月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

看取之時

2011年06月17日 23時35分41秒 | 仏々相念(住職日記)

代ってやりたい・・・

 

切ないご縁でした。

61歳になる息子さんを看取られました。

 

食べれなくて痩せ衰えていく我子に付き添います。

辛いでしょう・・・

苦しいでしょう・・・

「この歳老いた身、代れるものものなら代ってやるのに・・・」

そうおっしゃりながらいつもの笑顔が消え涙を流されます。

親の姿を見せていただきました。

 

奥さんを看取られた御主人とお話しさせていただきました。

皆帰られた後だったのでしょう・・・ご主人とお嬢さんご家族だけが休んでおられました。

奥様をご安置されているところで少しお話しさせていただきました。

「きれいなお写真ですね」

「カラオケが好きでグループで発表会をしてた時の写真なんですよ。私はちゃんとした写真を、と思っていたのですが妻がこの写真を、っていってたものですから・・・」

きれいなお衣装を着けられた写真です。

苦しくてしんどい闘病生活でした。

ご主人も一生懸命支えガンバられたのでしょうね・・・

寂しそうに・・・でも、ガンバッた妻を看取って安心されたのでしょうか、優しく微笑まれます。

 

今生の命、尽きる瞬間ってどんな思いなのでしょう・・・

そう思いながらお二方のお姿を見せていただいたことです。

私は、泣くだろうな~・・・

「まだ、お前と一緒にいたいよ!お前たちの成長をお母さんと一緒に喜びたいよ!」って・・・

死の恐怖はありません・・・

でも、今感じえる手の温もりの別れは・・・辛くて、切なくて、たまりません・・・

 

だからこそ、だからこそ・・・お浄土に往生させていただいて還らせていただきます。

阿弥陀なるおはたらきとならせていただいて・・・

 

目の前にいる坊守と息子を伽に美味しい食事をいただきました。

丁度、電話がかかります・・・娘から。

元気そうな声を聞かせていただいたことです。

電話を切り・・・久しぶりに顔もってことでテレビ電話でかけ直した。

その顔に触れたくて、頭撫でてやりたくて・・・

涙が出ます。

 

よし!明日もボツボツ・・・


「諦める」のはなし

2011年06月17日 11時00分12秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
降り続いていた雨も早朝には上がり、今朝は濃い霧がかかっていました。
出掛ける予定もあるしと少し躊躇いながらも、ウォーキングに行くことにしました。

時折、霧雨も降りますので、自然と早歩きになっています。
今朝は階段も三回休んでやっとグラウンドまで上がりました。
階段を上がりながらも、今日は走れるかな……と考えています。

グラウンドに着くと外周はところどころ水たまりができています。

「今走ったらグラウンドもボコボコになるし…」
「万が一、滑って転んだりしたら大変だし…」
「でも三日坊主は卒業したいし…」
「でも、今日はちょっとしんどいような気もするし…」

バックネット裏の出入り口に行くまで、こんな風にあれこれ思うのですが、大方気持ちは固まっています。

「今日は走るのを諦めよう」と…

「諦めが肝心」ということもありますが、
「諦める」のもともとの意味は、「あきらかにみる」ということなのです。

(お釈迦様のみ教えに「四諦」というものがあります)

グラウンドのコンディション、身体の調子をあきらかにみた上で「走ることを諦める」という選択に至ったわけです。

ちなみに、今日は走らないと決めた私にiPodが選んだ曲は何だったかな~と、スキップで次の曲を聴いてみると…

浜田省吾さんの『片思い』……でした。

諦めて、正解……かな?