うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

「パスコ」も「カゴメ」も「シヤチハタ」も「ホーユー」も「興和」もみんなみんなナゴヤ…。

2005-06-20 23:07:33 | 雑記
テレビや雑誌で名古屋を特集することが格段に増えた。愛・地球博は絶賛開催中だし!ごはんはうまいし!中日強いし?女の子はおしゃれだし…??某雑誌によると、「名古屋嬢」の次は「ダギャール」だそうだ。おしゃれと言うよりその呼称の時点で思いっきりお笑いだよこれ。持ち上げているふりして実はバカにしているような気がするのは私だけなのか。
まぁそれはいいのだが、とにかく名古屋が今ノリにノッているのは間違いのないところである。昔は東京や大阪より格下に見られがちだったが、今は違う。東京がシロガネーゼ(どうでもいいけど、正しい地名で呼ぶならシロ「カ」ネーゼじゃなきゃおかしいと思うのだが)なら名古屋はシラカベーゼと来たもんだ。何だか論拠に乏しい気がするが、もはや東京など敵ではないのである。

さて、この前東京駅近辺を歩いていたら、名古屋出張の時によく目にするタクシーを見かけた。何しろ名前がすごいので、覚えているのである。

「大名古屋TAXI」

思わず吹き出してしまった。まさか東京のど真ん中でこれを見るとは思わなかった。「ご苦労なことだねぇ、長距離のお客さん乗せて名古屋からタクシーで出てきたのかしらん?」と、車のナンバーを見たら、なんと足立ナンバーだった!「何ー!?この社名で東京でやってるんかい!?」すごい、すごすぎる。東京に媚びを売るようなマネをせず、あえてこの社名のまま勝負に出た大名古屋交通株式会社の皆さんに、素直に感服する次第である。このシンの強さが、今日の名古屋繁栄の秘訣なのかも…。

今じゃ運転免許証はただの身分証明書に過ぎません。

2005-06-19 22:24:37 | 雑記
町中を歩いていると、最近は小さくてかわいい車が増えたもんだなぁ、と思うわけである。車に詳しくないので車種は全然わからないのだが、調べてみたら「ツーシーター(二人乗り)カー」というらしい。例を挙げると、スズキの「ツイン」。あのまるまるっとしたちんまり感が何ともかわいらしく、「ああいう車なら欲しいかも…」と思うのだが、あいにく我が家には駐車できるスペースがない。スペースがあったところで、運転する用事がない。用事ができたところで、運転する自信がない。何もかもダメダメである。
免許は、あるにはある(AT限定だが)。しかし、もう5年もハンドルを握っていない。もう車庫入れなんかできないだろうし、標識の意味などほとんど忘れかかっているのだが、今度の更新でゴールドである。マジメに運転してゴールド免許を持っている方々に申し訳ない。

本当は、免許は取らないで済むなら取るつもりはなかったのだ。プライベートで車を使うことはまずないし、自動車学校に通うための費用というのは決して安くはない。それに、一歩間違えば人命を奪いかねないような道具を操るのは、正直怖かったのだ。
ところが、免許を取らざるを得ない事態が発生してしまった。就職である。しかも、バス会社。運転士と違って事務員だから、大型免許は必ずしも要るわけではない(もちろん、あるに越したことはない)。しかし、普通自動車の運転免許は必須である。仕事にも差し支えるし、運転士を管理する立場として運転免許がないなんてのは話にならない。就職する少し前から、山手線沿いにあるH自動車学校に通い始めた。芸能人も多数お世話になっている有名な学校である。実際、芸能人と一緒に教習したこともあった。榊原るみの娘、松下恵嬢である。芸能人特有のオーラが出まくっていたが、「この前ここでキムタクさんが教習してるの見たんですよ~!」と素人のようにはしゃいでいたのが印象的だった。
祖母の通夜の日に高速教習を受けるなどの紆余曲折を経て免許を取った(学科試験で2回落ちましたが何か?)。人を乗せたのは、泊まり勤務の夜、営業所に電話がかかってきて「停留所で待っていたのに最終バスに通過されちゃったんだけど…」という客を駅まで送ったのが初めてである。営業所の軽ワゴン車に若葉マークを貼り付け、「お客さん怒ってないといいなぁ…て言うか、ちゃんと運転できるかな…」と思いながら件の停留所に走っていった。バスが通過してしまったのは、バス停の前にトラックが違法駐車していて、お客さんが死角に入って見えなかったからだった。お客さんもそれがわかっていたようで「すみませんね、わざわざ来ていただいちゃって」と腰が低く、おかげで運転に専念することができ、無事に駅まで送ることができたのだった。でも、冷や汗が出た。
結局、運転したのはそれを含めて5~6回程度である。確か自動車学校の費用は30万ちょっとかかったから、1回あたり5~6万円…わ、割に合わなさすぎる…!
せっかく免許を持っているのだからたまには運転したいのであるが、なかなかそうも行かないままブランク5年。一体どうしたら良いものか、困ったもんだ。

