高校も大学も80代で同窓会は終了していますが、岐阜大付属中同窓会は今年も岐阜市内の銀座八丁で開かれ、昨日は2クラスで13人が集まりました。その原動力は何でしょうか。Kくんは言います。あの3年間がなかったらその後の人生は考えられないと。高校に入った時、先生に落胆したのは私だけでなかったのか、と思いました。別の高校に進学しても同じ感想と知りました。
この年になりますと、生存確認のようになります。男子20人のうち9人が他界。女子はその点たくましいです。亡くなられたのは3人程度。
毎回京都から出席するKさんは、小児マヒの後遺症でステッキをつき京都駅までは奥様の介添え。その後は京都から出席するIさんの介添えにバトンタッチ。岐阜では二人でホテルに泊まられます。今年はもう一人東京組も宿泊。余韻も楽しまれます。
その元新聞記者のK君にに聞きたいことがあり、質問してみました。共同通信の記者が左翼的な記事を書くので、日本中の地方新聞がおかしい。というと、30年位前はそうではなくて、自分の記事が書ける新聞がないという嘆きが共同通信社に多かったようです。日本政府のいいなりの記事を書いたの? それは否定しました。今よりましなメディアだったようです。





