飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

資本主義経済の終焉!!⑬

2008-12-27 16:12:26 | 日本

資本主義経済どうのこうのよりも、
所詮、インチキ、詐欺、カラクリがまかり通っていることが、
最大問題だ!!


 かつて、BIS規制という問題が世相を、取りわけ、銀行を震撼させた。日本経済バブル後の時期であったかと思う。BISとは、国際決済銀行の略である。そのBISに於いて、もっぱら、国内取引銀行は、自己資本比率4%、国際取引銀行においては、同8%以上と規制された話である。

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<ロシア中銀が事実上のルーブル切り下げ、今月8度目>

 当時、そういうものかな?、と言うぐらいの認識であったが、よくよく調べていくと何の根拠がないことが、判明した。その証拠に、今般の米国金融崩壊の発端となったサブプライムローン発端時に、米国は、国内銀行に限って、その規制をいち早く撤廃したからである。何のための規制か、いぶかしく思ったのも、つかの間、今度は、勝手に100日ルールとか作って、時価会計資産評価を繰り延べた。その為に、本来、サブプライムローン問題は、本来の暴発時期を2007年3月から、6月へ、さらには9月まで引き延ばして、調整崩壊させたことになる。


 結局、規制だとか、ルールだとかいうモノは、その根拠を問えば、公正に照らして、意味がない。有るのは、ご都合に依っている。つまり、何とか現在の経済体制の齟齬(そご=くいちがい)を繕う都合である。


 資本主義経済は、別名でいうと、マネー投機経済の様相を呈してきたことは疑いをぬぐい去れない。生産する、流通する、サービスを活発化するという本来の経済(実体経済)を活性化すると言うよりも、マネーがマネーを生み出す投機活動が、その大半を占めるようになったからである。金融工学という、大層な架空投機市場が創設されて、マネーというマネーがそこに注ぎ込まれてゆく。


 本来の拡大再生産の資金需要とは、全くかけ離れた莫大な資金が信用創造され、実際の資金需要とは別に、バブル化した資産が想定され、企業そのものが商品のように売り買いされていく。その売り買いによって、実体経済の資金繰りは無視され、企業買収利益とその資産価値がコマーシャルペーパー化され、資金調達される。

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<GMAC、TARPから60億ドルの融資申請か=クレジットサイツ>

 企業経営は、その経営そのもの手腕を問われるのではなく、企業資産価値の創造に費やされ、ある物は買収され、解体される。解体された部分は、スクラップされ、二束三文で捨て去られる。本体部分は、効率化され、最大限の人員削減と、労働集約化を図る。巷には、失業者の山である。市場原理主義の正体である。


 しかし、しばらくは証券バブルを呈するから、一部の成金投資家が量産される。企業活動に全く関与しない博徒の輩である。生産性は一時的に向上したかに見えるが、バブルは必ず弾ける。


 バブルが弾けると、時価会計資産は暴落する。一気に効率化された企業価値も、合わせて暴落する。資産バブルによった高収益決算会計は、一気に大幅損失、破綻決算会計に化ける。その為に、その綻びを繕うために、規制を変え、新ルールを設定するのである。それは、単なる時間稼ぎに過ぎない。


 どこに、公正を見いだすことが出来ようか。


 時価会計という会計基準を考案したのも、元々は何の必然性はない。M&A(企業買収)をし易くするためであり、バレッジド・バイアウト<LBO (leveraged buy-out)=買収対象企業資産を担保とする企業買収>のためであり、三角合併もそのうちに含まれるだろう。その目的のための方策に過ぎない。


 要は、民の生業を基本とするあらゆる産業を、投機の市場に載せ、不安定をテコに自由に支配する手段として考案されている。規制、ルールに何の公正も正義もない。あるのは資本主義経済という大義名分で、賭博場の胴元が定めた『ぼったくり』の為のルールである。