「タールを樽で売ってたんですか?」「そうなんでガス」

2005-06-18 23:33:57 | 雑記
こちらの写真は、祖父宅の押し入れから出てきた「横濱商工名鑑」の広告である。「横浜」ではなく「横濱」というのがなんとも重みがあってよろしい。それもそのはず、刊行は昭和5年2月。祖父の物持ちの良さには今さらながら脱帽である。

さて、この広告はどこの企業のものかというと、東京ガスなのだ。樽がほうきみたいな大きい筆を持って飛び跳ねている(樽のてっぺんには東京ガスの旧社章である「星にG」のマーク)。一体何の広告かと思ったら、何と道路舗装用のタールだった。なるほど、当時のガスは石炭ガスがメインでもって、ガス化における副産物のタールを舗装に使おうとしたと…時代だなぁ。

ちなみに、我が家の前の道は、私が物心ついた頃はまだ舗装されていなかった。雨が降るとぬかるむし、乾燥しすぎるとちょっとしたことで土煙が舞って大変だったが、あれはあれで面白みもあった。現代の舗装された道路ばかり歩いていると、たまにあの頃が懐かしくなる。

月日の流れは時として残酷であります。

2005-06-17 18:06:21 | 雑記
かかりつけの医者へ行くので自転車を漕いでいたら、「ピテ」に出くわした。昨日、「あだ名だな。Part2」で書いたばかりの、幼なじみの「ピテ」だ。10年以上会っていなかったが、メガネをかけているぐらいであまり変わりがない。普段なら、「他人のそら似」ということもあるから、こちらから声をかけることはめったにないのだが、「ピテ」に似ているヤツはそうそういない。ましてや、彼の家のすぐそばで会ったのだ。「間違いない。これを逃したらまたいつ会えるかわからん」そう思って、声をかけた。

「誰?」

彼の第一声である。不意打ちを食らったようなショックを受けたが、それは私の外見が変わり果ててしまったからだろう。そう思い直して、本名を名乗り「覚えてない?小さい頃がらずっと一緒に遊んでた、ウエさんだよ!」と彼の記憶を掘り起こそうとした。

「知らない。」

彼は面倒くさそうに一言で叩っ斬った。声もしゃべり方も聞き覚えがあるし、この面倒くさそうな態度こそ、彼が「ピテ」本人である証拠に他ならないのだが、どうやら彼の記憶から私は完全に抹殺されてしまったようだ。そう言えば、年賀状のやりとりも数年前から途絶えていたっけ。
「ごめんなさい、人違いだったようです…」これ以上追求しても何も出てこないだろうと思った私は、そう言って立ち去らざるを得なかった。本当は人違いなんかじゃない。これには絶対の確信がある。しかし、「知らない」と言われてはそれまでだ…。
「ピテ」とは、私ともう一人の友人Oとで「3バカ大将」(命名・私の母)と呼ばれた仲だった。中学卒業までずーっと一緒で、バカだけど明るい男だった。ところが、高校の3年間で何があったのか、浪人中に予備校で偶然再会した時にはすっかり変わり果て、自分の殻に閉じこもってしまったようで、私ら友人連中が声をかけても机に突っ伏したままあまり関心がなさそうだった。それから会うことなく約11年ぶりの再会でこの始末…。私と会わない間に、彼に一体何があったのか。

