思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

節電

2011年03月13日 | Weblog
未曾有の大災害になった。
関西地区に住んでいる私は何の被害もなかった。
何か援助できることはあるのだろうか。

節電です。
関東の電力が大幅に不足するらしく、中部電力・関西電力からも送電する必要があるとのことです。
従って不要不急の電気は極力使わない、それが援助につながるとのことです。

点けっ放しにして見ていたテレビも消しました。
コンセントを抜いてしまうのも節電になるそうです。
電気による暖房器具は極力やめる、避難所で寒さで震えている人のことを思えばどうということはありません。
電子レンジも極力使わない、代替方法はいくらでもあります。

僅かなことが被災した人たちの役に立つならば、平和ボケした私達はやらなければなりません。

平成23(2011)年東北地方太平洋沖地震

2011年03月12日 | Weblog
今回の大地震の正式名称だそうです。
私は遠く大阪近郊に住んでおりますが、大阪でも揺れました。
その時エレベーターの中に一人おりました。

「今日はエレベーター妙な揺れ方するなあ、このビルもいい加減古いからな」
と考えたりしておりました。
幸いにエレベーターは停止することなくドアが開きました。
そこで初めて大きな地震だなと気づきました。

仙台は懐かしいところです。
延べ17年間住んでおりました。
学生時代4年間、転勤で13年間、第2の故郷みたいなところです。

今回大きく被災した太平洋沿岸の町々も何度も車で通った懐かしい場所です。
仕事で、個人的にドライブ旅行で、風景も目に浮かびます。

自然の大災害の前では人間の営みは一瞬に吹き飛んでしまいます。

また新しい営みのために立ち上がって築いてゆくになります。
受け入れて立ち上がるしかありません。
自分の世代で出来なくとも次の世代に引き継いで。

今問題になっている「年金問題」

2011年03月09日 | Weblog
恥ずかしながら何が問題になっているのかよく知らないでいた。
今日テレビでその問題を取り上げていたので腰をすえてよく見た。

簡単に言えば、サラリーマンの扶養家族である奥さんは第3号被保険者といわれ、奥さんは保険料を1円も払わずに25年以上経てば自動的に保険金を受け取ることが出来るようになる。
ところが夫が途中でサラリーマンを辞めた途端に奥さんは第1号被保険者になり、別に保険料を払っていかなければならない。
しかし奥さんはそれまで保険料を払った記憶が無いので何もしないでいるとえらいことになる。
保険金を1円ももらえなくなる可能性があるのだ。

その救済策として過去2年間の保険料を払えば満額払ったと見なして保険金を支払おうという厚生省の課長通達で発表された。
真面目に25年払ってきた人と同等とみなすというわけだ。

解説を聞いていて猛烈に腹が立ってきた。
なんと言う不手際の数々。
なんと言ういい加減な決め方。
何たる不公平。
この問題は新たに法律を作り直して新規まき直しを検討しているという。
デタラメにも程がある。
老後の生活費を何と心得ているのか、数字で遊ぶんじゃない。

まさしく政権与党の資格がひとかけらも無いことがこの一事で分かる。
さっさと解散しな、と思う。

古典文学を学ぶ会

2011年03月06日 | Weblog
月に一度集まって日本古典文学の講義を受ける。
そんな会が先日ひそかに幕を閉じた。
講師の老齢化と健康上の理由みたいだ。
28年間続いたサークルだったそうだ。

定年した国文学の名誉教授が講師。
年に一度は近畿に点在する古典文学にちなむ地を日帰りバス旅行なんかもした
サークルは50名ほどの年配の女性ばかり。
男性も数名いたが、いつの間にか私ひとりになってしまった。

私の参加歴は数年。

今は古今集の全歌を読んでみようという企てだったらしいが、全1111首のうち650番までで終わった。
「国歌大観番号」といってわが国の古歌は番号管理されていて検索できるらしい。
例えば上の句の冒頭の言葉で検索すると「古今集の○○番」と出てくるらしい。

当初は「紫式部日記」「徒然草」の全てを読んだらしい。

この会の運営事務局はなんとも頼りない。
何らかの方法で継続できないかどうか検討したのだろうか。
かく言う私もあまりやる気ない。
これだけ熱心な会員を抱えるサークルはあまりない、もったいないなと思う。



カラオケ

2011年03月03日 | Weblog
今日もカラオケ喫茶に行った。
たかがカラオケ、されどカラオケ。

歌うからには少しでもひとに感動を与えたいという高慢な欲望はある。
誉め言葉はうれしい、お世辞かもしれないがうれしい。
単純なおっさんである。

しかし、他の人の歌を聞いて感動することがあるかといわれれば殆ど無い。
まず音程の怪しい歌は聞く気も起きない。

大抵の歌は作詞家作曲家が思いを込めて作り上げたものだ。
それなりに歌えば、その思いが伝わってくることもある。

歌は性根を入れて歌いたいものだ。
音程、声、感情、歌詞の意味、魂・・・そんなことをクリアする必要があるように思う。

ひな祭り

2011年03月02日 | Weblog
「ひな祭り」を認識しているひとが少なくなっただろうこの頃、身の回りでもあまりそんな話題は聞かない。
我が家もこの20年ほど縁が無い。
話題にも上らない。

ひと頃孫のために50万円出して買ってあげたとかの話も遠い昔。
我が家は未だにひとりの孫もいない。

もうすぐ
「昔、日本にはひな祭りといって年に一度雛人形を飾っていた時代があったのよ」
なんてことになるような気がする。