月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

照護不捨

2013年06月05日 20時25分12秒 | 仏々相念(住職日記)

立ち上がれる・・・

 

「まもられています」って言うと

苦しみがないようにしてもらい、いいことが起こるって聞こえるのでしょうか。

宗教ってそんなモノなんだろう・・・

そうじゃなきゃ意味ないじゃんって声が聞こえそう。

 

って、言われたわけではないんですが、

その言葉を口にする度に大切に話さなければと思うのです。

 

自分ではどうにもならない苦しみがある。

だからこれをどうにかしてよ・・・

仏様だろ・・・

神様だろ・・・

そんな苦しみ取り除いて楽にさせてよ。

 

大切な人を亡くされ通夜の席で叫ばれたことがある、

「神や仏はあるのですか・・・」

泣きながら・・・

嗚咽しながら・・・

 

世間にはそういった欲望を満たすところに救いを観ていく宗教もあるのでしょう。

拝みなさい・・・

祈りなさい・・・

それで叶わなければ努力が足りない・・・

あの手この手で言い方換えて・・・

 

それでいいんだと・・・

そうする自分に安心するのであればそれはそれでその人の人生だからコイツがとやかく言うことではありません。

だからといって儘ならん現実に気付いた時、

「神や仏はあるのですか・・・」って言われたところで何を言うこともできんコイツがいることです。

そんな欲望を叶えるものがあるならば努力する人なんていなくなってしまいます。

毎日が「グウタラ感謝の日」になってしまいます。

 

「ご住職、パチンコ勝てるように拝んでてね」って言われて、

「お姉さん、私が拝んで勝てるなら自分の為に拝みますよ。そしたら私は大金持ちになってこんなことしてませんから・・・」

 

拝もうが祈ろうが何ら変わらない現実の有様。

それどころか日に日に重症になっていく現状。

でも、やっぱり歩まなければいけなくて・・・

立たなくてはいけなくて・・・

そんな人生をジッと見護ってくれている。

 

お月様がず~と寄り添い照るように・・・

 

疲れ切った日常の中にふっと飛び込んでくる月の優しき光。

こちらが求めるからではなくず~っと照らし出して下さっていた光。

そのはたらきに気付く時の何とも言えない安心感・・・

 

あ~・・・

 

ありがとうございますってこぼれ出ます。

 

真実のはたらきというものはそういうものなのでしょうね。