草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしり作「ヨモちゃんと僕」後10

2019-09-25 05:44:17 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後10

(夏)逃げる④

 でも朝はきました。

「しまった、帽子を忘れていた」
 トキオに買ってきた麦わら帽子を、外に出しっ放しだったのをお父さんは思い出したようです。風が少し弱まってきました。お父さんは帽子を取りにいこうとして、勝手口のドアを開けました。とたんに勢いよく風が吹き込み、壁に張られたカレンダーを大きく揺らし、止めていた画びょうをはじき飛ばしました。
「危ないな」
お父さんはドアを開けたまま、画びょうを拾いに行きました。

「今だ」
 ぼくはその隙に外に飛び出しました。
 あんなに吹き荒れていた風が止み、雨も小降りになってきました。台風の目に入ったのでしょう。風に吹き飛ばされた木々の葉っぱや小枝が、雨に濡れたコンクリートの上にへばりついています。
「ああ、やっぱり無いか。吹きとばされてしまったようだな」
 お父さんが麦わら帽子を探しにやってきました。でも風に吹きとばされてしまって、帽子はどこにも見当たらないようです。帽子を探すお父さんの足音がだんだんと遠退いていきます。勝手口のドアが閉まり、人の気配の消えた庭に風が吹き抜け、微かに潮の匂いがしてきました。もうじきあいつがやって来ます。

 お父さんの目を盗んで外に出たぼくは、車庫に止めてある軽トラの荷台の下に潜り込みました。
 ここならあいつもやっては来ないはずです。ツバメが攻撃を仕掛けてくると、ヨモちゃんはいつも軽トラの下に逃げ込んでいます。空を自由自在に飛びまわるツバメも、ここまではやって来ることはできません。空からやって来る台風だって、この下ならばやって来ることができないはずです。ぼくはタイヤの陰で息をひそめて、石のようにうずくまっています。
「えっ」
 気が付くとヨモちゃんがぼくの隣にいます。いつの間にきたのでしょう。さすがヨモちゃん、気配を消すことにかけてはぼくなんか足元にもお呼びません。地面にうつ伏せて脚も尻尾も体の下に隠して、頭を下に向けています。ぼくとまったく同じ格好をしています。  

 毛色も毛並みもまったく違うぼく達ですが、こうやって丸くうずくまってしまったところを上から見ると、そっくりに見えるのです。前におサちゃんが見間違えたこともあるし、台風だってこの前は間違えてしまいました。 
 ヨモちゃんはいったい何のつもりで、こんな格好をしているのでしょうか。危ないから早く家の中に隠れて欲しいのに。でも今それを言うとあいつに気づかれてしまう。ぼくはただ黙ってうずくまっているしかありません。

 潮の匂いがしだいに強くなってきました。突然強い風が吹きこみ、ぼくは軽トラの下から外に押し出されました。
「迎えに来たよ」
 あいつの間延びした声がして、ぼくの体がふわりと浮き上がりました。とたんに、ドンと体に強い衝撃を受けて、ぼくは地面に落ちました。
「邪魔をすると、お前も連れていくよ」
 ヨモちゃんが風に吹き飛ばされて行きます。ヨモちゃんが体当たりをして、ぼくを逃がしてくれたのです。

「逃げろ」
 耳の奥で声がしました。はじかれたようにぼくは走り出しました。
「もう逃がさないよ」
 ぐいと首輪を引っ張られ、そのまま体が浮き上がりました。あたりは強い潮の匂いがします。意識がだんだんと薄れていき、ぼくは手足をだらりと下げたまま、空に引き上げられていきまました。
「逃げろ」
 耳の奥で声がしました。ヨモちゃんがぼくを見上げています。
「えーい」
大きくジャンプしたヨモちゃんの前脚が、ぼくのしなだれた尻尾に触れました。
 
「逃げる」
 ぼくは尻尾を大きく膨らませました。ぼくはグングンと空に引き上げられていき ます。頭の上で間延びしたあいつの鼻歌が聞こえて来ました。ぼくがもう逃げられないと思って安心しているのでしょう。

 ヨモちゃんの姿が、だんだん小さくなっていきます。仏壇の部屋のまんまんさんたちが、屋根の上にいます。一番高い棟の上に立ってぼくを見上げています。男のまんまんさんは何か叫んで、女のまんまんさんは麦わら帽子を持っています。帽子はお父さんが探していたトキオの麦わら帽子です。あんな所にあったンだ。

