夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

夢、運命、偶然、個と全体性

2012年07月26日 06時35分43秒 | 日記
 息子は高校3年になった翌日から不登校になり、その後20年余りを引きこもりで過ごした。自分でも”これではいけない”、と好きな美術の専門学校に行ったり大学にも入ったが何故か続かなかった。自活するため英語を独学でやりtoeicの870点、英検1級まで取ったが何故か就職は英語でも美術でも全て門前払いされた。
 不登校の責任は私にある。だがそれまで書くと支離滅裂になるのでそれは別に書こう。ともかく就職できなかった。”幸いにも”私は造船設計技師として生きて来たし図面外注業者も経験していたので退職して彼に個人事業を興させ私が技術上のアドバイスをしながらもう5年以上経過した。
 ”幸いにも”と書いた。が、果たして”幸いにも”だったのか甚だ怪しい。そうではなくて”予定されていた”のではなかったか、と思うのだ。と言うわけは、・・・
 私は工学部の造船科で真面目に勉強し、卒論は流体力学であった。子供の頃から船のあの微妙な曲線に興味があったのだ。そこで造船所の船体設計で仕事をしたいと考え大学院まで行って勉強した。
 ところが就職して配属を決める段になってカイシャは”今年は船体設計への配属は予定していない”と言う。後になって”それなら辞める”と言った奴がそこに配属され、バカ正直に応じて艤装設計のしかも流体力学とは縁もゆかりもない木艤装係なるところに入った私は残念な思いをした。丁度その頃IBMが募集していたのでそこに行こうと行動に移そうとしたら両親が飛んで来て、意気地なしの私は諦めた。
 カイシャは私にとっては地獄であった。物心ついた時、既に人間の集団に恐怖感を持っていたので四方八方から怒鳴られ、詰め寄られ、どうしていいか判らない、或いは解決に甚大なエネルギを使う艤装設計に疲れ果て尋常な神経を失い、カルト宗教に迷い込んだ。更に折からの不況で会社が倒産同様になった時に退職、ある人の助けで図面下請け業者になった。大学の造船科を出て自ら図面を引けるには現代では私ぐらいのものではなかろうか。
 そのカルト宗教が息子の将来を奪った、様に見える。しかし見方を変えるとこの息子もまた私同様、”大勢の中で活躍”と言う性格ではなさそうだ。彼の概念の中にカイシャイン、ヤクニン、ショウニンと言うものは一切無いように見える。子供の頃、母が”・・・ちゃんは何になりたい?”と聞いたら”お魚を研究する人”と答えたが、やっぱり一人でコソコソするのが性分に合っているように思う。私のもう一方の図面下請け業者訓練が彼の独り立ちの為になった。・・40年前から私自身に起こって来たことは実は準備であった、と言えないこともない。
 すると、人生が果たして偶然なのか予定されたものなのか判らなくなる。さらに判らなくするのは・・・
 私は何故か夢がよく当たる。朝方見た夢がその日のうちに実現することもあれば何年もかけて繰り返し見た夢・・・まるで一連の物語のような夢だが・・・まさにその通り、”そうか、この場所だったのか!”、”これがあの夢での駅、汽車の路線だったか”、”この窓からの眺めがあの夢の家の窓から見た庭だったのか!”などと寸分違わず当たることもある。そのようにして見た夢が的中したある田舎に数年住んだ。”そこに住む必要性”は全くなかった。にも関わらず何故かその当時はそれが当然のようにその片田舎の古い空き家に行った。
 これにオマケが着く。もう一人の息子が偶然にも久留米の学校に一年入ることになった。土日が休みなので長男が車で送り迎えしたのだが、もし私たちがその田舎に住んでいなかったらこの二番目の息子の週末帰宅は、交通に時間がかかりすぎて無理だったろう。これも考えてみれば”予定”ではなかったのか。
 このように考え始めると人生が”研鑽と真摯な努力”によって構築されるものか、それとも”はじめから既に決まっている”ものなのか判らなくなる。
 ”命の書にはじめから名前を記されている者が救われる”と言う意味の聖書の記述が不安な響きを以って脳裏を去来する。・・・だったら人がこの世に生きる意味は何か?神は人間を弄んでいるのか?
 いろいろ考えて、今私が持つ結論めいたものは、・・・・
 天地創造の大本、宇宙そのもの、アルパでありオメガである存在、充満する霊であって神と仮称される気、しか真に存在はしない。我々個人はその微細な一部の揺らぎであって自己主張できているかに見えて実際はそれが許されていない、ただ宇宙そのものの学習、経験、歴史の構築のための方便にしか過ぎない、と言うよりは宇宙そのものがただそうあるだけだ。故にソロモン王は言う、”全ての事を吟味した結論はこうである、即ち『神を畏れその戒めを守れ、これが人の本分である』

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