夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

年賀状

2016年12月17日 06時31分12秒 | 日記
そろそろ年賀を書かなければならない。色々考える。若くて馬力のあった時は版画を彫った。今はその馬力がない。かと言って毛筆で・・とは出来ない、悪筆なのだ。

 いろいろ考えてみた。やっぱり版画にしてみようか、但し文字を彫りこんで白抜きにする、文字は・・高校時代に漢文で習った三皇五帝時代の文章から
日月光華 旦復旦兮 にしようかな、と一応書いて見る、が、どうもごったましい(鹿児島方言、仰々しい)

 さりとて謹賀新年は陳腐だ。そのように色々悩んでいたら今朝がたふと閃いたのでこうして起き上がって憶えの為に書いている。そーだ、こう書こう!


美しい日本に 日はまた昇る     皇紀2677年

これを見る人、お使いになりたければご自由に!

左翼反国家思想に染まるカラクリがよく分からない

2016年12月16日 20時04分43秒 | 日記
 こんな立派な人がどうして憲法の話や政治の話になると途端に奇妙な思考回路に迷い込むのだろう?? と言うのが長年の疑問である。

 しかし我家のように真っ当な日本人に育って行く者も居る。そうしてふと思うのが【神が総てを決められる】であろうという事である。

 日本が大東亜戦闘(戦争とは言いたくない、あれは戦闘であって戦闘では勝てなかったが戦争では勝っているじゃないか)でまあ、勝たなかったのは神の思し召し、今日の日本を在らしめる為であったと今は考えている。

 ともあれ左翼思想に染まってゆく人の心の動き、思考回路がどうにも解らない。むかし【ぶって姫】と言うのが居たらしいが何かそういうマゾヒスティックな心理が働くのだろうか。

血の気が多い熊襲と隼人

2016年12月16日 14時51分15秒 | 日記
 私の遠祖は京の都に何とか神社が勧請された平安の昔、その神社の荘園管理人として肥後国に下った神職か下級公家である。名前から推すと佐渡に神職として派遣されていた若者が、おもとは此度肥後国へ下りゃれ、と命令されたのではないか?

 ともかくそこに土着、以来千年近く住み着いて最早隠れも無き肥後地下人、熊襲族由来のモッコス天邪鬼根性、命令指図大嫌い人間になってしまった。命よりも指図が嫌い、つまり肥後の鍬形魂、それが災いして本家の跡取りはソ連兵に射殺され父は朝礼で青天白日旗が掲揚されるのを嫌って尻を向けていた。これを見た中国人がこいつは殺してしまえ、と危うくなったが教え子や親しくしていた知人、無論中国福建人が極力周旋、何とか命は助かったが即免職。知り合いの中国人経営する豆腐屋に就職したものの豆腐を入れた箱ごと自転車でひっくり返り朝の仕事数日で退職。

 母方は生粋の薩摩隼人、西郷さんの意気に感じて西南戦争に参加、田原坂激戦で兄の方が負傷、仕方なく弟が故郷に連れ帰った。しかし、それ以後、『百姓の軍隊に敗けて逃げたのが返す返すも口惜しい』と焼酎を飲んでは泣く、働かない、田畑を売り払う、家族は貧窮に苦しんだ。

 私はそのハイブリッド。この性格が災いして自分では真っ当な事を言い、真っ当に生きている積りが何故かオカシな方向に動いて都合6回も職を替え、退職金もないままに定年になった。まあ、少し悪いクセがある、・・・問題発言、バクダン発言をして相手がどういう反応があるか見るのが面白い(かった)。例えば設計部の工程会議で、誰かのミスが論われて部長が滾々と説教しはじめた。私はミスをやった本人が可哀想になった、誰だって好んでやっているのではないのだ、膨大な情報処理をするうちに図らずも起こるのだ。

 そしてついに苦虫が這い出て来た・・・『部長、そんな後からどうこう言うのはバカでもできる、そういうミスが起こらないような作業の仕組みを考えるのがあなたがた高級管理職じゃないのですか?』と言ってしまった。一同、水を打ったように白けた。

 妻はまさに隼人塚がある土地からさほど遠からぬところのこれも生粋の地下者、しかし色々穿って見ると応天門の変で失脚した伴氏が、まあ、京の都に居られなくなって下って来て住み着いたあの薬丸示現流の肝付氏の端っこの端っこではないかな、と思っている。しかしこれも千年近く薩摩に住めば最早隠れもない薩摩人。

 息子達はだから肥後のクオーターである薩摩隼人になる。一見大人しく穏やかで紳士的なのだが兄と弟それぞれ違うというものの後で聴いて冷や汗が出るような冒険をやった。もうそういうことは止めて欲しいと思っている。これを晩飯の時ふと呟いた。すかさず妻にあなただって6回も職を変えて・・・冒険じゃなくてバクチだよ、生きた心地がしなかったよ、と噛まれた。 

 兄は最近またやった、心臓が口から跳びだしそうだった。彼もまた、私同様、【そのものずばり、正論】と言うものは日本では言わない方が賢いのだな、と悟っただろう。日本に於いては絶対的な正論は黙して相対的な正論で話を進めるべきなんだな、と。

論語と儒教

2016年12月16日 14時31分53秒 | 日記
 もうかなり以前、職場での雑談で、『日本人も論語を読まなくなってモラルが低下してしまった』と言ったら傍に居た中国人留学生がけげんな顔をして『中国では儒教は害悪の元だとして全廃したのに何故ですか?』と言う。

 これにはこっちが虚を衝かれた感じでキョトンとしてしまった。その時上手い答えが出来なかった。しかし今ならこう答えられよう。但し、直接言うと殴られるだろうから日本人にしか言えない。

 日本人はあの玉石混淆の文章の集合体から『人の在り様とはこうではないか?』と言うモラル、【玉】を拾い出した。一方中国は支配者に都合のいい石だけを拾って玉は捨てた。

 朝鮮は?・・・察するに宗主国の意を戴してもっと先鋭にそれを行い、以て優等生であることをひけらかし諂った。その忸怩たる劣等感は海の向こうの小島に蠢く倭人を蛮人と蔑視、優越感を持つことによってバランスを保った。

 ところが壬申倭乱とか言うので散々な目に逢い泣く子も黙るシーマンズ、我が薩摩兵によってコテンパーに打ちのめされて優越感はズタズタになった。

 このトラウマこそが【保身の為の無意識のばね仕掛け反応】を起こして口を開けば日本を貶め、壬申倭乱の再発恐怖とかろうじてバランスを保っている。時にその恐怖がモロに出て来る。

 これを直接言ってはならない、たちまち火病の発作が起きる。