引揚者故に苛められたのは私の家族ばかりではなかったようだ。私の先輩にして上司も同じ思いを味わったとのこと。こうして日本人でありながら日本に敵意を抱く人になった。個人的感情を公的な方向にまで拡大することを私は不当と考えるがそうでもない場合もあるようだ。人間は理性で行動するように努力しても結局は衝動、つまり自分でもわけが判らぬままに腹の底から湧き上がる熱気、損得度外視の沸騰する感情によって動く。関が原に於ける毛利軍がそうだったらしい。理屈や道義上は西軍だったが”嫌いじゃ、俺はあの石田三成が大嫌いじゃ!”で結局動かなかった、とものの本で読んだことがある。
過去にさまざまあった事象、特に若い人々が起こした運動や不祥事の根本原因はそういう衝動にある、もっと直接的に言えば”自分の生きたい道に立ちはだかる者や事に対する猛烈な敵意”であったろうと思う。それをさらに煎じ詰めると”親殺し”だろう。謹厳実直、厳格な父親、しゃっちょこばった観念の家庭などと言ったものに対する破壊衝動があるように思う。その中には自ら破滅の道を選ぶことによって過大な期待、或いは疎ましい期待で自分の上に圧し掛かった、反対に真の愛情のかけらもないくせに世間体だけは人一倍の親が子供までその外面取り繕いに巻き込んだ等の所業をなす親、への復讐を遂げる例もある。
祖父は保護司をしていたが藩政時代からの代々の名門の倅を一時期世話したことがある。中学時代、隠れてタバコを吸ったらしい。謹厳実直、世間面第一、先祖の名誉第一のその父は、その中学の校長だったが面子の為にその息子を退学処分にした。それから、成績優秀だったその息子は荒れに荒れて素行修まらず警察のお世話になったり行方不明になったりで、最後はどこで命をまっとうしたものやらしてないものやら。保護司の祖父もまた中味のない。論語孟子生齧り教師の成れの果てだったので何ら彼の衝動の奥底までは達することが出来ずに思い出すも不幸な青年であった。
こういう例は非常に多いと思う。私が何を言いたいか聡い人はおわかりと思う。”子は親の鑑”と言う。スピリチュアル系統の話では”人は自己実現の為に最もふさわしいと思う親を選んでその下に生まれ出て来る”とも言う。但しこの世界でそのことは親も子供も忘れている。これがそのようにならない時、問題が起こる。
親は子供を見てその信号を読まなければならない。しかし独善的な人、自己愛の人などは”自分をもてなすことに全神経が集中”していて子供さえも見えない。万引きをしたらお父さんやお母さんは僕のことを少しは判ってくれるだろうか?不登校になったら、それそれそれそれ、と急き立てなくなるだろうか、東大に入らなければ人間じゃない、なんて言わなくなるだろうか? 僕はパン職人になりたいのに親は大学に行けと言う、勉強なんてつまらない・・・・。
つまり子供たちのイジメの問題の底には彼らに加えられている過剰過大なストレス、自己実現の抑圧、それに対する怒りが偶々その元凶である親に少し似た気配を漂わす誰かに向けられる、或いは怒りの対象になっている事象に向けられる。最終的には日本人が構成する社会の病気を自らが体現することによって告発している、と言えないか。
今の日本の状況は仮に大学を出ても先行き就職できるかどうか甚だ不明瞭である。それを親たちは知っている。にも拘わらず”自分の子だけは特別例外”などと勝手な定義の元に尻を叩く、先生方は少年少女たちの真の幸せを考えるのではなく”国立大学に何名入れた”との”功績らしきもの”を競って子供たちにかばん以外に思い肩掛けバッグを負わせる。政治家たちはそういうことはどこ吹く風で”国民の生活が第一”とか”脱原発、反増税と言えば票が取れるぞ”と言ったり、党内融和だとかマニフェスト堅持だとかアホで愚かで国民をコケにする言動ばかりに終始して高給を得ている。明らかに『精神を病んでいる』さらに言えば『いと高き存在をコケにしている、天を侮っている』。むしろ子供たちの方がまっとうであるがその病んだ大人たちが実は子供たちを無知の鞭で打ち叩いている。
