草むしりしながら

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古事記あらすじ16

2019-12-02 15:24:03 | 古事記
内田英雄文 古事 あらすじ16

第六章 国譲り(くにゆずり)

㈠高天原の神々の会議

 その頃高天原では日本の国全体をおさめるために、天照大神のお子様を日本の国にくださねばならないことになりました。しかし下界にはまだまだ悪いことをする神や人間が、うようよいます。こんなことでは大御神の御子の天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)は下界に降りていかれません。

 そこで天照大御神は天安(あまやす)の河原に八百万(やおよろず)の神々を集めて会議をお開きになりました。

 高天原で一番の知恵者の思金命(おもかねのみこと)が議長の席に着き、高天原の神々が輪になって座っています。八百万の神々は頭をひねって考えましが、いい考えが浮かびません。その時思金神命が、大国主命が治めている出雲の国が良いのではないかと言いました。

 出雲の国はもともと大御神さまの国ですが、大国主命が苦心してひらいた国です。素直に返すでしょうか。

 そこで大国主命と気があいそうな天菩比神(あめのほひのかみ)お使いとしてくだるって行きました。しかし気が合いすぎたのか、三年も音沙汰なしです。

㈡天若日子(あめわかひこ)

 いつまで経っても菩比神は帰って来ず、高天原では再び会議が開かれました。
考えてみればこんな仕事は人がいいだけでは駄目だということになり、若くて頭のいい国玉神(くにたまがみ)の子どもの天若日子が選ばれました。  

 天照大御神は天麻迦古弓(あまのまかこゆみ)と天羽羽矢(あまのははや)を天若日子にお授けになりました。若い天若日子は大国主を説き伏せて手柄を立ててやろうと、大得意になって、下界に下って行きました。

 しかし出雲の国は、高天原にも劣らないほどの立派な国で、大国主の命は顔を見るのがまぶしいほどの立派な方でした。

 大国主命は高天原から来た天若日子を、心から敬い、下にも置かないくらいにもてなしました。天若日子は大国主命の娘の下照比売(しもてるひめ)と結婚をして、高天原の任務をきれいさっぱり忘れて、この出雲の国の主になろうという考えさえ抱くようになっていました。

 月日の経つのは早いもので八年の歳月が、夢のように過ぎていきました。




古事記あらすじ15

2019-12-02 07:11:06 | 古事記
内田英雄文 古事記あらすじ15

第五章大国主命

(十一)小さな神様

 大穴牟遅命は道を作ったり田畑をひらいたり、人々の病気を治したりなりなさいました。しかしひとりでなさるには、とても難しい仕事でした。

 そんなある日、御大(みお)の御岬(みさき)に立って海を眺めておいでになりましたところ、豆の殻の船をこいでいる親指ほどの小さなか神さまが、こちらに向かってくるのが見えました。

 命は海の中の神さまをひろいあげると、名前を尋ねました。しかし返事がありません。耳が聞こえないのか、口がきけないのかと命がおっしゃると、飛び跳ねて怒り出しました。

 命は誰かこの方の名前を知らないかと、そこら中に向かって仰いました。すると蛙が山田の案山子の久延毘古(くえびこ)が知っていると鳴きました。偉い学者の久延毘古は、この方は高天原の神産巣日神(かみむすびのかみ)のお子様で、少名毘古那命(すくなびこなのみこと)様ですと教えて下さいました。

 慌てて高天原にのぼって行った大穴牟遅命に神産巣日神は、体は小さいがなかなか知恵のある子なので、兄弟になって二人で出雲の国をおひらき下さいと仰いました。

(十二)常世の国(とこよのくに)へ

 お二人は一緒に仕事をなさることになりました。ある時お二人はどちらが兄になるか我慢比べをして、少名毘古那命が勝ちました。

 それから大穴牟遅命は少名毘古命をいつも肩に乗せて歩くようになりました。この小さな神さまは本当にりこうで、何か用事があると弟の大穴牟遅命の耳もとで命令いたします。

 谷間から温泉を掘り当てたり、病気の直る薬草を摘んだり、ため池を作ったりと、人々のためになることばかりでした。おかげで出雲の国はますます立派になりました。

 二人が最後に淡島(あわじま)という島においでになったときです。少名毘古那命はこれまでの大穴牟遅命の働きに感謝し、自分の治めなければならい「常世国(とこよのくに)に行くことを告げました。

 そして大穴牟遅命に、あなたの力はもう大物主神(おおものぬしかみ)という力のまで成長したので、後の仕事は一人で立派に成し遂げられるとお仰せになり、旅立っていきました。

 人々はみな幸せになり、大穴牟遅命を尊んで、大きな国の主だというので、大国主命とおよびするようになりました。