怖いけど可愛!)
生家の中で一番涼しいのは、奥と呼ばれる部屋です。窓を開けると、裏山から涼しい風が吹いてきます。
今でこそ涼しいなどと言えるのですが、この奥の間と襖を隔てた座敷は、子どもの頃は怖くて一人ではいけませんでした。ただ奥の間は家族で寝起きしていたので明るいうちは平気でしたが、座敷は昼間でも怖かったです。
座敷の鴨居と天井の間の壁には、ご先祖様の写真(肖像画)がずらりと並んで、こちらを睨んでいるようでした。不思議なことに座敷のどこにいても私の方を見ている気がするのです。その上般若や若い女性の能面もあり、雨戸を閉めると真っ暗闇になりました。
今でもそうですがご飯が炊きあがると、まず仏さまと神さまにお供えします。昔は子供の仕事で私もよくもっていかされました。奥の間は仏壇あり座敷には神棚があるのですが、仏壇に供えはするときはちゃんと手を合わせてお参りができました。しかし神棚は座敷にあるので、怖くてご飯を供えるとそのまま走って逃げていました。
それが今ではここが一番涼しくていいなどと、ずいぶんと厚かましくなったものです。
約三カ月ぶりの生家はやっぱり草ぼうぼうでした。これから2週間草むしりがんばろうと思いました。さてその前まずは仏さまにお参りします。
まだ幼い頃のお盆の時でした。夜中にふと目が覚めると、部屋の奥にある仏壇が明るいのに気がつきました。なんだろう。火の玉だろうか……。そう思うと怖くて仏壇を見ることができずに、蒲団をかぶってそのまま寝てしまいました。
翌朝起きてみると姉が仏壇に火の玉が出たと騒いでおりました。やはりあれは火玉だったのだろうか……。そんなことを思い出しながら仏壇に手をあわせ、ふと座敷に目をやりました。
何かいます。なんだろ?あの時の火の玉よりも怖い……。それでも大人ですから勇気を振り絞って正体を突き止めました。
それは大きな木彫りのお面でした。鬼でしょうか天狗でしょうか?とにかく大きくて迫力があり、こんなお面で睨まれたら悪霊なんて一目散に退散してしまいそうです。それにしても驚いた。でもこのお面どこか見覚えがあります。
これは四代か五代くらい先のご先祖さまが自分で彫って、地区の神社に奉納したものでした。ただ何分古くて塗ってある塗料も剥げてしまったので、今は社務所の押入れに仕舞われていたのです。
神社の世話役を(当番制)している姉が持ち帰って、床の間に置いたそうです。業者に頼みきれいに塗り直して、再度神社にもっていくそうです。
そんな押入れに入れっぱなしにしておくなんて失礼なことするのなら、返してもらってもいいのではないかと私は思いました。しかし一旦奉納したものを返してもらうなんて恥ずかしい真似をするものじゃないと姉は言います。
考えてみたら確かにその通りだと思い、改めてお面を観察しました。こんな手の込んだお面を彫るなんて、我が家にも芸術の才能がある人がいたのですね。
お面はとっても大きくて横幅があり、額には三本のしわが寄っています。どこか父や父の従弟にも、そして私の長男にも似ています。どおりでどこかで見たと思ったはずです。
口をカッと開け眉を寄せて一生懸命怒っているのですが、どう見ても笑っているようにしか見えません。見れば見るほどかわいいお面でした。