 ここで気づくことは、はたして、誰が儲かり、誰が損をしたか。一目瞭然である。高値売り逃げした物が儲かり、高買いで暴落に憂き目にあった者が大損をしたのである。これは、賭博詐欺である。最後に勝つのは、賭博場の胴元と、そのインサイダーである。


 こうして、資本主義経済は投機(賭博)経済に堕落することによって、終焉を迎えることとなった。この構図は、ほんの一握りの専門博徒が、過半の利益を得、追従したチンピラ博徒が、なけなしの金を擦り(すり=なくすこと)、まじめな労働者が寒空で飢える構図である。

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<11月完全失業率は3.9%、短時間就業者など増加を注視>

 BISはBank for International Settlementsの略で、国際決済銀行である。元はと言えば、ドイツの敗戦賠償金の決済銀行であった。所詮は、ぼったくり銀行である。その銀行が、規制する意味が分かるであろう。いかに世界の富をぼったくるかを目的としている。その銀行は、かつては日本の標的にし、バブルを崩壊させ、資産を暴落させ、銀行を潰した。そして、ハゲタカの餌食を提供したのである。


 所詮は、インチキなのである。やることなすことインチキ、詐欺、カラクリのオンパレードなのである。その事が証明されたのが、今回の金融恐慌である。


 資本主義経済といえども、その公正さと節度有るルールが確立されていれば、まだ、許される。信用創造という拡大再生産の手法も、物質文明の起爆作用としての功利はある。誰しも多くの人々は、それを信じ、願ってきた。今も、それに一縷の望みを託している。


 しかしながら、これは罠であった。世界経済を牛耳る国際金融資本の罠であった。その証拠に、国際金融資本の息の罹ったアナリストは、過去に於いて、今日の今日まで楽観論しか発言していない。それは、おこぼれに預かろうとしたからである。


 所詮は、投機であるから、賭場であるから、崩壊する時期が重要である。崩壊し、注ぎ込まれた富が最大限に達した時、市場を閉鎖する。即ち、賭博場を閉鎖するのである。その時を虎視眈々狙っている。


 今は、その走りである。崩壊を危惧し、右往左往しているこの時、救済と称してあらゆる資金が注ぎ込まれる。これからである。注ぎ込まれるだけ注ぎ込まれた時、あらゆる国家は、債務超過に陥る。債権者は誰か。賭博場の胴元、その仕掛け人=国際金融資本である。


 その時、登場して、デフォルトを受け入れる替わりに、金融統制をかけるつもりだ。経済支配が完成する。その時、すべての取引は停止される。証券の電子化は完成寸前だ。ネットの寸断で、情報は隠蔽される。その時、資産の勘定は恣意的に操作される。莫大な国家負債と電子化された証券情報。国家は負債のために、債権者の言いなりになる。国家は電子化された証券保有者に、踏み絵を課す。従順である者とそうでない者は振り分けられる。


 ファシスト体制の経済的側面の完成に向けて、動きが始まった。


距離200m 落雷の衝撃的瞬間!!

2008-12-27 13:33:28 | 日本

なかな間近に遭遇出来ない!! 
落雷の決定的瞬間!!

 
地震・カミナリ・火事........。おやじは怖くなくなったが、間近に見る先の三つは、やっぱり怖い。いずれも間近に遭遇することは、希である。ましてや、記録に残ることは、特に少ない。


 直近の落雷のために、テレビのアンテナ部分から過大電流が流入し、ぶっ壊れた経験はあるが、落雷の瞬間は見ていない。そんなフラストレーションが少しでも持っている方には、必見!! 
 