病気じゃない方のうつな気分になった。

あだ名だな。Part2

2005-06-16 19:28:27 | 雑記
前回は会社でのあだ名を中心に書いたが、何だか昔が懐かしくなって中・高の卒業アルバムを引っ張り出して眺めてみたら、同級生たちのあらゆるあだ名が脳裏に蘇ってきた。思いつくままに列挙してみたい。

(小・中学校編)
のりしお…名前の「のりきよ」をもじった。当時、湖池屋のポテトチップスのCMで「パリパリのり塩やっぱりのり塩…」というのが流行っていたのである。
珍念…苗字の「さいねん」から。「さいねん珍念ダサイねん」とからかわれることも。
わたぼこり…髪の毛が天然パーマで、またの名を「スチールウール」「ウニ」ともいった。
ゴツオ…名前の「みつお」から転化。
星くーん!…そのままだが、「巨人の星」の左門豊作風に呼ぶ。国語のN先生がふざけてそう呼んだら広まってしまった。
イッキマン…苗字の「いき」と、当時放映されていたアニメ「剛Q超児イッキマン」を引っかけた。
アンパンマン…顔が丸くてモッチリしていた。
ダイコン…苗字の「だいじま」から転化。
バビオ…苗字の「はせお」から転化したが、意味は不明。ちなみに実家の洋品店「アヅマヤ」は、みんなから「バビオヤ」と言われていた。
ヒマ人…秀才で、テストで早く答案を書き終えたので残りの時間居眠りしていたら、先生から「お前ヒマ人だな」と言われてしまった。
オイラ…自分のことを「オイラ」と呼ぶので。彼はこの他にも「モスラ」「たをぐ」といった奇妙なあだ名がある。由来は、本人の名誉のためにここでは伏せておく…。
オヤジ…風貌や言動がオヤジそのもの。私も枯れているが、彼にはかなわない。
デンチン…昔、「デンジマン」のキャラクター自転車を愛用していた。
ファルコン…愛用していた靴のブランド名から。
ゼツオ・ゼッちゃん…後頭部がものすごい「絶壁」だった。
キュウリ…顔も体型も細長かった。
ピテアウストラロピテクスとかピテカントロプスの「ピテ」。見た目が…。
ウチゴン…苗字の「うちだ」に、ごつい体格だったので、それっぽい「ゴン」がついた。
ブリ…由来不明。本人もよくわからないらしい。

(高校編)
おじゃる…演劇部で、山伏の役をやった時に語尾に「ごじゃる」をつけてしゃべっていたのがウケたので、私が「ごじゃる」と勝手に命名したら広がってしまった。後に「ご」が「お」に転化。
ゴリ…本人自ら「『ゴリ』と呼んでくれ!」と自己紹介。確かにゴツイ男。
ハマー…高校入学直後、本人もよくわからない内に定着。「髪型がM.C.ハマーに似ていたから」という説があるが、全く似ていない。誰が呼び始めたのかも謎。
ミルトン…苗字が乳酸飲料「ミルトン」の製造元と同じだったので、私が安直に命名(笑)。

(その他編)
スマイル…同い年の元草野球仲間。いつも笑顔なので最初は「スマイリー」と呼んでいたが、後に「スマイル」に。
オマリー…高校の校長。我々の代ではこの呼び名は存在せず、後輩の代になって言われ始めたらしい。苗字の「尾又」の「おま」と、名前の「利一」を読み替えて合成。実は、国立高校が都立校史上初の甲子園出場を果たした時の野球部部長である。見た目、雰囲気、しゃべりは、長嶋茂雄氏に似ていた(笑)。

高校に入ったらガクンとあだ名の数が激減してしまった。ほとんど安直に名前で呼んでいたからだ。やはり子供の頃の方が発想が柔軟だったということなのだろうか。いやはやなんとも。

