あのルバング島の残置諜者・・・
小野田寛郎さんが生還して40年の2014年1月16日逝去された。
今日が生還日1974年3月12日から43年・・・。
過酷な時代、過酷な人生を、
常に前向きに生きた人生であった・・・!
過去を振り返って悔やんでも何も始まらない。
他人の所為にしても、
自分の人生には何の意味も見いだせない。
人生は、
自ら切り開くものだ、ということを教えてくれる。
いろいろ故小野田寛郎元少尉に対しては異論もあるが、
戦争を30年生き抜いてきたことには敬意以外見出せない。
諜者の使命を全うして、
戦争に明け暮れた日々・・・、誰がとがめることが出来よう。
30余名の殺傷をとがめ立てる謂われはない。
ルバングの事件を何でもかんでも、
彼にお仕着せる傾向は確かに在る。
濡れ衣も多かろう。
しかし、
彼は本物のサムライだから、
決して卑怯な真似はしていないと確信している。
また、
残置諜者の現実を目の当たりにして、
戦争の残酷性を論ずる者も居るが、
的外れだろう。
戦争は何においても残酷なものである。
それはしないに越したことはない。
が、
起これば、それに生きる以外に無かろう。
生き様とは、
場面場面に依るからである。
人間は、
荒魂(あらみたま)に生きる時もあれば、
幸魂(さちみたま)、
和魂(にぎみたま)、
奇魂(くしみたま)に生きる時もある。
戦争の時代は誰でも荒魂(あらみたま)だろう!?
それが人間の生き様であり、
要は、正義を貫くことだ・・・。
正義とは何か?
普通の社会では、人を殺さないことは正義だが、
殺し合いの戦争ではそうはいかない。
戦争は常に残酷であるから、
それに至らない事は肝要であるが、
これまでの歴史は戦争の繰り返しであった。
その場に身を置いた故人は、
軍人であり、
しかも、
終生を降伏することなく戦い抜くことを命令された諜者でもあった。
その生きざまは見事という他はない。
卑怯な手段を弄したならば批判も免れないだろうが、
それはない。
そして、
帰還後、前後を裁断して見事に生計を立て、
事業成功後は、
青少年の育成に尽力した。
魂の四魂を生き抜いた人生であったと思う。
まさに正義に生きた人生であった。
帰還後間もない折、
小野田の手記『わがルバング島の30年戦争』を、
食い入るように読んだが、
まさに有言実行の生き様であったと、
しみじみと哀悼を感じさせる動画である。
是非!
少し長いが、見ごたえがあるだろう・・・。
「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