距離200m 落雷の衝撃的瞬間
http://jp.youtube.com/watch?v=o1X9YG5LSPI
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【転載開始】2008年12月23日 19時05分00秒

http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20081223_lightning_movie/

超至近距離に落雷した瞬間を撮影、部屋のコンセントが火花を吹いてパソコンのモデムが故障

2004年に山口県で撮影されたムービーで、距離約200メートルという至近距離に落雷した瞬間を撮影したもの。このムービーをアップロードした人のコメ ントによると、「この落雷で部屋のコンセントが火花を吹き、パソコンのモデムが故障」したとのことなので、相当の威力があったようです。

衝撃ムービーの再生は以下から。

YouTube - 距離200m 落雷の衝撃的瞬間

こうやってコマ送りで見てみるとなかなか壮絶ですね……。【転載終了】


「終わりのとき」へのサタンの計画!!①

2008-12-26 12:49:59 | 日本

「終わりのとき」へのサタンの計画!!第1弾


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 <ブルーホール:記事に無関係>


 『終わりの日の預言』は、驚きの啓示(アカポリプス)であった。当時、充分に訳も分からず、夢中で転載公開した。全部で40編に及んでいる。元記事は、当初アクセス数が3~400だと記憶している。今は10,000近くに達している。記事内容も一新されて、充実度を増している。『生ける神』の預言は、現在も活発である。心ある方は直接に読み入ってほしい。


 投稿者は、無論、部外者である。しかし、この預言を真摯に受け止める者である。真実を追究する立場から、この記事に注目してきた。結果、現在時点、一点の非の打ち所がない。聖書を読む立場(投稿者はクリスチャンではない)から見ても、その一貫性は驚くモノがある。


 その中で、取りわけ、『隠されたモノで、顕れないモノはない。』という観点から、これまでの陋習を数多く打ち破って、聖書に纏わる真実が明かされているが、ここにも注目をしなければならない。これから、順不同ではあるが、任意に抽出し転載していきたいと思う。


 転載に関し、原文に忠実をモットーとする。誤字・脱字さえも、そのママ転載し、ご高覧に供したい。前にも書いたが、転載中止要請があれば、その時点で中止する。お目に叶い、ご加護があれば、転載し続けることが出来るものと思う。


 話は、横に外れるが、ベンジャミンさんのブログに、クリスマスについての見解があったが、全く同感であるので、合わせて、転載する。これも陋習を打ち破る一環である。拙稿『クリスマスは6月17日であることが天体観測で判明 !!』と合わせ読んで頂けると、双方の真実味が増すと思う。結局、聖書は改変された。


【ベンジャミン転載開始】12/25/2008 

クリスマスの由来     

欧米のクリスマスと日本の正月は同じ由来がある。おそらくこの祭日の始まりは数万年前にさかのぼるのだろう。
現 代文明人はあまり空を見なくなったが、従来の人類は空を使って生活の規律を図った。冬になると太陽の沈む場所が北へ移る。そして一年で一番日が短くなるの が12月21日である。その後、三日間同じ場所に太陽が沈むように見える。そして12月25日より再び南へ向かって太陽は沈み始める。

こ れを理由に古代の様々な宗教では、「神様(太陽の神)が亡くなって三日経ってからまた生き返る」という。ローマ帝国はその太陽の神を「キリスト」とすり替 えた。しかし人々の行いは殆ど変わらない。この日には家族全員が集まり御馳走を戴く。また欧米の家庭のドアの上には、日本の「正月飾り」と似たものを飾 る。おそらくこの新年の祭りは四万年以上前にさかのぼる。

About Christmas and Japanese New Years.

The celebration of Christmas in the West and the Japanese New Year’s celebrations have the same origin. In modern civilization we do not look at the sky very much but our ancestors regulated their lives according to the skies. The most basic thing they noticed in the winter was that every day the sun would set further north and the days would get shorter. The shortest day is December 21st . After that, for three days the sun would appear to set in the same place before setting further south again on the 25th of December. That is why the ancient religions worshipped a sun God who died and was reborn after 3 days. The Romans substituted Christ for the sun God. However, the average people continued to celebrate as always: they would gather their family and have a feast. In the West they hang a wreath over the door, in Japan they also hang a very similar type of wreath. This suggests the custom has a common origin, one that may go back as far as 40,000 years ago. So, Merry Christmas and a Happy New Year.【転載終了】

 