あだ名だな。

2005-06-15 23:55:14 | 雑記
私はHNでは「うえぽん」を名乗っているが、実際のあだ名ではないのである。小・中学校の友人連中には「ウエさん」と呼ばれ、高校の友人連中には「ウエちゃん」と呼ばれ、大学では苗字のままで呼ばれた。ところが、最初に入った会社(バス会社)では「えなり」「大仏」「地蔵」(詳細はこちらの記事をどうぞ)、「コータローちゃん」(詳細はこちらの記事をどうぞ)、「三郎」などなど、一年半しかいなかったのに山のようにあだ名を付けられた。ちなみに「三郎」というのはこの人とは全く関係ない。同じ読み方の苗字の運転士がいて、その人の名が次郎さんだったのでその弟分という意味であったのと、事務員で等々力さんという先輩がおり、「とどろき」と言えば轟二郎、その後輩なんだから「三郎」、という二重の意味がかかっていたのである。もっとも、等々力先輩の正しい読み方は「とどりき」だったのであるが。
あだ名をつけられるということは即ち、存在を認められたということでもある。名前や「ウエさん」「ウエちゃん」とか呼ばれるのが悪いわけではないが、あだ名だと、より相手との距離が縮まった感じがして、結構嬉しいものだ。私も負けじと(?)運転士や事務員相手にあだ名を付けてたりしたものである。バリバリと増務に励むヒゲの運転士Kさんには、当時横浜の中継ぎエースだった五十嵐英樹投手になぞらえ「ヒゲ魔神」というあだ名を付け、マギー司郎のような飄々としたキャラだったNさんは「マジシャン」と呼んだ。福岡出身でマフィアのボスみたいな風貌のNさんは「博多のボス」。年上の藤原さんという女子事務員が「藤姉(ふじねえ)」。コワモテに似合わず温厚で気さくなF主任には「兄貴」、おおらかな人柄のY先輩(後に主任)には「親分」、仕事の先生だったK先輩(後に主任)はその体格から「親方」(これはさすがに本人の前では言えなかったが)。余談だが、この「兄貴」「親分」「親方」が三人で歩いていると、どう見てもアブない筋のお方に見えたものだ。一部では「ヤ○ザ三兄弟」とも言われていたのだ(でも、全員とても優しい善人だった)。
とにかくバス会社の営業所というのは人が多く、その分あだ名の数も多かった。苗字が「鶴岡」なので「ロマンチカ」。いつもニコニコしているので「スマイラー」。指導運転士で人柄も良かったので、名前を音読みにして箔をつけ「リン・ショウユウ先生」。テツヤさんという人が2人いて、片方は「ハゲテツ」(呼んで字のごとし)、もう一人は「ヒゲテツ」。ヒゲテツさんにはもう一つあだ名があって、それは「キテレツ」。短気ですぐキレるため「キレテツ」と呼ばれていたのが、いつの間にか中の二文字がひっくり返ってしまったのだ。昔、借金のかたで家を失ったことがあることから「ホームレス」と呼ばれてしまったかわいそうな人もいた(しかし、宝くじが当たって盛り返したらしい)。韓国通なので「アンニョンハセヨ」から取って「ハセヨ」。「松竹梅」というあだ名の人は、本名に「松」「竹」「梅」が使われている珍しい人だった。苗字が「松坂」なので「牛(ギュウ)」…それを言うなら本当は「松阪(まつ『さ』か)」なのだが。
中には「これどうなのよ?」と思う由来のものもあるが、本人が拒絶していない以上アリなのだろう。ちょっとブラックなあだ名も、親しみの裏返しととれなくもない。

母が高校生の時も、先生にはそれぞれあだ名が付いていたという。「ポン太」「キンデカ」「メザシ」etc…。夏目漱石の「坊っちゃん」に登場する「山嵐」や「赤シャツ」や「うらなり」みたいなものだ。そう言えば、私の中・高時代にはあだ名を付けられるような先生はあまりいなかったなぁ。せいぜい、色黒の学年主任が一部で「ブラック」と呼ばれていたぐらいか。親しみがないわけではなかったのだが、あだ名をつけられるような強烈なキャラクター性に欠けていたのかも知れない。これも、没個性化が進む時代の流れというヤツなのか。

皆さんのところでは、何か面白いあだ名ってありました?

小説家 見てきたような 嘘を書き(?)

