Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

夜の川を渡る光

2018-06-03 | 生き物

蛍の撮影はロケーションだと思う。

どんなに数多く飛んでいても(最近は多重露光が当たり前なので)その景観が美しくないと面白くない。

この葦の生い茂るクリークは、一目見て気に入った。

ここに夜の川を渡る蛍の幽玄の光を映したかった。

昨年、地元の人に蛍が一番見られるのは5月下旬と聞いていた。

でも今年は満月に向かう月明かりで蛍は飛ばない。

それと夜になって気温の低下もあった。

一週間待って、土曜日は月の出が午後10時過ぎ。

気温も高めで蛍発生の条件が揃った。

確かに蛍は飛んだが、その発生数が少なかった。

なんだか年々、減少しているように思える。

今年は夜のクリークを渡る控えめな蛍の光跡を…

夜の底から舞い上がる幽玄の光は、何度見ても魂を吸い寄せられるようだ。

 


コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青葉梟がやって来た | トップ | 青葉梟観察記 / 日曜日の公園で »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
螢の季節 (鬼城)
2018-06-04 07:15:56
探し求めて(笑い)
螢まつりをしているような所は懐中電灯・・・
新しい場所は、中々見つかりません。
螢の撮影や花火の撮影は難しく、勉強中です。
多重露出などは「ちんぷんかんぷん」(汗
ネットとマニュアルで重ね合わすことだと分かったのは最近のことです。
技術の進化、自然の後退、良いことか悪いことか。
それでも螢が飛び交う自然に戻して欲しい。
コメント、行を変えるのをついつい・・・m(_ _)m
返信する
深い群青の青の世界 (ランスケ)
2018-06-04 19:06:41
以前、NHKで放送された島のヒメボタルも多重露光の何度もシャッターを切って、
その画像を重ねる(合成する)ことで目も眩むような光の乱舞を創り上げています。
まぁ、それも表現方法ではあるのですが…?
実際に行ってみると、ぜんぜん違っていたと云う事になります(笑)
でも、今や蛍写真は多重露光が常識になってしまいました。

私のカメラに多重露光の機能が付いていないこともありますが、
深い群青の青に染まる川辺を、儚い幽玄の光が渡る姿を絵画的な手法で写し撮りたいと願っています。
それは一条の光跡でもいい…
もののあわれ…を表現するなら、そんなに沢山の光は必要ありません。
必要なのはロケーションのいい場所と深い群青の青の世界です。

今回は蛍が近くに寄らなかったので光が弱いですね。
もっと鮮明な光跡を映せれば成功です。
来週、もう一度チャンスがあるでしょうか?
返信する
青の世界 (misa)
2018-06-05 02:00:23
初夏から梅雨の季節へ移るころ、源氏の世を思わせるようなもの悲しい光を放ちながらふわりふわり・・・

「どっさり飛びゆうと」と、私を煽る主人の声に「そうね」
有名地はそれだけ人も多い
声やlightに雑念が入ると写欲も湧かない

花火も蛍も未だにbulbで手で覆う撮影法
もう少し山を登ってから里山に降りようと思います
人工関節では歩行もままならない
返信する
近代以前の闇と繋がる (ランスケ)
2018-06-05 10:10:51
人工関節?
misaさん、そこまで足が悪くなっていたのですか?
なんだかサイボーグっぽくてカッコいいけど(笑)

ランスケ・ブルーと称していた群青の夜の色世界です。
東山魁夷や手塚雄二などの日本画の持つ岩絵の具の深みのある色表現が好きでした。
私の写真は絵画からの影響が強いというのは、そういうわけです。

TVなどで溢れる恥ずかしい「日本凄い」とは別の、
列島の気候風土が生んだ「もののあわれ」のような精神風土世界を写真表現したいと思っています。
「祈りの風景」もその延長線上にあります。

それと、この場所は私一人で、誰もいません。
聴こえてくるのはフクロウの声と河鹿(カジカ)の声くらい…
だからこそ、そんな闇の中に漂う蛍の光と向かい会っていると魂の在り処が怪しくなってしまいます。
百年前の近代以前の闇と繋がっているような…
返信する

コメントを投稿

生き物」カテゴリの最新記事