草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

最近見たドラマ

2024-04-02 10:49:15 | 日記

最近見たドラマ

「生きるとか 死ぬとか 親父とか」

 愛嬌はあるが自由奔放な父と、それに振り回される中年の娘の物語。2021年4月10日~6月26日にテレビ東京系で放送されたものです。原作はジェーン・スーのエッセイ集。今回はNETFLIXで見ました。

 吉田羊扮するトッキーとこ蒲原トキコは人気のエッセイストであり、悩み相談が人気のラジオのパーソナリティでもあります。一方國村隼扮するのは父親の哲也です。

 國村隼さん演じる父親。商売に失敗して全財産を喪失して、最愛の妻も早くに亡くしておりまして、今ではお気楽な一人暮らし。素敵な新居に引っ越したのですが、家賃の足りない分は娘のトッキーさんに、当たり前みたいな顔で頼ってくるのです。

 一方娘のトッキーさん。そんな父の頼みに心よくと行かないまでも、不承不承に出してあげる。それだけ仕事が順調なのでしょう。主婦層を中心に熱心なファンもおり、ラジオの悩み事相談は好評です。

 でも本人は現状に満足ってわけじゃあないみたいですね。そんな時父についてのエッセイを書くことになり、二人は頻繁に会うようになるのです。ところが楽しい思い出ばかりではないのですね。

 トッキーさんの中には「あの時の父さん許せない」みたいな所があるのですが、さすがに大人の女性ですね。声を張り上げて父親を責めるのではなく、気の利いた文章でありのままに書いていくのです。

 父親の方も娘の気持ちを分っているのですが、言い訳なんかしません。「お前の仕事なんて関心ないな」って感じですね。でもこのお父さん。毎回いい事言います。

 とりわけ印象的だったのは最終話(生きるとか死ぬとか)の中です。

 父について綴ったエッセー本も完成し、二人の間には穏やかな空気が流れていました。ある日二人は母の形見の包丁を研ぎに、創業230年になる下町の老舗金物屋を訪れます。

「タワーマンションがどんどんと建って、下町情緒がなくなってしまう」なんてトッキーさんは嘆くのです。ところが老舗金物屋のおかみさんは「タワーマンションが建ち人が増えてよかった」といいます。

「そんなものだろうか」トッキーさんは女将の言葉が、どうにも割り切れません。実はトッキーさん。毎週金曜日の夜のラジオ番組を、月曜日から金曜日の昼間の時間帯にやってもらいたいと打診されていたのですた。

 内容は変えずにいままで通りにとのこと。果たしてそれでうまくいくのだろうか。昼間のリスナーにすんなり受け入れてもらえるだろうか。そこでトッキーさん思い切って父親に相談してみました。 

 その時父親の答えが印象的でした。

「さっきの金物屋の女将を見習わなきゃ。あの女将はタワーマンションなんかが建って、周りがどんどん変わっていくからこそ、変わらない自分たちの店が、一層目立っているってことが分かっているのさ。周りの変化があの店の風格を作っているんだよ。

 だから同じことを、手を抜かないでやってりゃ商売はうまく行くってこと……

 お前の仕事だってそうだ、おんなじことやっていればいいんだ」

 トッキーさん吹っ切れたようですね。

「うつろいゆく物のなかで、常に変化にさらされている場所だからこそ、変わらないでいることが輝いてみえる」と語っていました。

 先日上野動物園に行ったことを書いたのですが、帰りはバスに乗りました。沿道のおしゃれな建物の中に、何軒かは古い構えの店がありました。不思議なもので、そういう店に行ってみたくなるものですね。なるほどと思いました。

 「生きるとか死ぬとか親父とか」

一味違った「父と娘」のドラマでした。


四月から

2024-04-01 11:04:39 | 日記

四月から

 今日から四月ですね。毎日見ていた朝ドラも最終回を迎え、今日からは新番組がスタートしましたね。三月が終わりの月なら、四月は始まりの月ですね。

 一歳半になる二女の子どもは、今日から保育園に通はじめます。また一年間上の子と別々の保育園だった長女の下の子どもは、今日からは上の子どもと一緒の保育園に転園します。それから長男の第二子は、今度の土曜日が幼稚園の入園式です。

 みんな泣かずに行けるでしょうか……。新しい環境に早く慣れますように。友達ができますように。桜の花を見ながら、孫たちの顔を思い浮かべております。

 さて新生活にスタートを切る孫たちに比べ、私たち夫婦は何ら変化の無い日々を過ごしています。朝起きて夜寝るまで、一日があっと言う間に終わってしまいます。年を取るにしたがって、もっと早く感じるようになるとか?

