母の白和え 2
昨日の続です……。
さて当ブログに度々登場いたします、生家の古民家。昭和四年まれの父がまだ幼い頃、父の祖父に当たる人が建てました。頭が良くてとても力持ちで,、その上働き者だったと聞いております。まずこの家を建てる前に隠居と呼んでいた離れを建て、その後母屋と呼んでいる今の古民家を建てたそうです。所有する山の木の伐採から製材まで一人で行ったと、今でも語り継がれております。
祖父の話を自慢げにする、生前の父を思い出します。家を建てた時のことはおぼろげに覚えていると申しておりました。父が今生きていれば九十五歳になります。その年から四、五歳差し引いて築九十年前後といった所でしょう。「たった九十年で、古民家だと。十年早い!」と怒られてしまいそうですね。
しかし、たかが九十年、されど九十年です。九十年の間何も手を入れなければ、きっとおんぼろ屋敷になっていたでしょう。でも我が家の古民家は、おんぼろではありません。むしろ見た目は私が子どもの時よりも、新しく見えます。
これは古民が脱皮を繰り返しているのではありません。すべて父と母のおかげです。私が子どもの頃から二人が家の修復や改築を、繰り返し行ってきた賜です。屋根の瓦も二度吹き替えましたし、縁側の板戸をガラス戸にしてその後アルミサッシにしました。二階の窓など木製のガラス製から白いアルミサッシに、その後茶色のサッシにと都合三度も付け替えております。
また台所も二度リホームしております。最初のリホームは私が小学校の中学年のときでした。北側の二間をひとつにして、今で言うダイニングキッチンにしたのです。ピカピカの流しや調理台、ガスコンロが備え付けられ、床も板張りになりテーブルが置かれました。
テレビのドラマに出てくるようなおしゃれなキッチンになったので、これからはテレビに出てくるようなご馳走が食べられるのだと期待しておりました。忘れもしません。その記念すべき第一日目の夕食に出てきたのが「白和え」だったのです。
「なんだ白和えか」とは申しませんでした。子ども心に現実を直視し、黙っていただきました。いつもの「白和え」よりちょっと複雑な味がしたのは、私だけだったのでしょうか。みんな黙って食べていました。
やはり我が家にとって「白和え」は、特別な日に食べる料理だったのですね。