悲しいことには
出あいたくないけど
悲しいことに
出あわない人生なんて
ない
それでも・・・
泣きながらでも
微笑むことができるのは
あたたかなはたらきに
支えられているからなのですね
(つづく・・・)
責任逃れ・・・
コイツの好きなアーティスト。
いろんな語録が残っているようで・・・
頷けたりそうでなかったりいろいろです。
一人立ちしようと思いソロアーティストになる。
一人で抱えなければいけないしんどさを昔のインタビューでおっしゃっていました。
これまではグループの一人・・・
四分の一の責任で終わることができた。
調子が悪い・・・
怠い・・・
そんな時、メンバーに隠れてコソコソと・・・
そう言いながらこれはいけんって思われたのでしょうね、言い直されましたが・・・
やっぱりアーティストにとってイメージって大切でしょうからコソコソなんて使いたくなかったんでしょうね・・・
でも、分かる気がするよな~・・・
こんなコイツでも住職になる時は不安でしたから・・・
それまでは責任なかったですから・・・
でも、住職になるということはなにもかも責任を担うということです。
でもコイツの場合、不安も大きかったですけど見方を考えると
自分が思い描くように歩める嬉しさもあったことです。
本来であれば気を遣わなくてもいいことに気を遣わなくて済むし
自分の非でないことに頭を下げるしんどさもない。
永ちゃんの言葉で言うと、
「テメエのケツはテメエで拭けよ」ってことになるのですから・・・
気分的に楽になったというところもありました。
でも、テメエの人生でありながらテメエだけのものでもないのです。
今日、久しぶりに坊守と一緒にご縁をいただきました。
一緒にお勤めをさせていただきながらいろんなことを考えます。
寄り添ってくれる・・・
一生懸命支えてくれる・・・
坊守の人生を懸けてここにいてくれる・・・
そう気付くと願生れて・・・
声、張り上げて・・・
カッコウばかりのコイツ・・・
坊守に、娘に、息子に甘えてコソコソ隠れているコイツがいます。
「悲しみはすべてオレに預けて、今は預けて~」 『MARIA』矢沢永吉
って言えればカッコいいのでしょうが、
未だに責任逃れのコイツがいることです。
でも、お互い支え合いながらこころひとつで歩ませていただきたいものです。