 でもこんな毎日を過ごしている私たちの所にも、やはり四月はやってきました。そして新しいことも起こりました。今まで可燃ごみとして出していたプラスチックですが、四月からは分別して出すようになったのです。

 「えっ、今頃」なんて言われそうですね。確かに他の自治体はもっと早くから実行していますね。「どうして当区は分別しないのか」今まで不思議に思っていました。ですから分別に不満はありませんでした。ただ夫はどう思っているのかとちょっと不安でした。

 でも意外に素直に分別を受け入れてくれました。土曜日に可燃ごみを出した後、いよいよ分別をスタートしました。お菓子の袋やヨーグルトの容器、ほうれん草の入った袋まで、ほとんどの物にプラスチックのマークがついていました。おかげで可燃ごみがずいぶん少なくなりました。

 夫はプラマークを見つけるが楽しいのか、いろんな容器を調べ始めました。化粧品や洗剤の詰め替え容器、いろんなものにプラマークがついていまし。

「あっ、こんなものまで」

 夫が見つけたのは皮膚科で処方された、ローション状の塗り薬の入った小さなボトルでした。

「えっ、これも洗って出さなければいけないの」

ちょっと面倒くさい。と、その時思いました。


正しい傘のさし方

2024-03-30 12:14:44 | 日記

正しい傘のさし方

 昨日は強風の中、歯医者に行きました。こんな日は不要不急の外出は避けた方がいいのでしょうが、二ヶ月も前からの予約でしたので行ってきました。

 それにしてもすごい風でしたね。さしていた傘が風にあおられて、お猪口になってしまいました。当地では傘がお猪口になることを、ハッタケになると言います。ひっくり返った傘の形が、はっ茸という茸に似ているからです。 

 傘がハッタケになったなんて、何年ぶりでしょうか。子どもの頃には傘を振りまわして、わざとひっくり返して遊んだ思い出もあります。しかし子どもならとにかく、大人はそんなことで喜んではいけませんね。

 ひっくり返った傘を元に戻すと、吹き飛ばされないように斜めにさして歩きました。駅前の通りは人通りが多くて、飛ばされた傘が近くの人に当たってしまっては大変ですからね。

 さてやっと駅前を通り過ぎ、今度は横断歩道を渡りました。ここも多くの人がすれ違うので、より注意しなければいけません。傘を力いっぱい握り締めて歩いていくと、向こう側から高齢者と付き添いの女性が歩いてきました。

 二人とも小柄でとても細身です。でもよく見ると、二人とも笠をささずに手に持って歩いています。なるほど、こんな強風の中で傘をさしても、濡れるものは濡れるのです。返ってささない方が安全ですね。

 そこで私も傘を閉じて手に握って、足早に横断歩道を渡り歯医者に行きました。雨には思ったほど濡れてはいませんでした。また歯医者では、歯の磨き方がとても良いと誉められました。

 昨日は強風の中での正しい傘のさし方を学ぶことができ、歯の磨き方を誉められました。強風の中のでの外出ではありましたが、とてもいい日になりました。


あと一輪たりず

2024-03-29 08:59:20 | 日記

「あと一輪たりず」

  桜の花の開花発表の基準は「5~6輪以上の花が咲いた状態」だそうですね。昨日(3月28日)の靖国神社の境内にある桜の標準木には、4輪しか咲いていませんでした。お待ちかねの開花宣言は、29日以降に持ち越されましたね。

 果たして今日は開花宣言があるのでしょうか?咲いたからって日常生活が大きく変わるわけはないのですが、それでも待ち遠しいですね。それにつけても「5~6輪以上咲いた状態」なんて条件が付いているのは知りませんでした。

 さて開花宣言の待たれる中、一昨日(3月27日)になりますが、私は末娘母娘と上野動物園に行ってきました。この日は久しぶりに晴れましたね。暖かくなるのかと思ったら、意外に寒くて風が冷たかったです。いったん外に出たのですが、引返して上着を羽織って出直して正解でした。

「桜はまだだし、平日なので少しは空いているかも」なんてことはまったくありませんでした。さすが上野公園ですね。いつ来ても人がいっぱいですね。とりわけ海外からの観光客が多かったですね。

