夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

都知事選挙を通じて見えたもの・・プレデター

2016年08月06日 07時31分23秒 | 日記
 自分だけかもしれないが今回の都知事選挙を通じてプレデターの姿をはっきり見たと言うのが最も大きい。民主主義と言う森の中のどこかに潜んでいてそこに住む人々を食べて生きて居る何かの存在、それが一瞬明らかに見えた。

 自民党都議の内田茂等の隠されていた実態が暴露されたのがそのひとつ、共産党の不破哲三の豪邸の写真が出たのがもう一つ。都政には都政の利権構造が、共産党には共産党なりの利権構造があることが見えた。野党が太鼓持ちの鳥越を担いだのもまた自分たちの利権に固執したからだったろう。東京都がそうであれば他の地方も同様だろう。日本社会に根を張って養分を横取りしていた【利権】なる雑草。イエスさんが畑、麦、悪い種の例で説明したのはどうやらこのことだ。それが明らかになったと言う事は人間社会の終局も近い。

 あらゆる組織には利権がある。それは丁度田にいつの間にか稗が混じるのに似ている。ものみの塔なる宗教組織があるがその幹部が一般庶民とはかけはなれた生活をしているのは平信徒の寄付に依っている。その幹部になるには正直真面目真摯な信者ではない、要領のよい信者なのである。政党には政党の利権構造が、政治には政治の利権構造が、あるだろう。日本がシナや韓国に振り回されているのも政治家の中にシナ利権、韓国利権、北朝鮮利権による甘い汁を吸う者共が居るからだ。

 今迄国民は、内心そうだろうとは感じて居ても誰でもが意識的に見たことはなかった。自民党都議連が、共産、民進、他うぞうむぞう野党が、夫々利権隠匿保持の為に担いだ候補が落選、組織も何もない候補が当選したのは『都民の意識が組織のいかがわしさを排除した』からだろう。

 一旦起こり始めた事はもう元に戻らない。右か左か、国家国民尊重か、反国家国民利己か等、従来の区分ではなく、プレデターつまり擬態利権屋かそうでないか、の区分で人々は視始める・・最終的には組織と言う組織から人が離れて組織は枯れる、プレデターは窮死する、稗は抜かれる始末となろう。

 7つの頭と十の角のある野獣、つまり民主主義はその背中に載っていた、つまりこれを上手に操って利用していた、大淫婦、つまり利権屋を振り落す、つまり離れて行く。この、人々が離れて行ってしまう状況を黙示録16章20節は『総ての島は逃げ去り山は見えずなれり』と表現している。



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