夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

犬、狗、イヌ、イヌのような、野犬、野狗

2012年07月15日 08時29分44秒 | 日記
 イヌ好きの人には申し訳ないが、”イヌは殴れば尊敬し、丁寧にすればつけ上がる”と、昔、アメリカ人の文章の中で読んで卓見だと思った。ここで言うイヌとは”性格”を表わし、その性格を判りやすい形で体現しているのが狗、犬である。
 ネコは傍若無人わがまま勝手、礼儀知らずで、盗みをする。その性格を体現しているのが猫である。世界にはネコの国とイヌの国がある。人間にもネコ人間とイヌ人間がある。

 日本史上私が最も尊敬する人は北条時宗である。臆病を以ってネコやイヌに屈することがなかった。故に神風が吹いた、・・・と言えばこれを読んでおられるあなたは”こいつもついに馬脚をあらわしたか!バカめ”とお思いかもしれない。だが神風でないと言う証拠があるのか?
 尊敬はしないが高く評価する人は豊臣秀吉である。宗教を隠れ蓑にして日本に領土を持とうとした西欧を仮借なく追い出した。
 さらにつけ加えれば幕末薩摩藩である。生麦事件を遺恨に思う英国艦隊と錦江湾で一戦交えた。目先の戦争では勝てなかったが長い目でみれば勝った。日本人侮りがたしと言うわけでそれ以上事を構えることを彼らはひかえた。
 
 旧約聖書を見ると古代のイスラエルの人々は自分たちの神と崇拝の様式を持っているのにエジプトと言う”人間”をあてにしたり周辺の如何にも恐ろしげな民族、国にへつらってそれらの神を導入したりして自分たちの神に見放され、ちり散りバラバラになった。
 イヌは臆病者に向かって吼え、跳びかかるのだ。殴れば尻尾を巻く。

 自己主張の余りに少なく臆病ったれで信仰のない日本人に黙示録3章はこのように警告し、また励ます。・・・”汝の有つものを守りて、汝の冠を人に奪われざれ”

 聖書のあちこちにジグソーカードが散らばっている。それをキリスト教だとか尤もらしい学問だとか言う先入観念なしに最も矛盾無く組み合わせようとすると日本が実は聖書の神を知らずに、或いは忘れたまま崇拝して付き随って来た国であり、蓋を開けるとそれはマゴグのゴグに囲まれていた、と言うことになる。
 見える力に惑わされず見えない力に頼る、これが信仰であり信仰はそれがあって始めて実効を顕わす。人間にとって最も難しいことである。最初の二人の人も失敗したではないか。まじないの本にだって”疑えば無効”と書いてある。この宇宙の原理は”観念が現実を構成する”である。
 シャデラク、メシャク、アベ・デノゴの三人は”王が我々を火の中に投じようとも我々の神は我々を救う、だが王よ、たとえそうでなくとも我々はあなたの言うあなたの神には随わない”と言った。”たとえそうならなくとも”と言うこの根性は大好きだ。私は肥後モッコス、だもの。
 いじめられている人、相手は実はイヌだ、イヌだから自分より弱そうなものに吼える、逃げれば頭に乗るのだ。いまどき、このような言い方は激しいと思うだろうか?なめなめなでなでの癒されるだのふれあいだのと上っつらの偽善に満ち、公の電波にのせて平気で物を食って見せたりギラギラ品のない舞台装置ひな壇に並んで毒にも薬にもならぬ時間潰しをしたり体をくねらせて上ずった声で品のない歌で飛び跳ねる、それを面白がる下種に成り下がった今の日本。
 だから見くびられて、囲碁で言えば”覗き”の石を打たれるのだ。
 

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