えんどう飯が炊けるまで
今年もえんどうが実る季節になった。いつもの年なら周りを網でぐるりと囲まないと、鳥に実を食べられてしまうのだが、今年は網を張らなくても食べられなかった。
山に食べ物がたくさんあるのだろうか。そういえば畑の脇に生えている野イチゴもたくさん実をつけていたが、気がつくと一粒残らず鳥に食べられていた。熟れたら食べようと思っていたのに残念だ。それでもおかげでえんどうの実を食べられずに済んだのだから、これでよしとしなければ。
夕方近く、日よけ帽の中にエンドウを摘み取り家に帰った。パンパンに膨らんだ鞘の中から、行儀よく並んだ緑色の豆がボールの中に落ちていく。今夜はエンドウ飯にしよう。
お米を研ぎながら、ふいに亡くなった母のことを思い出した。母は生前えんどうの実を剥きながら、昔はえんどう飯を炊く暇も無かった。とよく言っていた。
えんどうの実るこの時期は、農家は麦の刈り取りや田植えの準備で、とても忙しかった。今でこそ大型の機械を使って終わらせる仕事も、昔は何もかも手作業だった。
その上仕事は、麦の刈り入れや田植えの準備だけでは無い。油を搾る菜種の刈り入れや、七島井(しっとうい)と言われる畳表にする井草の植え付けをするのもこの頃だった。
我が家は兼業農家だったので、これらの仕事は全て母の肩に掛かっていた。せっかく実ったえんどうを、ご飯に炊き込む暇さえなかったのだろう。モンペ姿で忙しく働く母の姿を思い出す。
炊飯器から湯気が上がり、えんどうの炊ける美味しそうな香りがしてきた。えんどう飯の炊ける間、忙しかった母のことを思い出していた。
よく働いたね。母ちゃん。今年もエンドウ飯を炊いたよ。