【転載開始】 「終わりのとき」へのサタンの計画

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http://homepage2.nifty.com/elienay/index22.html

    近代フリーメーソンは1717年6月24日、ロンドンでのグランド・ロッジ結成によって発足した。その後、メーソン結社は、1725年パリ、1726年プラハ、1728年マドリード、1733年イタリアおよびボストンと、またたく間にヨーロッパ中に拡がり、1733年には126ロッジを数えるまでになっている。
     彼らは「全人類が一致して信仰できる神」をかかげ、その神は「宇宙創造の神」だとする。
     カトリック内にも多くのメーソン員がいたが、1738年に法王クレメンス12世が「フリーメーソン否認の勅命」を発布し、メーソン員は破門されることになった。これによりメーソンは秘密結社として地下にもぐり、これが1773年のグラントリアン・ド・フランス(フランス大東社)結成のきっかけとなった。
     フランス大東社はイエズス会の修道院に居をかまえ、後にオルレアン公となるルイ・フィリップを長とした。ロッジでは進歩的な貴族、新興ブルジョア、労働者が一体となって、フランス革命前夜の「自由・平等・博愛」を求める政情を形成し、会員数を増やしていった。そして1789年、パリ市民が「絶対主義」の象徴であるバスチーユ監獄を襲撃し、フランス革命の火ぶたが切って落とされた。ルイ・フィリップは自分の宮殿にメーソン員を集めて、そこを司令部とし、騒乱をあおるために膨大な資金を提供した。
      『百科全書』も、新しい精神で世界を変えようとするフリーメーソンにより1751年、ディドロとダランベールによって作られ始めた。百科全書家のダランベール、ホルバッハ、ヴォルテール、コンドルらはメーソン員である。
     これらの集団から1769年、「百科全書のロッジ」とも呼ばれるロッジ「9人姉妹」が結成された。ロッジには、ベンジャミン・フランクリン、ヴォルテール、ラ・ロシュフコー、ラファイエット、シエース、デムーラン、ブリソーらが属していた。さらにもう1つのエリート・ロッジ「大貴族」には、ミラボー、ボーアルネ、ボーマルシェらが属していた。
     1789年の「人権宣言」は、ラファイエットが中心となって、メーソンのロッジ「エクス」で作られた。当時、48名のフランス貴族がメーソン員で、宮廷に出入りする外交官のほぼ全員がメーソン員であった。将校のための軍事ロッジや下士官のためのロッジも作られ、1385名の軍事ロッジ・メーソン中、1032名が将校だったという。その中には、ラファイエット、デュムリエもいた。彼らにより、革命勃発後、フランス軍は市民と連動し、国王を見限って革命側についたのである。1789~91年にかけて革命運動は上層知識人から市民にまで広がり、立法議会内にも支持層を獲得し、大きな民主主義運動となって、1791年の憲法発布となる。ロベスピエール、ブリッソー、ダントン、マラー、デムーラン、エベールなど、運動の主な担い手の大半がメーソン員であった。

