『ふざけた』タスポの本当の狙いは何か?!!
官僚的発想のKY(空気が読めない)施策だけでは
片づけられない、魂胆が窺(うかが)える?!!
穿った推察かもしれない。が、いつの間に施行されたタスポ制度、誰が何のために多大の徒労な制度を考えたのか。何のためにと言えば、当然、『未成年の喫煙防止』という金科玉条の理由が返ってくる。そんなことは分かっている。分かっているが、妙におかしい。しっくり来ない。
近所のたばこ屋が、模様替えをした。大半を自販機で販売し、中敷きの窓から時折顔を出していた店構えが、全面改装してショップに変容した。前のコンビニに対抗して余儀なくされたのだ。そして、旗が2本はためくようになった。
奥さんが呼び鈴で、時たま、ご用に応えていたが、その日から旦那が愛想を振りまくことも多くなった。『タスポには、参ったね!』と、水を差し向けると、忌々しそうに、『大手の味方ばかりして、うちらの零細を顧みもしない。結局、切り捨てさぁね。』と、恨めしそうにすぐ前のコンビニに目をやった。
言うまでもない。零細たばこ屋は全滅。コンビニ大繁盛。顧客はケース買いに傾斜。自販機は売り上げ激減。タスポ又貸しの珍事件......。
タスポ申し込み案内が、自販機の前に添付されるようになって、これぞ新手の名寄せかと直感した。従って、申し込む気などさらさらになかった。喫煙を推奨する気などはない。ましてや、未成年の喫煙を助長するつもりも全くない。それにしてもたばこごときで、自己申告するいわれはない。タスポをかざすと言うことは、その都度、いちいち自己申告しているのと同じである。買えなければ、買わなければいい。喫煙できなければ、喫煙しないに限る。困ることはないのである。
しかし、たばこ屋は別だ。大事な生業のお客様を不便に追いやる。それで商売繁盛できるわけがない。専売以来、たばこ屋は町の片隅で生業を細々と営み、多額の税金は旧国鉄の負債の一部を担い、湾岸戦争の戦費まで調達してきた。一つの文化であり、国策であった。そのたばこを愛煙する大切なお客様に対して、『ふざけた』仕打ちは受け入れられることは無かろう。一つの文化が死んでいく。
廃れる文化は致し方が無いが、意図することは殺文化である。
年齢確認など、その他の方法で容易に可能である。その選択を怠り、多大のコストをかけ、多大の犠牲を強いるタスポの導入は、明らかに愚策である。禁煙があるべき生活スタイルであるというなら、それも受け入れよう。青少年保護というならそのことも全面的に賛成しよう。それを得意先(零細たばこ屋)とお客様の役務を強いるやり方は得策ではない。KY(空気を読めない)愚策である。
それ以上に、敢えてそれでも敢行した思惑にJTの顧客囲い込みの意図がなかったかどうか。あるいはJTを経由した情報収集の魂胆がありはしないか。住基ネットですら、個人情報の情報漏れが問題であるのに、そこまでする理由に青少年保護、未成年喫煙防止では薄弱である。
国民総背番号制を補完する、秘められた意図を感ずるのは投稿者だけか。?!!