「逃げろ」
 女のまんまんさんが、麦わら帽子を空に向かって放り投げました。
「逃げろ」
 風に乗って帽子がフワフワとぼくの所に飛んできました。
「逃げろ」
 ぼくは帽子を捕まえました。あご紐を前脚で押さえ、体中の毛を大きく膨らませました。
「逃げろ」
 ぼくの周りをツバメたちが輪になって飛んでいます。

「逃げる」
 ぼくは前後の脚を大きく左右に広げ、大きく息を吸い込んで首を大きく横にねじりました。
「かちっ」という小さな音をたて首輪が外れました。麦わら帽子と大きく左右に開いた体とフサフサの尻尾が風に乗り、ふわりと空中に浮かびました。あいつの鼻歌が聞こえ、目の前には残念さんの大銀杏の木のてっぺんが見えます。
「逃げろ」
 カラスが飛び立ってきました。パタパタと羽音が聞こえ、黒い羽が一本ハラリと落ちました。

「逃げる」
 大きく膨らんだ尻尾でバランスを取りながら、ぼくはゆっくりと下に落ちていきました。ちょっと間延びしたあいつの鼻歌がまだ続いています。ぼくが逃げ出したことに、あいつはまだ気がついていないでしょう。
 残念さんの大イチョウの枝の先に何とか辿り着きました。枝は神社の参道の上にまで大きく張り出していました。ぼくの落ちた重みで枝の先が大きくしなり、そのまま下に落ちてしまいそうになりました。爪を立てて枝の先にしがみ付き、やっと枝から落ちずに済みました。そのまま下に落ちていたら地面にたたきつけられて、ペチャンコになっていたでしょう。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」後11

2019-09-25 05:43:31 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後11

(夏)逃げる⑤
 
「逃げる」
 なにがなんでも逃げてやる。
 あいつの歌声が空の上から聞こえてきます。ぼくは大きく息を吸い込み、尻尾を大きくふくらませました。空に向かって大きく後ろ足を蹴り上げ、枝から飛び出しました。ふわりと体が浮き上がり、静かに下に落ちていきました。
 地面に着地したのと、あいつの歌声が止んだのが一緒でした。「気づかれた」と思った時、空からポトリと何か落ちてきました。それが自分の首輪だと、すぐに分かりました。

「逃げる」
 ぼくの後ろから、猛烈な勢いの風が吹いてきました。
「さぁ、来るンだ。これがお前の運命なのだよ」
 あいつの声はいつものように間延びしていましたが、怒っているのは確かです。田圃の中を大きな水しぶきをあげて風が走り抜け、ぼくに襲い掛かかりました。

「逃げる」
 ぼくはまっすぐにイチョウの木に向かって走ると見せかけ、手前でヒョイと方向を変え大きな石の後ろに飛び込みました。潮の匂いと一緒にドンという音がして、イチョウの幹がブルブルと揺れギンナンの実がパラパラと落ちてきました。
 石の上に落ちたギンナンの実が、はじけてぼくの頭の上にポトリと落ちました。頭を押さえて石の裏に隠れていたぼくは、恐る恐る頭をあげ周りを見回しました。青々としたイチョウの葉っぱやギンナンの実が、辺り一面に落ちていました。参道の入り口の「マムシに注意」と書かれた立て看板の脇には、ぼくの首輪が落ちています。

 「どこだ、どこだ」。あいつの声が遠くで聞こえています。突然何かがふわりと石の上に落ちてきました。ぼくは驚いて身構えましたが、何も襲ってはきません。恐る恐る見上げると、枝の上に忘れて来た麦わら帽子が石の上にチョコンと乗っかっています。きっと強風にあおられて落ちて来たのでしょう。帽子を頭に乗せて車を洗っていたお父さんみたいです。

 潮の匂いがせまって来ました。
「逃げる」
 神社の裏に広がる杉林の中にぼくは逃げ込みました。
「どこだ、どこだ」 
 あいつがぼくを探して杉の木の間を吹き荒らしていきました。杉の木は悲鳴に似た音を立ててきしみ、パラパラと大量の杉の枝先が落ちてきました。杉林の中は、杉の小枝のジュータンを敷いたみたいです。

「逃げる」
 杉の葉の下にもぐりこんだぼくの頭の上を突風が吹きぬけ、杉の小枝が舞い上がりました。ぼくの体の模様と杉の小枝のジュータンの色はよく似ていて、上から見ただけでは分からないのでしょう。何度も杉の小枝の中に身を隠しながらぼくはあいつから逃げていきました。

 ぼくには大きな夢があるンだ。まだまだやりたいこともあるンだ。象と暮らす尻尾のフサフサしたネコに会いに、南の国に行くンだ。こんなところで諦めるわけにはいかない、あんな奴に連れて行かれるわけに行かないンだ。何がなんでも逃げる。逃げてにげて、逃げ抜くンだ。


