
毎年この日の戦没者追悼記念式典の中継を見て、思うのですが、終戦記念日と言い、何故敗戦記念日と言わないのだろうかと。事実を言うのを避けているからますます若い人は、8/6って何の日という質問にも答えられなくなっているのではないかしら。
今日の中日新聞は、60年前のものが再録されたものも入っていました。玉音放送の後にしか届けられなかったことから、大方の日本人は敗戦を予感していたと思います。あの玉音盤を奪おうとした陸軍将校は狂っているとしか思えません。過日blogで紹介したM教授は、「海軍、空軍は戦闘機や軍艦がなければ戦うことは出来ない、陸軍は何も無くても戦えるから最後まで粘ったんだ」とおっしゃいました。(写真は擬宝珠)
今日の中日新聞は、60年前のものが再録されたものも入っていました。玉音放送の後にしか届けられなかったことから、大方の日本人は敗戦を予感していたと思います。あの玉音盤を奪おうとした陸軍将校は狂っているとしか思えません。過日blogで紹介したM教授は、「海軍、空軍は戦闘機や軍艦がなければ戦うことは出来ない、陸軍は何も無くても戦えるから最後まで粘ったんだ」とおっしゃいました。(写真は擬宝珠)
私は難しい事はわかりませんが何故、誰が、戦争を、そして原爆投下される前にどうして止める事が出来なかったのだろうか?
いつもいつも残念に思いながら終戦ではなく敗戦記念日に父を偲んでおります。
okoさま、ようこそ。私の書き込み方が曖昧で誤解を招きました。M教授は陸軍がお嫌いなようでした。でも日本人であるからには軍人にならなければならないし、それに国の命令でもあるし・・・
T大出ですからエリート軍人でした。
エリートでも戦争を食い止めるのは、難しかったと思います。日本全体の流れが軍国に向かっていましたし・・・
お父様のご冥福を祈ります。
事情があったにせよ真珠湾の中途半端な攻撃がなんとも日本帝国海軍の様を表しているようです。勿論、陸軍士官学校出の連中を批判するのは遥かに簡単のようですが。
始めるよりも終える方が如何に難しいか。
M教授の話では海軍と空軍はわりとまともと言われていましたので、そうかしらと思っていましたが、ここも国際感覚はなかったのですね。
真珠湾攻撃もむこうはもう知っていたので、わざとボロ船を並べて待っていたとか・・・
そうそう、以前どの政党が贔屓かなどと愚問を発し、失礼しました。答えたくないのは誰も同じですのに・・・