資本主義経済どうのこうのよりも、
所詮、インチキ、詐欺、カラクリがまかり通っていることが、
最大問題だ!!
かつて、BIS規制という問題が世相を、取りわけ、銀行を震撼させた。日本経済バブル後の時期であったかと思う。BISとは、国際決済銀行の略である。そのBISに於いて、もっぱら、国内取引銀行は、自己資本比率4%、国際取引銀行においては、同8%以上と規制された話である。
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当時、そういうものかな?、と言うぐらいの認識であったが、よくよく調べていくと何の根拠がないことが、判明した。その証拠に、今般の米国金融崩壊の発端となったサブプライムローン発端時に、米国は、国内銀行に限って、その規制をいち早く撤廃したからである。何のための規制か、いぶかしく思ったのも、つかの間、今度は、勝手に100日ルールとか作って、時価会計資産評価を繰り延べた。その為に、本来、サブプライムローン問題は、本来の暴発時期を2007年3月から、6月へ、さらには9月まで引き延ばして、調整崩壊させたことになる。
結局、規制だとか、ルールだとかいうモノは、その根拠を問えば、公正に照らして、意味がない。有るのは、ご都合に依っている。つまり、何とか現在の経済体制の齟齬(そご=くいちがい)を繕う都合である。
資本主義経済は、別名でいうと、マネー投機経済の様相を呈してきたことは疑いをぬぐい去れない。生産する、流通する、サービスを活発化するという本来の経済(実体経済)を活性化すると言うよりも、マネーがマネーを生み出す投機活動が、その大半を占めるようになったからである。金融工学という、大層な架空投機市場が創設されて、マネーというマネーがそこに注ぎ込まれてゆく。
本来の拡大再生産の資金需要とは、全くかけ離れた莫大な資金が信用創造され、実際の資金需要とは別に、バブル化した資産が想定され、企業そのものが商品のように売り買いされていく。その売り買いによって、実体経済の資金繰りは無視され、企業買収利益とその資産価値がコマーシャルペーパー化され、資金調達される。
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企業経営は、その経営そのもの手腕を問われるのではなく、企業資産価値の創造に費やされ、ある物は買収され、解体される。解体された部分は、スクラップされ、二束三文で捨て去られる。本体部分は、効率化され、最大限の人員削減と、労働集約化を図る。巷には、失業者の山である。市場原理主義の正体である。
しかし、しばらくは証券バブルを呈するから、一部の成金投資家が量産される。企業活動に全く関与しない博徒の輩である。生産性は一時的に向上したかに見えるが、バブルは必ず弾ける。
バブルが弾けると、時価会計資産は暴落する。一気に効率化された企業価値も、合わせて暴落する。資産バブルによった高収益決算会計は、一気に大幅損失、破綻決算会計に化ける。その為に、その綻びを繕うために、規制を変え、新ルールを設定するのである。それは、単なる時間稼ぎに過ぎない。
どこに、公正を見いだすことが出来ようか。
時価会計という会計基準を考案したのも、元々は何の必然性はない。M&A(企業買収)をし易くするためであり、バレッジド・バイアウト<LBO (leveraged buy-out)=買収対象企業資産を担保とする企業買収>のためであり、三角合併もそのうちに含まれるだろう。その目的のための方策に過ぎない。
要は、民の生業を基本とするあらゆる産業を、投機の市場に載せ、不安定をテコに自由に支配する手段として考案されている。規制、ルールに何の公正も正義もない。あるのは資本主義経済という大義名分で、賭博場の胴元が定めた『ぼったくり』の為のルールである。
ここで気づくことは、はたして、誰が儲かり、誰が損をしたか。一目瞭然である。高値売り逃げした物が儲かり、高買いで暴落に憂き目にあった者が大損をしたのである。これは、賭博詐欺である。最後に勝つのは、賭博場の胴元と、そのインサイダーである。
こうして、資本主義経済は投機(賭博)経済に堕落することによって、終焉を迎えることとなった。この構図は、ほんの一握りの専門博徒が、過半の利益を得、追従したチンピラ博徒が、なけなしの金を擦り(すり=なくすこと)、まじめな労働者が寒空で飢える構図である。
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BISはBank for International Settlementsの略で、国際決済銀行である。元はと言えば、ドイツの敗戦賠償金の決済銀行であった。所詮は、ぼったくり銀行である。その銀行が、規制する意味が分かるであろう。いかに世界の富をぼったくるかを目的としている。その銀行は、かつては日本の標的にし、バブルを崩壊させ、資産を暴落させ、銀行を潰した。そして、ハゲタカの餌食を提供したのである。
所詮は、インチキなのである。やることなすことインチキ、詐欺、カラクリのオンパレードなのである。その事が証明されたのが、今回の金融恐慌である。
資本主義経済といえども、その公正さと節度有るルールが確立されていれば、まだ、許される。信用創造という拡大再生産の手法も、物質文明の起爆作用としての功利はある。誰しも多くの人々は、それを信じ、願ってきた。今も、それに一縷の望みを託している。
しかしながら、これは罠であった。世界経済を牛耳る国際金融資本の罠であった。その証拠に、国際金融資本の息の罹ったアナリストは、過去に於いて、今日の今日まで楽観論しか発言していない。それは、おこぼれに預かろうとしたからである。
所詮は、投機であるから、賭場であるから、崩壊する時期が重要である。崩壊し、注ぎ込まれた富が最大限に達した時、市場を閉鎖する。即ち、賭博場を閉鎖するのである。その時を虎視眈々狙っている。
今は、その走りである。崩壊を危惧し、右往左往しているこの時、救済と称してあらゆる資金が注ぎ込まれる。これからである。注ぎ込まれるだけ注ぎ込まれた時、あらゆる国家は、債務超過に陥る。債権者は誰か。賭博場の胴元、その仕掛け人=国際金融資本である。
その時、登場して、デフォルトを受け入れる替わりに、金融統制をかけるつもりだ。経済支配が完成する。その時、すべての取引は停止される。証券の電子化は完成寸前だ。ネットの寸断で、情報は隠蔽される。その時、資産の勘定は恣意的に操作される。莫大な国家負債と電子化された証券情報。国家は負債のために、債権者の言いなりになる。国家は電子化された証券保有者に、踏み絵を課す。従順である者とそうでない者は振り分けられる。
ファシスト体制の経済的側面の完成に向けて、動きが始まった。