草むしり作「ヨモちゃんと僕」後12

2019-09-25 05:41:49 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後12

(夏)タケ爺さん①
 
 杉林を抜け柵で囲われた畑の脇を通り、山の麓の墓地の前を横切り、小さな神社の裏手に出ました。台風はとっくに過ぎ去り、雲が気ぜわしそうに流れて行きます。
「また来年連れにくるから」
 台風はそう言い残して去っていきました。 鳥居の横の御手洗鉢の底に溜まった水を飲み、神社の床下に潜り込んでぼくは目をつぶりました。
 目が覚めたときは夕方でした。丸一日寝ていたのでしょうか。それとも何日も寝ていたのでしょうか。眠った時が夕方で目が覚めたのも夕方だったのは分かりました。でもここがどこなのか、帰り道がどこなのかは、全く分かりませんでした。

 目をつぶってお母さんのことを考えると、帰り道が分かるかも知れません。でもぼくは目をつぶりませんでした。ぼくは決めました。もう帰らないと。でも心配しないで、ぼくはいつか風に乗って南の国にいきます、そして象と一緒に暮らします。

 神社の石段を下りていくと、古い家の並んだ小さな商店街に出ました。通りに軒を連ねた家は、どこもシャッターを降ろしています。人影のない通りを、時折車が走りぬけて行くだけです。

 一軒だけ開いた店の中で、タケ爺さんは自転車のパンクを直していました。学校帰りの中学生が、作業をする爺さんの手元を覗き込んでいます。爺さんは水を張った四角い容器の中に自転車のチューブを浸けて、穴の空いた所を探しています。
「ここだな」
 パンクした箇所が見つかったようです。水の中からチューブを取り出しました。持ち上げたチューブからパタポタと水が滴り落ちています。

「あっ、水だ」
 物陰に隠れてようすを伺っていたぼくは、チューブから垂れる水滴を見たとたん、ふらふらと水の入った容器に近づいて行きました
「なんだ、お前。そんな水飲むと、腹こわすぞ」
 少し濁ってゴムの匂いのした水を、ぼくは夢中で飲み始めました。
「今、手が離せないンだよ。兄ちゃん悪いが、新しい水に替えてやってくれ」 
「うん、いいよ。それにしてもこの猫、尻尾フサフサだね」
 兄ちゃんは新しい水をぼくに汲んでくれました。ぼくは夢中になって水を飲みました。
「後で母さんが修理代届けるって。どうもありがとうございました」
 兄ちゃんは自転車をこいで帰っていきました。

「おい、腹が減って死にそうだって顔してンな」
 お爺さんに言われて、ぼくは自分のお腹が空いているのにやっと気がつきました。
「うん、死にそう」
「ちょと、待っていろよ」
 お爺さんは店の奥に入って行くと、すぐに何か手に持って戻って来ました。ぼくはそれが何の匂なのかすぐに分かりました。
「なんだ、嫌いなのか」
 食べようか食べまいか、煮干しを前にして考え込んでしまいました。でもすぐにそんな迷いは吹き飛んでしまいました。だって煮干しの匂いを嗅いだとたんに、お腹がキュルキュル鳴り、口の中は唾であふれかえってしまったからです。
 ぼくはバリバリと音を立てて煮干しを食べました。お腹の中のちょっと苦い所が、とてもおいしと思いました。

「そうかいうまかったかい。捨て猫かお前。それともどこかに行く途中なのかい」
「さぁ、どっちだったかなぁ」
「ここに居たければ居ればいいさ。年寄り一人で退屈していた所だ。ちょうどネズミが増えて困っていたところだ。お前がいるだけでも助かるよ。それにしてもお前、尻尾がフサフサだなぁ」

 お爺さんの後について家の中に入ったとたん、ぼくの鼻の頭はムズムズとしてきました。
「近い」
 無性に鼻の頭を掻きたくなるのを我慢して、ぼくは階段を上っていきました。
「なんだ、二階に上がるのか。二階なんかしばらく上がってないから、埃がすごいぞ」
お爺さんの声が遠くに聞こえ、鼻の頭がますます痒くなってきました。
「今だ」
 ぼくは尻尾を大きく膨らますと、階段から飛び降りました。ふわりと体が浮き、静かにネズミの上に降りていきました。

 また来年台風が来るまでの間、この家でお世話になろうかな。おや、また鼻の頭が痒くなってきました。明日までにネズミ、あと二匹はいけそうです。