薄っすら霜の気配のような痕跡がある。

山際の日蔭に、なんとか霜の縁取りに彩られた草地を発見。

昇り始めた太陽の光と競争するように撮影。

こちらも真っ白な霜化粧とは、ほど遠く、更なる冷え込みを待つしかない。

 

帰路は晩秋から冬枯れの里山風景に、神様たちを祀る聖地巡礼。

宗教が本来持っていた人々を規範する倫理観や道徳観が失効してしまった時代だから、

嘘と分かっていても自分たちの信じたいもの縋る「ポスト真実」が社会の趨勢となってしまった。

ドナルド・トランプと安倍晋三という病的な虚言癖の持ち主が最高権力者にいる暗愚の時代。

倫理観の失効してしまった時代だからこそ、もう一度原点まで遡ってみる必要性がある。

宗教以前のプリミティヴな信仰の形、メタ宗教としての霊性まで遡ってみる…

今はまだ、場の力、その土地に宿る森羅万象の神々を手探りで。

 


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2 コメント

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風景写真 (鬼城)
2017-12-08 08:51:43
ランスケさんが特別なのか、風景を撮られる方々は皆同じなのか、自然条件の細やかな日時設定が必要なんですね。
凍り付く朝の霜・・・
神々が宿る里の風景、空行く雲、動きと霊域の感じがします。
日本の国は何処へ向かうのか?教育も自分が考えている方向でない方に行っている。
今日はまた雨、気晴らしに宇和島に久しぶりに来た白鳥でも見に行こうか?
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歳時記と共に生きる暮らし (ランスケ)
2017-12-08 10:07:14
風景写真を撮るということは、自然のサイクルと共に生きるということだと思います。
定点観察のように自分のフィールドとする場所に通って撮影していると、
微妙な環境の変化や自然の醸し出す機微の美しさに敏感になって来ます。

以前にも書いたように日本列島に生きる暮らしの知恵である歳時記に添った生活は、
とても自然で気持ちいいですよ(笑)
ちょうど年末のカレンダーの季節ですから、
旧暦(陰暦)カレンダーや歳時記カレンダーを購入して、日々の暮らしの目安とするのも良いですね。
私は、それプラス月の満ち欠け(月齢)カレンダーを愛用しています。

ポスト近代(モダン)と云われるように急速な発展を遂げた近代という時代が、
あらゆる意味で制度(システム)疲弊してきた時期なのでしょうね。
私たちの身体と一緒です。
加齢による経年劣化で、あらゆるところが不調を訴えています。

そんな時は原点に還ることです。
民俗学、文化人類学、宗教思想史…人類が築いてきた叡智の集積があります。
今年の世界的ベストセラー「サピエンス全史」なんが、その好例だと思います。
今は釈徹宗(宗教思想史が専門)の大学での講義をまとめた「現代霊性論」が面白いですね。
スピリチュアルの訳語である「霊性」は、人間に必要な祈りや癒しの原点なのだと思います。
追々、ブログ写真と絡めて紹介したいと思います。
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