私はHNでは「うえぽん」を名乗っているが、実際のあだ名ではないのである。小・中学校の友人連中には「ウエさん」と呼ばれ、高校の友人連中には「ウエちゃん」と呼ばれ、大学では苗字のままで呼ばれた。ところが、最初に入った会社(バス会社)では「えなり」「大仏」「地蔵」(詳細はこちらの記事をどうぞ)、「コータローちゃん」(詳細はこちらの記事をどうぞ)、「三郎」などなど、一年半しかいなかったのに山のようにあだ名を付けられた。ちなみに「三郎」というのはこの人とは全く関係ない。同じ読み方の苗字の運転士がいて、その人の名が次郎さんだったのでその弟分という意味であったのと、事務員で等々力さんという先輩がおり、「とどろき」と言えば轟二郎、その後輩なんだから「三郎」、という二重の意味がかかっていたのである。もっとも、等々力先輩の正しい読み方は「とどりき」だったのであるが。
あだ名をつけられるということは即ち、存在を認められたということでもある。名前や「ウエさん」「ウエちゃん」とか呼ばれるのが悪いわけではないが、あだ名だと、より相手との距離が縮まった感じがして、結構嬉しいものだ。私も負けじと(?)運転士や事務員相手にあだ名を付けてたりしたものである。バリバリと増務に励むヒゲの運転士Kさんには、当時横浜の中継ぎエースだった五十嵐英樹投手になぞらえ「ヒゲ魔神」というあだ名を付け、マギー司郎のような飄々としたキャラだったNさんは「マジシャン」と呼んだ。福岡出身でマフィアのボスみたいな風貌のNさんは「博多のボス」。年上の藤原さんという女子事務員が「藤姉(ふじねえ)」。コワモテに似合わず温厚で気さくなF主任には「兄貴」、おおらかな人柄のY先輩(後に主任)には「親分」、仕事の先生だったK先輩(後に主任)はその体格から「親方」(これはさすがに本人の前では言えなかったが)。余談だが、この「兄貴」「親分」「親方」が三人で歩いていると、どう見てもアブない筋のお方に見えたものだ。一部では「ヤ○ザ三兄弟」とも言われていたのだ(でも、全員とても優しい善人だった)。
とにかくバス会社の営業所というのは人が多く、その分あだ名の数も多かった。苗字が「鶴岡」なので「ロマンチカ」。いつもニコニコしているので「スマイラー」。指導運転士で人柄も良かったので、名前を音読みにして箔をつけ「リン・ショウユウ先生」。テツヤさんという人が2人いて、片方は「ハゲテツ」(呼んで字のごとし)、もう一人は「ヒゲテツ」。ヒゲテツさんにはもう一つあだ名があって、それは「キテレツ」。短気ですぐキレるため「キレテツ」と呼ばれていたのが、いつの間にか中の二文字がひっくり返ってしまったのだ。昔、借金のかたで家を失ったことがあることから「ホームレス」と呼ばれてしまったかわいそうな人もいた(しかし、宝くじが当たって盛り返したらしい)。韓国通なので「アンニョンハセヨ」から取って「ハセヨ」。「松竹梅」というあだ名の人は、本名に「松」「竹」「梅」が使われている珍しい人だった。苗字が「松坂」なので「牛(ギュウ)」…それを言うなら本当は「松阪(まつ『さ』か)」なのだが。
中には「これどうなのよ?」と思う由来のものもあるが、本人が拒絶していない以上アリなのだろう。ちょっとブラックなあだ名も、親しみの裏返しととれなくもない。
母が高校生の時も、先生にはそれぞれあだ名が付いていたという。「ポン太」「キンデカ」「メザシ」etc…。夏目漱石の「坊っちゃん」に登場する「山嵐」や「赤シャツ」や「うらなり」みたいなものだ。そう言えば、私の中・高時代にはあだ名を付けられるような先生はあまりいなかったなぁ。せいぜい、色黒の学年主任が一部で「ブラック」と呼ばれていたぐらいか。親しみがないわけではなかったのだが、あだ名をつけられるような強烈なキャラクター性に欠けていたのかも知れない。これも、没個性化が進む時代の流れというヤツなのか。
皆さんのところでは、何か面白いあだ名ってありました?
あだ名をつけられるということは即ち、存在を認められたということでもある。名前や「ウエさん」「ウエちゃん」とか呼ばれるのが悪いわけではないが、あだ名だと、より相手との距離が縮まった感じがして、結構嬉しいものだ。私も負けじと(?)運転士や事務員相手にあだ名を付けてたりしたものである。バリバリと増務に励むヒゲの運転士Kさんには、当時横浜の中継ぎエースだった五十嵐英樹投手になぞらえ「ヒゲ魔神」というあだ名を付け、マギー司郎のような飄々としたキャラだったNさんは「マジシャン」と呼んだ。福岡出身でマフィアのボスみたいな風貌のNさんは「博多のボス」。年上の藤原さんという女子事務員が「藤姉(ふじねえ)」。コワモテに似合わず温厚で気さくなF主任には「兄貴」、おおらかな人柄のY先輩(後に主任)には「親分」、仕事の先生だったK先輩(後に主任)はその体格から「親方」(これはさすがに本人の前では言えなかったが)。余談だが、この「兄貴」「親分」「親方」が三人で歩いていると、どう見てもアブない筋のお方に見えたものだ。一部では「ヤ○ザ三兄弟」とも言われていたのだ(でも、全員とても優しい善人だった)。
とにかくバス会社の営業所というのは人が多く、その分あだ名の数も多かった。苗字が「鶴岡」なので「ロマンチカ」。いつもニコニコしているので「スマイラー」。指導運転士で人柄も良かったので、名前を音読みにして箔をつけ「リン・ショウユウ先生」。テツヤさんという人が2人いて、片方は「ハゲテツ」(呼んで字のごとし)、もう一人は「ヒゲテツ」。ヒゲテツさんにはもう一つあだ名があって、それは「キテレツ」。短気ですぐキレるため「キレテツ」と呼ばれていたのが、いつの間にか中の二文字がひっくり返ってしまったのだ。昔、借金のかたで家を失ったことがあることから「ホームレス」と呼ばれてしまったかわいそうな人もいた(しかし、宝くじが当たって盛り返したらしい)。韓国通なので「アンニョンハセヨ」から取って「ハセヨ」。「松竹梅」というあだ名の人は、本名に「松」「竹」「梅」が使われている珍しい人だった。苗字が「松坂」なので「牛(ギュウ)」…それを言うなら本当は「松阪(まつ『さ』か)」なのだが。
中には「これどうなのよ?」と思う由来のものもあるが、本人が拒絶していない以上アリなのだろう。ちょっとブラックなあだ名も、親しみの裏返しととれなくもない。
母が高校生の時も、先生にはそれぞれあだ名が付いていたという。「ポン太」「キンデカ」「メザシ」etc…。夏目漱石の「坊っちゃん」に登場する「山嵐」や「赤シャツ」や「うらなり」みたいなものだ。そう言えば、私の中・高時代にはあだ名を付けられるような先生はあまりいなかったなぁ。せいぜい、色黒の学年主任が一部で「ブラック」と呼ばれていたぐらいか。親しみがないわけではなかったのだが、あだ名をつけられるような強烈なキャラクター性に欠けていたのかも知れない。これも、没個性化が進む時代の流れというヤツなのか。
皆さんのところでは、何か面白いあだ名ってありました?