月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

親子確執

2011年06月12日 20時50分53秒 | 仏々相念(住職日記)

確執も次第に・・・

 

喪主様のご挨拶を聞かせていただきました。

いろんなモノを積み重ね親子間での確執が・・・

でも、身体を悪くされた親を看るうちに長年の確執も溶けていくようでした。

最後には「ありがとう」いっぱいで接することができました。

 

親は常に待っていました・・・

見舞いに来てくれた息子を「よう来てくれたね!待ってたよ、ありがとう・・・」

その言葉に、姿に優しくなれゆく自分を感じられたのかもしれません。

人生の先輩のご挨拶でありましたが、「いい御挨拶だな~」って聞かせていただいたことです。

慚愧いっぱいのお言葉でした。

 

優しさに出会ったら必ずこちらも優しくなれる・・・

「ありがとう」っていえる人生になれる。

 

いつ死が訪れるか分からないからこそ、「ありがとう」いっぱいの人生でありたいですね。

 

数日前より首筋から胸にかけ、そして肩甲骨にかけ痛みがあります。

「何かあるのかな~」って思うものの病院に行こうとしません。

「素人考えでは大変なことになりますよ!早く病院に行ってください!」って坊守。

「素人考えには間違えはあるけど、阿弥陀さまのおはたらきには間違えがないから安心、安心」って覚りきったように偉そうに言う私。

「そりゃ、安心だけれども、生きられるチャンスがあるのであれば大切にしないと・・・」

言葉なく撃沈・・・

 

案じてくださる優しさに感謝させていただくことです。


私之遺伝

2011年06月12日 20時03分42秒 | 仏々相念(住職日記)

もう、そっくり・・・

 

話し方、態度、癖、考え方・・・

知らない間に似てくるのですね。

親子って面白いです。

 

息子が小さかった頃、小学生低学年ぐらいでしたでしょうか・・・

親子4人でテレビゲームに夢中になって楽しんでいました。

息子が私たちにアドバイスしてくれるのです、「もうちょっと右じゃない?ん~、もうちょっと・・・」

がしかし、私たちが息子にアドバイスすると言うことを聞きません、「自分の意思でする!」

これには皆大笑いでズッコケました、「人には散々アドバイスしといてこっちの言うこと聞かんけんね~!」

 

頑なな性格・・・どうも、私似なのだとか・・・

今日の夕食をいただいている時にも、坊守の言っていることを頑なに拒否する私に「親子、そっくり!」って言われるのです。

思わず笑ってしまいました。

息子に於いては決してそんなところばかりではなく、優しく、労わってくれる心を持っています。

そういうところは坊守似なのでしょうね・・・

 

私の話し方はというと、ボソボソ言います。

このことに関しては否定することがありません。

自分ながら本当にボソボソいうのです・・・何かしんどくて。

「もっと、ハキハキおっしゃってください!」って坊守や娘に頻りに言われるのですが直りません。

横で話す息子もボソボソ・・・

ボソボソ同士なので2人では難なく通じるのですが、坊守と娘には通じないらしい・・・

周波数が違うのでしょうか・・・

 

食後、アイス食べようか、ってことになり、私と坊守はパフェを、息子はスティックアイスをいただきました。

息子がボソリと、「姉ちゃん、こうやって食べるよね。俺はこんなによう食べんわ・・・」

「もう、そっくり・・・」って坊守。

どうも、私の食べ方と娘の食べ方がそっくりなのだとか・・・

 

親父として、似ているとかそっくりとか言われると悪い気はしないのですが、何か悪いところばっかり似ているような・・・

まっ、良いところなど一つもないのですが・・・

悪いところしか持ち合わせていない私の遺伝子で申し訳ないような気がします。

がしかし、坊守の遺伝子のお陰で優しい心の人であることに安心することです。

 

子どもは親の背中を見て育つとか・・・

そう言われる度に「いかんいかん」と曲がった背中を伸ばそうとはするものの、やっぱりいけません。

こんな親父で申し訳ない・・・


愚痴のはなし

2011年06月12日 14時31分21秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
今日も雨降りです。
しかも、大雨警報が出るほどのひどい雨です。

雨降りは嫌いではないのですが、
お洗濯ものがなかなか乾かないので困ります。
それに、ウォーキングもおやすみしましたし、お買い物も億劫です。
先ほど、お葬式のご縁にお参りさせていただきましたが、おつとめの間中激しい雨音が聞こえていました。
雨音が悲しみを深めるようでした。
水不足の町にはいい雨で、
災害が懸念される土地には不安な雨です。


降りしきる雨を《慈雨》と
晴れ間に射す陽を《慈光》と
そう思うことができればいいのでしょうけど……

なかなか、愚痴はやみません。

(註・「愚痴」とは仏教のことばで「自分のモノサシでしか物事を計れないこと、自分勝手な考え」のこと)

そのうち、雨は止むのでしょうけど……