毎日がスペシャル・・・
何気に生きているような日常。
何と生き抜くい今日でありました。
そんなひと時の中にあなたに会えました・・・
感謝です!
どの家もどの家もお参りさせて頂きやすいようにしといてくださいます。
総代さんが振れて回っていて下さるお陰です。
「こんにちは~!お寺で~す!」
「遠いところ、ようおいでていただきました!さあ、どうぞどうぞ!」
「ご無沙汰してすいませ~ん!お変わりなかったですか?」
どこにお参りしてもこの挨拶・・・
でも、有難くて・・・
どんなに失礼しているようなコイツでも子や孫を迎え入れるごとく招いて下さる。
どれだけこのことの有難いことか・・・
御開山のご苦労を思えば本当に恵まれた環境であります。
親友のコメントに家の中に入れることの強みを牧師さんより教えていただいたとありましたが、正しくその通りだと思うのです。
コイツのいつもそのことを思っていました。
何年くらい前でしょうか・・・
10年ほどになるかもしれません。
苦い思い出です。
あるご門徒とちょっとしたことで不穏な空気となりました。
ご縁どころではありません。
お会いしても交わす会話もありませんでした。
勿論、お取り越しのご縁も遠ざかっていたことです。
でも、ちょっとずつちょっとずつ近づき、挨拶を交わす・・・
少しずつ話すようになりお茶を飲むようになる。
ご縁にも会って下さるように・・・
今日、その方と話し込んでいるのです。
「ご院さん、コーヒー飲む?」
「ありがとうございま~す!」
コーヒーをいただきつつ趣味の話になる。
盛り上がりあれあれ時が流れます。
ふっとその方のお顔を見ながら、「あ~、よかった・・・話すことができるようになって・・・」そう思うコイツがいたことです。
コイツが可愛いということもあるのですが、ご縁のひと時が穏やかにあることが嬉しいのです。
折角のご縁が罪を作るひと時になっては申し訳がありません。
参りやすい環境のなかでそれが当たり前のようにしていては横柄な姿になります。
偉くもないのに偉くなっている姿がありませんか・・・
コイツを含めてでありますが、僧侶の姿が問われているです。
恥ずかしい姿を見聞きするに襟元を正さなくてはおれなくなります。
そのうちに門前払いを食らうようになります、必ず・・・
そういったところにあるのです、今!
オベンチャラを言えというのではないのです。
その家に入れていただく喜び・・・
穏やかに話せる嬉しさ・・・
そして、何より皆さんと一緒に阿弥陀さまに包まれる温もり・・・
それを感じつつお参りさせていただきたいものです。
それが何より御開山への報恩でありましょう・・・
特別な一日を大切に・・・