草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

草むしり作「わらじ猫」前7

2020-01-23 07:08:30 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」前7

㈡吉田屋のおかみさん①

「どうだい、奉公に出してみないかい」
「タマを奉公に、ですか。」
目をパチクリしながらお松は大家に聞き返した。

 大家の徳次郎が持って来たのは、タマとおなつの奉公の話だった。先方は徳次郎と懇意の米屋だという。米屋は商売がら、鼠とは縁が切れない。取り扱う米の一割方は鼠の餌だとこぼしていた。タマの話を聞くと先方も大乗り気で、何とかタマを譲りうけることは出来ないかとせがまれたのだ。

「ついでにと言っちゃなんだが、おなつ坊も奉公させてみてはどうだい。子守の子どもを捜しているようだから」
「行く、あたいタマと一緒に米屋に奉公に行く」
どうしたものかと甚六とお松が顔を見合わせていると、母親の後ろに隠れていたおなつが先に返事をした。

 次の日おなつとタマは徳次郎に連れられて米屋にむかった。小さな風呂敷包みを抱えておなつは徳次郎の後を歩いていた。大家がこわいのろうか、うつむいてなるたけ大家を見ないようにしている。タマはおなつの肩に乗っている。まるで猫を背負っているように見える。朝夕はめっきり涼しくなったが、まだまだ昼間は残暑が厳しい。通りを歩く二人の背中をジリジリとお日様が照りつけていた。
 
 タマは見たものは開口一番「美しい猫だね」という。「風呂に入れるか」とも聞かれるが、もちろんそんなことはしたことがない。今もすれ違う人はタマの美しさに目を奪われたのだろうか、振りかえって見ている。
―いや違う。振り返って見るのは、おなつがタマを肩に乗せて歩いているからだろう。あんなことをする猫珍しいからな。でも重たいんじゃないか。おなつはずっと俯いたきりだ……。

 それにしてはどうも様子がおかしい。すれ違う人という人が、タマを肩に乗せているおなつを見た後は、必ず自分を見て目を伏せて行く。徳次郎はそれが気になって仕方なかった。
―うん、もしや私のことを女衒だと思っているのだろうか。売られていく少女と猫……。冗談じゃない。

「タマやおなつ坊がこれじゃぁ重たいだろうが」                                                                    
 徳次郎は慌ててタマを抱き上げると自分の肩に乗せて、おなつの風呂敷包みも持ってやった。タマの毛はサラサラとして心地よく、背中をジリジリと照らすお天道様のいい日よけになった。

「おなつ坊。背中、お天道様に焼かれちまうな」
 徳次郎は懐から手ぬぐいを取り出して、おなつの肩にかけてやった。
―この猫がついていりゃ、この子は大丈夫だ。
 徳次郎はそう思いながら米屋に向かっていった。

「おやまあ、ずいぶんと大きな子だね」
  米屋の女中のお関はおなつを見て、呆れたように呟いた。それから大げさな身振りで、頭の天辺からつま先までしげしげとおなつを見た。色が黒いし、ホッペがまん丸だと思ったが、さすがにそこまでは言わなかった。
「赤ん坊を負ぶうのだから、これくらいがっちりした子のほうがいいんだよ。赤ん坊だって骨と皮だけの子どもの背中よりも、よっぽど気持ちがいいよ」
 おかみさんはそう言って、早速おなつに赤ん坊を背負わせた。徳次郎は赤ん坊の目に髪の毛が入らないようにと、おなつの髪を手ぬぐいで包んで頭の上で結んでやった。

 赤ん坊は機嫌よく手足をぶらぶらさせていた。その日からおなつは米問屋吉田屋の奉公人になった。

 朝は使用人たちが食べ終わった後で、大急ぎでお櫃の中の残り飯に冷めた味噌汁をかけ、かきこむようにして朝食をすませる。台所の片付けが終わったころに、おかみさんが赤ん坊を連れてやってくる。赤ん坊は丸々と太り、おなつの肩に背負い紐が食い込む。それでもおなつは赤ん坊を背負っているときが一番好きだった。
 
 足でホイホイと調子をとりながら、ずり落ちてくる赤ん坊の尻に手を当てて、ひょいと上にせり上げる。しばらくすると声をたてていた赤ん坊が眠り始めた。ますます肩に負ぶい紐が食い込んできた。

 吉田屋には赤ん坊の他に十になる娘と五つになる息子がいる。姉のお糸はちょっと内気で病弱だった。朝晩はめっきりと涼しくなったものの、まだまだ昼間は暑いくらいの陽気なのだが、風邪をひかないようにと、袷の着物を着せられていた。

 食が細くすぐに熱を出す、咳は一旦出始めるとなかなか止まらず、夜中でも医者を呼びに行くことが度々あった。医者に鼠の糞や毛が原因ではないかといわれたらしい。本当はおなつよりもタマのほうが欲しかったのだろう。

 タマのおかげだろうか、この頃では家のあっちこっち散らばっていた鼠の糞も見かけなくなった。そのせいかお糸が熱を出すことも少なくなった。けれども人見知りのほうは相変わらずで、今日も家の中でポツンとしている。





コメントを投稿