     彼らの理想が、真の意味で現実化したのはアメリカにおいてであった。
     アメリカ新大陸では、1607年の清教徒によるジェームズタウンの植民が宗教的開拓の初めであるとされている。ついで1620年12月21日、ピルグリム・ファーザーズ(巡礼父祖)と呼ばれる清教徒たちがメイフラワー号でプリマスに上陸して、信仰と自由と独立を求めて植民する。しかし、この建国神話は事実ではない。メイフラワー号の乗客102人のうち、分離派教徒はわずかに35人にすぎず、あとはヴァージニア植民地でひと旗揚げようとした英国国教会の信徒であった。巡礼父祖(ピルグリム・ファーザーズ)という言葉が使われるようになったのは、メイフラワー号から200年近くたってからである。
     その後、さまざまな宗派が移り住んだが、やがてアメリカに「フラムの子ら」が上陸する。彼らが入ったのは、1720年代の後半である。1733年、ボストンに「ファースト・ロッジ」が開かれ、ヘンリー・プライスがイギリス本国のグランド・ロッジの承認を得てグランドマスターになり、その後、アメリカの13植民地にフリーメーソンのロッジが広がった。彼らは「信仰覚醒運動」または「再生主義」と呼ばれる運動(聖霊降臨によって再生することを主張することで信徒を鼓舞し、不信者を信仰に招き入れるという集団的群集心理を利用した伝道)を用いて、教会に浸透していき、教会を拡大していった。そこにはヨーロッパのキリスト教のように神学が介在する余地はなく、彼らには極めて好都合であった。
     アメリカの国教は当初からキリスト教もしくはプロテスタントだと誤解されているが、アメリカ憲法修正第1条は、国家宗教の樹立を禁止している。1796年、ワシントン大統領はトリポリ条約で、「いかなる意味においても、アメリカ合衆国はキリスト教国家ではない」と宣言している。アメリカ合衆国が「キリスト教国家」になるのは、20世紀に入ってからなのである。ヨーロッパからアメリカへ移住した大部分の人々は、宗教の自由を求めて海を渡ったのではなく、宗教からの自由を求めていたのである。19世紀半ば、1850年の統計によると、当時のアメリカ人のうち、教会に登録していたのは人口の16パーセントにしかすぎなかった。新大陸の人々をまとめていたのはキリスト教ではなく、フリーメーソンの理想だったのである。
     「9人姉妹」ロッジに属するメーソンのラファイエットは1777年、アメリカの独立戦争を助けるため、自費で軍隊を率いていき、ジョージ・ワシントンの軍事ロッジに加入して、共に自由と独立のために戦った。その前年、すでにベンジャミン・フランクリンはアメリカの新共和国の外交代表としてフランスを訪れ、パリの「9人姉妹」ロッジの第2代大統領として、アメリカの自由と独立へのフランス人の同意を広め、独立戦争への支援を得ることに成功していた(彼は1731年にメーソンとなり、稲妻と電気の関係を証明したことをはじめ、自然科学の分野で業績をあげた。彼はイギリスのロイヤル・ソサエティと、フランスの科学アカデミーの会員にもなった。自然科学はメーソンの思想の一部である。フランクリンはフリーメーソンの人脈を巧みに利用し、独立戦争においてフランスをアメリカと同盟、参戦させた功労者である)。
     アメリカ建国の父ジョージ・ワシントンもまた有名なメーソンであった。彼は1752年にメーソンになった。彼の属するロッジは、ヴァージニアの上層階級のクラブであった。独立戦争が始まると、軍隊では盛んに「軍事ロッジ」が創設される。ワシントンはこの移動する軍事ロッジの先頭に立ち、メーソンの正装をし、行進した。
     1787年にはアメリカ合衆国憲法が制定され、1789年にはワシントンが初代大統領に就任した。このときワシントンは、ニューヨーク・グランド・ロッジのグランドマスターであった。そして同年、連邦議会の行政機関としての国務、財務、陸軍、司法の4省を設け、アメリカ政府の重要な機構を確立した。その長官に任命されたのは、国務長官トーマス・ジェファーソン(後の第3代大統領)、財務長官アレクサンダー・ハミルトン、陸軍長官ヘンリー・ノックス、司法長官エドモンド・ランドルで、副大統領はジョン・アダムス(後の第2代大統領)であったが、その全員がフリーメーソンである。ジェファーソン、アダムスと共にアメリカ独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンもフリーメーソンである。独立宣言は彼らの宗教的信条、自然法観、自由と平等という政治的理念をあらわしており、フランスの人権宣言と共通している。
     1793年、連邦議会の議事堂がワシントン・D・Cに建設されることになったが、ジョージ・ワシントン大統領はその礎石式に堂々とフリーメーソンの儀式用礼服を着用して出席している。胸にはメーソンの標章をつけ、まわりの列席者もすべてメーソンの礼服と標章を身につけていた。その儀式はフリーメーソンのロッジと提携して行なわれた。有名なワシントン記念塔(オベリスク)も、メーソンの力で生まれた。1886年、フランス政府はアメリカ独立100周年を記念して「自由の女神」像を贈るが、その制作者フレデリック・バルトルディもメーソンである。アメリカ建国がフリーメーソンの精神であることは、アメリカ合衆国の国璽にその象徴が表われていることからも明らかである。裏側には未完成のピラミッドが描かれ、冠石の位置に「万物を見る眼」(フリーメーソンの象徴)が描かれている。この絵は一ドル紙幣の裏側にも描かれている。【転載終了 続く】

