うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

60円分の幸せ

2005-06-26 23:34:56 | 雑記
電車とバス、どっち使って帰る?と聞かれたら、「バス」と答える。
例えば、神保町に本を買いに出かけるとしよう。行きは、最寄りの東急目黒線某駅まで10分ほど歩いて、三田線直通電車で神保町に出る。これなら、接続がうまくいけば乗り換えなしで行けるのだ。しかし、帰りは途中の目黒で降りて、バスに乗るのだ。最寄りのバス停から家までは5分ぐらいである。
考えてみれば、アホな話だ。うまくすれば乗り換えなしなんだから、そのまま某駅まで帰ってくればいいじゃないの。電車の方が断然早い上に60円安いんだし(電車150円、バス210円)。
しかし、どういうわけか目黒に着くとつい降りてしまう。長い階段上って、ダラダラ通路を歩いて、いつものバス停まで出てしまう。電車に乗ったままなら座れたものを、わざわざ混んでいるバスに乗って、仕方なく途中まで立っていたりする。それでも、電車よりバスで帰る方が好きなのだ。これは一体どういうわけなのだろう。
確かに、バス好きなせいもあろうし、駅よりもバス停の方が家に近いからということもあろう。本数も多くて結構便利だ。そもそも、まだ私が小さい頃、一家で出かけたときに、父が帰りも電車で最寄り駅まで行こうとしたところへ、母が「駅から歩くの面倒くさいから、目黒からバスに乗ろうよ」と言い出して以来、目黒方面からの帰りは必ずバスになった。そういう昔からの慣習が続いているというのもある。
しかし、それだけではない何かがバスにはあるように思う。電車よりもさらにその土地に密着した庶民的な空気、電車ほど時間に縛られないアバウトでのんびりした感じ。うまく説明できなくて恐縮なのだが、そういったものが好きなのである。
行きは、待ち合わせなんかがあるから、時間を逆算してこの時間の電車に乗ろう!とあくせくして動くのだが、その分帰りは時間を気にせずのんびりと動きたい。そんな気持ちが、ついバス停に足を向けさせるのだ。60円分のちょっとしたぜいたくみたいなものである。随分安上がりなぜいたくだが、それで幸福感が味わえるのだから十分だろう。私にとっては、バスに乗るのはリラックス法の一つであり、ちょっとしたレジャーなのだ。