とは言うものの、
寂寥感と言いしれぬ喪失感は、
理性を超えてしばらくは漂うだろう・・・。
父親の死は、意志の喪失感だが、
母親の死は、虚脱感だ・・・。
6年前、『『老老介護』の介護に、帰ってきた!!』を書いて、
2か月丁度で、父は逝った。
その後、母は一人暮らしだった。
年々、足腰は衰え、家事を一人で熟すのも億劫だったようだ。
で、
もっぱらの帰郷は、
男所帯でささやかな食事を饗す楽しみだった・・・。
何しろ、
一人暮らしというのは、
自由だが、何もかもの雑務が一人の肩に掛かる。
畢竟、
帰郷する頻度も多くなった。
電話は3日と欠かしたことはなかった。
ある機能性外科手術で、
20日間入院を促し、同伴したこともある。
ホームケアーは、頑として受け付けなかった。
勿論、デイサービスすら年寄りくさいと嫌った。
ホーム入居など論外だ。
不調を訴えれば、臨戦態勢で待機した。
介護、介抱というより、
残された母の人生との同伴である。
逝く前日も元気な声で2度電話で話した。
その直後である。
突然に逝ってしまった。
<葬儀は神式・・・自宅で行われる>
当然、現場検証と検死の捜査は入る。
その最中に実家にたどり着いた。
おそらく、心房細動による昏倒死であろうと思う。
同居しておれば、心臓マッサージとAEDがあればと、悔いられた。
が、
時は既に遅いのである。
突然というのは、実にキツイ・・・。
巷に言われるように、「大往生」かもしれない。
年も、父親には及ばなかった(享年94才)が、
享年89才というのは不足はないと言えるであろう・・・。
しかし、
残された者にとっては、虚空に響く世間知である。
静かに一人になると、
思いは正反対のやり場のない怒りに憑りつかれる。
せめて、
2~3日でも臥せって、時間をくれなかったのかという思いなのか、
何かまだできる事はなかったのか?
という自責の怒りなのかは分からない。
<地区民総出(多謝)の、最後の土葬かもしれない>
自分以外は、
親族も含めて、世間知に順じて気丈であるが、
自分がそれが出来ない。
かと言って、
表面上は、同じ様に振舞っている自分が許せない気分である。
父の死に際しては、
この度の逝った母が未だ居た。
その母のためにも気丈になれた。
今回は、誰も居ないのである。
この瞬間、故郷は共に消えてしまったかのようだ。
所詮は、幾つになっても子供なのである。
母親の前では子供なのである。
魂の法則を熟知する立場である。
その永遠性、不滅性を確信している・・・。
且つ又、輪廻転生も一点の疑いも挟まない。
なのに、
幽冥を異にするのは言いしれぬ虚脱感がある。
<最後の別れである>
少なくとも、
今生においては別れである。
それを味わうための必要な体験かもしれない。
そう必死に思っている自分が情けなくもある。
無数の同じ体験を、人々はしているのであるから、
殊更に一人感傷にふけるのは、
大人げない事かもしれないが、
母親の前では単なる子供に立ち戻るのである。
成人して、
涙を見せることは殆どなかった。
人前では兎も角、
一人で偲んでいると、
その不覚を止めることが出来ない。
涙を見せない姿が、
実は、
世間知に流された人生の不覚であったのかもしれない・・・。
涙は、
自分を正直な思いに誘う。
母親は、
理性を超えて、
本性の感覚を取り戻してくれる存在なのかもしれない。
理論理屈ではないのである。
さて、
この涙と共に煩悩を洗い流して、
明日からは、
残り多いとは言えない娑婆の激流を乗り越える為に、
再び復活する事としよう・・・。
激流に敢て棹差すは、
拙くも選んだ生き様だ・・・。
泣き言は、なしだ。
言挙げ仕様にも、
その存在は今生から永遠に消えた・・・。
誰もが通る途である。