 


とりあえず、『飯島 愛』の死の予告ビデオ?!!

2008-12-25 10:09:11 | ニュース

とりあえず、『飯島 愛』の死の予告ビデオ?!!
本当に当たってしまった!

驚きの動画!!


 無常は、世の常。心より、お悔やみを........。


 死は、突然、しかも確実にやってくる。そして、その時、対峙するのは裸の自分しかない。すべてを捨てるしかない。


飯島愛 台湾の占い師が自殺を予告
http://jp.youtube.com/watch?v=Rg4uMyyo53Q
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OUT OF EDEN との決別の辞!!

2008-12-24 08:17:17 | 日本

尊敬する達人さん(OUT OF EDEN管理人)への決別の辞!!
達人さん! ありがとう!
でも、そろそろ、潮時だ!!
さようなら!!


 結局、最後の転載記事となる『FEMAが動く時、何が起こるのか?!』 によけいなことを書いたモノだから、案の定、お怒りとも、お叱りとも判然としないコメントを頂くこととなった。

>氏の訴求力は乏しい......

今まで勝手に転載した拙稿を全て削除されたし。

投稿 OUT OF EDEN | 2008-12-22 11:24

 勿論、直ちにお返事した。

<返事>


その儀、一切お断り!

頼まれて、転載は一つも無し、
頼まれて、削除、あり得べからず。

但し、向後、転載一切断念!

転載するは、ファンの証、
転載断念は、不安の証。
                   
批判、反論は、本稿にて。    飄平


 勿論、しばし黙考した。書き方がちと悪かったかな。誤解を与えたかな。等々。


 しかし、読み返していく内に、誤解は氏の方だと判断した。『訴求力』というのは、言うまでもなく、寄付に対しての訴求力の意である。記事内容についてでないのは、全体を通して明らかだ。そうでなければ、転載などしない。


 で、上記の返事となった。


 転載する以上、その記事に依拠している部分は大きい。しかし、ウラは取る。捜査機関の『ウラ』と言うほどでは当然ないが、自身の理知を納得させるウラは他の情報に依存する。そのまま丸ごと鵜呑みと言うことはない。そうして出来た、転載である。


 それを、削除せよとは、いささか乱暴である。自意識過剰と言っても良いかと思う。


 『綸言、汗のごとし!』とは、この場合に当てはめても、理解を得られると思う。転載するほどの記事だから、もう後戻りは出来ない。削除するなど、氏の希望だけで応ずることは出来ないのである。それを要求するのも子供じみた暴言と言うほかない。それに、氏の主張と一貫性がない。既に削除されているけれども、氏は転載に関して、一家言を露吐している。それに準拠したまでだから、尚更である。


 尚、転載は、出典を銘記し、その意図を表明している。それは協賛であり、共闘であり、支援である。その余はない。ましてや、転載に関して、誹謗中傷は一切ない。天地神明に誓って削除を要求されるいわれはない。


 氏に対し、当然、批判はした。しかし、誹謗中傷乃至批難はない。批判は、言論の自由であり、当然、反論に値する。個我の確立があれば、批判に耐えられて当然だ。それは氏の主張そのものでもある。果たして、首尾一貫があるのか、不安になった。ファンが不安になったら、ファンでなくなる。それが、決別の意図だ。


 しかし、いろいろ勉強させて頂いた。感謝申し上げる。