仮に大津の中学校でのイジメの問題が別のところに原因あるとしても”今現在世の中を動かしている大人たち”はその現象を見て、”それが自分たちの観念の歪み”の症状ではないか、と深く考えなければならない。”心の闇”などと安易に言ってお茶を濁してはならない。
過去にさまざまあった事象、特に若い人々が起こした運動や不祥事の根本原因はそういう衝動にある、もっと直接的に言えば”自分の生きたい道に立ちはだかる者や事に対する猛烈な敵意”であったろうと思う。それをさらに煎じ詰めると”親殺し”だろう。謹厳実直、厳格な父親、しゃっちょこばった観念の家庭などと言ったものに対する破壊衝動があるように思う。その中には自ら破滅の道を選ぶことによって過大な期待、或いは疎ましい期待で自分の上に圧し掛かった、反対に真の愛情のかけらもないくせに世間体だけは人一倍の親が子供までその外面取り繕いに巻き込んだ等の所業をなす親、への復讐を遂げる例もある。
祖父は保護司をしていたが藩政時代からの代々の名門の倅を一時期世話したことがある。中学時代、隠れてタバコを吸ったらしい。謹厳実直、世間面第一、先祖の名誉第一のその父は、その中学の校長だったが面子の為にその息子を退学処分にした。それから、成績優秀だったその息子は荒れに荒れて素行修まらず警察のお世話になったり行方不明になったりで、最後はどこで命をまっとうしたものやらしてないものやら。保護司の祖父もまた中味のない。論語孟子生齧り教師の成れの果てだったので何ら彼の衝動の奥底までは達することが出来ずに思い出すも不幸な青年であった。
こういう例は非常に多いと思う。私が何を言いたいか聡い人はおわかりと思う。”子は親の鑑”と言う。スピリチュアル系統の話では”人は自己実現の為に最もふさわしいと思う親を選んでその下に生まれ出て来る”とも言う。但しこの世界でそのことは親も子供も忘れている。これがそのようにならない時、問題が起こる。
親は子供を見てその信号を読まなければならない。しかし独善的な人、自己愛の人などは”自分をもてなすことに全神経が集中”していて子供さえも見えない。万引きをしたらお父さんやお母さんは僕のことを少しは判ってくれるだろうか?不登校になったら、それそれそれそれ、と急き立てなくなるだろうか、東大に入らなければ人間じゃない、なんて言わなくなるだろうか? 僕はパン職人になりたいのに親は大学に行けと言う、勉強なんてつまらない・・・・。
つまり子供たちのイジメの問題の底には彼らに加えられている過剰過大なストレス、自己実現の抑圧、それに対する怒りが偶々その元凶である親に少し似た気配を漂わす誰かに向けられる、或いは怒りの対象になっている事象に向けられる。最終的には日本人が構成する社会の病気を自らが体現することによって告発している、と言えないか。
今の日本の状況は仮に大学を出ても先行き就職できるかどうか甚だ不明瞭である。それを親たちは知っている。にも拘わらず”自分の子だけは特別例外”などと勝手な定義の元に尻を叩く、先生方は少年少女たちの真の幸せを考えるのではなく”国立大学に何名入れた”との”功績らしきもの”を競って子供たちにかばん以外に思い肩掛けバッグを負わせる。政治家たちはそういうことはどこ吹く風で”国民の生活が第一”とか”脱原発、反増税と言えば票が取れるぞ”と言ったり、党内融和だとかマニフェスト堅持だとかアホで愚かで国民をコケにする言動ばかりに終始して高給を得ている。明らかに『精神を病んでいる』さらに言えば『いと高き存在をコケにしている、天を侮っている』。むしろ子供たちの方がまっとうであるがその病んだ大人たちが実は子供たちを無知の鞭で打ち叩いている。
仮に大津の中学校でのイジメの問題が別のところに原因あるとしても”今現在世の中を動かしている大人たち”はその現象を見て、”それが自分たちの観念の歪み”の症状ではないか、と深く考えなければならない。”心の闇”などと安易に言ってお茶を濁してはならない。
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