濃尾震災
2005-10-28 | 災害

今から114年前の明治24年の今日、10月28日、濃尾震災が発生しました。全壊8万、死者7000余人、岐阜では余震が10年。福井県から岐阜市までの延長100kmの「根尾谷断層」は学問的にも有名です。本巣市根尾にある断層記念館はすっかり忘れられていましたが、阪神大震災以来入館者数がふえています。
この地震のあと、曽祖父は家訓といえる、述懐を書き残しました。
「24年は古今未曾有の震災にて人々の困却一方ならず 皆家を潰し或いは火災となり父母の圧死するあり 妻の焼失するあり 皆世の滅する思いをなし着るに衣なく食するに食なし 実にその惨状は言語に・・・・中略
世に何時凶変のあるや知るべからず 故に平常はその用意をなし決して身分不相応なることをせず素朴に・・・」と続き明治25年の日付と署名があります。
この地震のあと、曽祖父は家訓といえる、述懐を書き残しました。
「24年は古今未曾有の震災にて人々の困却一方ならず 皆家を潰し或いは火災となり父母の圧死するあり 妻の焼失するあり 皆世の滅する思いをなし着るに衣なく食するに食なし 実にその惨状は言語に・・・・中略
世に何時凶変のあるや知るべからず 故に平常はその用意をなし決して身分不相応なることをせず素朴に・・・」と続き明治25年の日付と署名があります。
濃尾震災の年に結婚されたんですね。
残念ながら郷さん体調不良で来られませんでした。
唯一の妻だけを愛する旦那様という捉え方で作家新井恵美子氏の話を伺えたのは新鮮でした。さすが女流。
旦那が欲しくても手を出さなかった古美術品を後でこっそり手に入れ何も言わずに所蔵して置くなんぞなかなか出来ないことですね。
伝記によると、原三渓はとても好男子で奥様は、教え子だったのですが、どうしても婿養子にと望まれたとか・・・柳津の実家では長男を出すのはとんでもないと反対されていたとか書いてありました。
それにしても原夫妻は震災の年に結婚され、震災の日の今日にシンボジウムを開くのは意味ありそうですね。
原三渓、三渓園、水琴亭。どれも魅力的ですね。どちらも伺ったことないのですが、岐阜人の私は、まず、水琴亭まで、たどり着かねばと思っております。
よい機会をおあたえくださり、感謝申し上げます。