梅雨入り後の晴天の日曜日。
午前中の光で、木漏れ陽の中の青葉梟(アオバズク)を撮りたかった。
思ったほど綺麗な木漏れ陽の玉ボケが出なかった。
太陽の角度と曇りがちの空模様の影響か?
何度か通う内に、理想的な光と出会うだろう。
自然写真は、とにかく同じ場所に何度も通うことから始まる。
アオバズクのいる樹の下は、散歩の人たちの交流の場となっている。
カメラを構えていると、自然と人々が声をかけてくる。
それぞれの方々が見たアオバズク情報交換の場となる。
その御婦人も始めは、公園のアオバズクの話題から始まった。
でも御婦人の話は、そこから長い人生の物語へと変調していった。
生まれ故郷の別府から結婚して松山へ転居して20数年…
離れていった子供たちの話から御主人の話。
そして20数年暮らしても友人と呼べる人がいない。
こうして私と話し始めると、堰を切ったように止めどもなく話が溢れ出てくる。
ベンチに座り、御婦人の長いお話に耳を傾け続けていた。
やがて話が途切れがちになり、
御婦人は「ごめんなさいね」と、かぼそい声で呟き、腰を上げ去っていった。
なんだか私も、その長い人生の時間に向き合ってきて疲れていた…
腰を上げ、私も公園を後にした。
(3枚目の画像は、公園の別の樹に営巣したアオバズク。こちらの個体の方がひとまわり大きいようだ)
私のように行き当たりばったりでは・・・(汗
青葉ずく、個体が違う?皆同じに見えます。(笑い)
人生を見通すような大きな目、きちんとした佇まい、野生のものは美しい。
御婦人との会話、彼女はおそらく話したかったのでしょう。
歳をとるとなおさら話す機会が無くなります。
生きていく上には大切な生活文化ですね。
つまり人恋しさでは無いかと思います。
私は人の話を聞くのは、結構好きなのですが…
ちょっと、この人の話は長かった~
一時間くらいお付き合いしたのでは?
確かに、鬼城さん御指摘の通り、誰かに話を聞いてほしかったのだと思います。
アオバズクの話から家族の話に変わった頃合いから、
堰を切ったように話が止まらなくなってしまいました。
お話が面白ければ苦にもならないですが、
う~ん全体に話が重くて疲れました…
これも、その人の心を軽くした功徳だと思いましょう(笑)
ね。もしかしたらあのいなかった時って まだ卵を
温めてなかったのかもしれませんね。また可愛い
ヒナが出てくるのが楽しみです
何度も撮影したのでよく覚えています。
目撃されて一日いなくなった空白の一日は何だったのでしょうね?
子育てを始めて、いきなりカメラマンの洗礼に驚いたのでしょうか?
とにかく一番不躾なのは我々、写真を撮る人間の存在だと思います。
巣穴にカメラを向けるような行為やフラッシュを焚くような野蛮な行為は極力控えましょう。
暖かく見守り、雛の巣立ちを楽しみに待ちましょう。
私も何度か、近所の公園なので通ってみます。