夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

義を見てせざるは勇なきなり

2012年07月14日 22時38分38秒 | 日記
 大津のいじめ自殺について様々、ネット上で見て非常に憂鬱だ。何か、日本人の性格の根本的な部分に瑕疵があるような気がする。苛める行為、見て見ぬ振りをする、もみ消す、逃げ口上、その他色々。
 司馬遼太郎氏が日本の風土は大好きだが日本人の組織は大嫌いだと言っておいでだったが、その瑕疵が集団になると姿を現すのかもしれない。
 父が兵隊時代の話の中で、同僚が”京都大学卒”であるが故に古参兵から選って苛められていたと言う。その人は黙って辛抱していたとのことであったが或いは戦死なさったかもしれない。こんな例は多かったのではないか?
 私の息子たちも酷くはなかったがいじめにあった。”顔に品がある”のがいけ好かない、との理由であった由。長男は堪忍袋の緒が切れて最終的に相手を結構深いどぶに蹴落として終わったらしい。次男は幸いなことに担任の先生がそれは気を使って下さって終息した。・・・そういう先生も居られた。
 鹿児島の郷中教育で最も嫌われたのが”卑怯な振る舞い”だった。”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり”、”義を見てせざるは勇なきなり・・・・・
 以下、個人的の考えである。宇宙の原理は”全ての歪みや凹凸は平衡に向けて推移する”である。それを最も判りやすく言えば”目には目、歯には歯、命には命”となる。この事件(最早事件だろう)が仮に人間の法廷で決着を見るとしても”天の法廷では天の理によって、宇宙の原理によって”、最初に在った平衡に向けて解決される様に推移するだろう。まあ、下世話な言い方をすれば閻魔大王に向かってこの問題は告訴された、と言うことになろうか。
 神道系のある教団の教理書の記事を思い出して恐ろしい。曰く、霊界に於いては”情”というものは通用しない、つまり情状酌量などないとのこと。これをやった少年たちの未来は如何なるものであろうか。

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