大垣市は、芭蕉の奥の細道のむすびの地として知られています。最後の俳句が大垣で詠まれたのです。何度もむすびの地記念館に入りましたが、昨日も友人と再訪しました。というのも、彼女のスマホが周囲のおかげで無事手元に渡ったので、再び会うことにしたのです。何しろ60年以上のおつきあいですから、話もたまっていて、60年前に遡ることもあります。昨日の話は60年前、常滑のヨットハーバーである友人のおかげでお互いにヨットに乗れたこと。あれが最初で最後の機会でとても楽しかったこと。Iさんに感謝したいです。
バケイションという歌が流行したころで、名鉄名古屋本線にそれにらしいいでたちで乗ると、「バケイションか」というささやきと羨望の目でみられたことを思い出しました。途中から常滑線に乗り換えます。
むすびの地記念館では過去に展覧会のあったカタログも買い求めました。大垣藩の先賢人として、5人挙げられていて、梁川星巌、江馬細香、飯沼慾斎、江馬蘭斎、小原鉄心。飯沼慾斎は日本で最初に体系的植物図鑑「草木図説」を著しました。蘭方医学者でもありました。伊勢生まれですが、12歳から終生大垣で活躍。牧野富太郎氏との交流もあったようです。梁川星巌は、漢詩人として知られています。戸田氏10万石の藩ですが、多くの知識人を輩出しています。
記念館の中の芭蕉庵
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