 ただ本来ならば桜が満開のはずなのに、今年はまだまだです。桜の時期に合わせてやって来る人も、多くいるのではないでしょうか?なんだか気の毒になりました。

「どこかに一輪でも咲いていないかしら?」

 そこで私は一本の木の下で、咲いている花を探してみました。すると咲いていました。太い幹の真ん中あたりから出た爪楊枝くらいの細い枝に一輪。また幹から直接出ている蕾の中にも一輪。よく見れば春はもう来ていたのですね。

 娘は道に迷ったとかで、約束の時間になってなかなか現れませんでした。その間ずっとその桜の木の下で待っていました。多くの観光客が残念そうに通り過ぎ、何語かは分からないいろんな言葉が聞こえてきます。

 そこに観光客らしい女性が苦笑をしながら、私の立っている桜の木にスマホをむけました。きっと満開の桜の花を写したかったのでしょうね。私は邪魔にならないように横によけて「どうか桜の花に気づきますように」と願っていました。でも気づかずに行ってしまいました。

 ああ、残念!どうして声をかけなかったのでしょうか……。何でもいいじゃないですか、知っている言葉を並べて桜の花を指させば、分ってもらえたのかも知れません。それなのに私は恥ずかしくて声なんかかけられなかったのです。こうゆう性格なのですね私は……。

 以前家族でニューヨークに行ったことがあります。その時もそうでした。朝食後ホテルのロビーでエレベーターを待っていた時でした。同じホテルの宿泊客に話かけられました。

「こんちわ、ありがとう、はじめまして……」

 彼は知っている限りの日本語で、楽しそうに話かけて来ました。それに対して私は何と言って答えていいのか分からす、困ったように微笑むだけでした。でも彼の方はそんな私にお構いなく、どんどん話しかけてきます。やがてエレベーターのドアが開きました。

「はば、ないすでぃ!」

 私はそれだけやっと言えて、エレベーターに飛び込むと手を振りました。すると彼は正確には彼一家は、手を振って答えてくれました。あの時は嬉しかったです。

「ああ、今私はニューヨークにいるのだって」思いました。今思えば、一番の思い出かも知れません。だから一昨日も思い切って話かけてみればよかったですね。

「ヘイ マダム! ルック ルック!サクラフラワー」なんてね。身振り手振りを添えてね。

 できたらよかったのですが、あと一輪分勇気が足りませんでした。残念!


ゴミは分別して集積所に!

2024-03-25 09:55:50 | 日記

ゴミは分別して集積所に

 NHK大河ドラマ「光る君へ」を毎回楽しみに見ています。「平安時代」「紫式部」と聞いて正直な話、今年は期待できないと思っておりました。ところが見事にその良くない期待を裏切ってくれて、初回からハマってしまいました。

 昨夜は「庚申待の夜」が出てきましたね。六十日に一度やってくる庚申の夜に眠ると、腹の中にいる三戸(さんし)の虫が天に上り、天帝にその人の罪を告げる」と言われていました。そこで寝ずに夜を明かして、三戸の虫が天帝のところに報告にいかないようにするのだとか。

 古くからある行事で江戸時代に入ってからは民間にも広まったそうです。当地区でも私が高校生くらいのころまでは、この「庚申待」をやっておりました。

 二十数件ある小さな地区の中で同じ姓を名乗る家が十四・五軒あり、当番の家に手肴を持って集まり、酒盛りをしていました。また○○組と同じ姓の家同士で自分たちのことを名乗り、地区の共同墓地の近くに庚申塔を建立しておりました。

 庚申塔は庚申さまと呼ばれ、今でも○○組の有志でお世話をしています。姉もその中の一人で、墓参の後には必ず寄って掃除をしていきます。いつもきれいにしてもらって庚申さまも嬉しそうです。ただあの変なものさえなかったら……。

 さて何が変なのかと申しますと、この庚申さまの足元に「毛沢東」の置物が置かれているのです。毛沢東は椅子に腰かけ本を読んでいます。誰が何のために、また何時の頃に置いたのか分かりません。気がつくとそこにあったそうです。

 たぶん誰かが中国旅行のお土産に買って帰り、処分に困って置いたのではないか推測されますが、それも定かではありません。一度不燃ごみに出そうかという話になったそうですが、神さまの近くにあるものを勝手に処分するのも躊躇われて、そのままになっています。

 正直な話、そんなもの置いて行かれても困ります。私たち同じ姓を名乗る○○組(組を名乗るからって決して反社会的勢力ではありません)が、そうゆう思想の持主だと思われかねませんから。

 今さらこんなことを言っても手遅れなのですが「誰とは言えない誰かさん。ゴミは分別して集積所に持ってくれませんかね!」