2005-06-14 23:04:17 | 雑記
ずーっと読もう読もうと思いつつ後回しになっていた、貫井徳郎の「慟哭」を図書館で借りてきて読んでいる。
小説を読むというのは、文章を読みつつ登場人物の外見や心情、舞台となる場所の情景などを脳内で膨らませる作業なわけで、結構体力を使う(あくまで私の場合です)。私が長編小説にあまり手を出さないのは、体力がないため途中で疲れて飽きてしまい、どうでも良くなってしまうからだ。読んでも短編か、疲れにくいエッセイに走りがちなのだが、今回は久々に長編に挑戦である。
それはまあいいとして、小説を読んでいて思うのは、文章表現というのは便利だなぁということである。極端な話、作者が「すごい」と書けば、有無を言わさず「すごい」のだ。どうすごいかは読者の想像力にかかっているのである。例えば、今ちょうど読んでいる「慟哭」から、ある宗教の教祖「胡泉翔叡」に関する文章を一部抜粋してみよう。

「俳優にしたいほど整った容貌に、自信が漲っている。カリスマ性を十分に備えた人物だった。」

「胡泉翔叡の口調は熱を孕み、聴衆の期待をさらに盛り上げる天性のカリスマ性を備えていた。」

「胡泉翔叡は数万の聴衆の心を、その大胆な話術の腕力でぐいと掴み、決して逸らさなかった。」

一体どんなすごいヤツなんだ胡泉翔叡。いちいち掘り下げていたらキリがないので「そういうことなんだ」と一応納得して読み進んでいるが、想像力の貧困な私には、どれほどのものなのかわからないのである。わからないから実在の人物と置き換えることもできない。作者がこれを書いている時は脳内で「俳優にしたいほど整った容貌に自信が漲ったカリスマ性十分の男が、聴衆の心を逸らさない大胆な話術で弁舌を振るっていた」はずだ。作者の思う翔叡は一体どういう顔なのか、聴衆の心を逸らさない大胆な話術とはいかなるものか、ぜひ知りたいものである。もっとも、こういう想像を各々で張り巡らせることこそが、テレビドラマとは違う小説の醍醐味であるのだが。

ああ、己の貧困な想像力がもどかしい。でも、これしきで困っていたら時代小説なんかとても読めないけどね。

コ、「コアラうまい。」ですか…。

2005-06-13 23:11:30 | 表へ出ろ
井の頭線新代田駅前に昔からある、焼鳥屋「石狩」の広告。何度か新しくなっているのだが、店主がなぜかコアラ好きらしく、「コアラうまい」は不動のキャッチフレーズである。このチープさに、何かグッと引きつけられませんか?私は引きつけられました。でも、行ったことは一度もない(爆)。左下の詰め将棋に正解すると、チューハイ一杯サービスだそうな。ご近所の将棋好きの方、ぜひどうぞ。

「フレンド祭り」とは、良く言った。

2005-06-12 19:14:59 | 表へ出ろ
こちらが先日ご紹介した、東京都下某市の蕎麦屋「青葉」のカツ丼でございます。味付けはちょっと濃いめですが、それがまた日頃激務で疲れた体にはちょうど良かったんですね。タマネギの他にシイタケも入っていて大変美味、お値段は800円でございます(写真には出ていませんが、サラダも付いてます)。昔はこれを食べてもまだ少し物足りないぐらいだったんですが、今は体は太ったのに胃袋は小さくなったようで、すっかり満腹になりました。

さて、この日は前にも書いたとおり、昔勤めていた会社のイベントがある日でした。複数のバスを展示し、模擬店を出したり部品の即売会をしたりするわけです。今日は天気も良くて、かなりの盛況でした。私は確かにマニアで(笑)毎年来ていますが、部品などの類にはあまり興味がなく、あてもなくフラフラと歩いては、かつてお世話になった運転士や事務員の方々をつかまえて旧交を温めているわけです。辞めてから20キロ太ってしまったので、会う人みんな腹を見て失笑しやがる、ちくしょー。「もう1回帰って来いよ、そうすりゃまた痩せるぜ」なんて、そんな恐ろしいこと言わないでよ。おとといの夜、事務員に復帰した夢を見て「うおあああ~、穴が全然埋まらねぇぇ~」と冷や汗流したばっかりなんだから。

毎回このイベントには本社から援軍が来るのですが、今回はいつも以上に知っている方々が多く来て、普段ならめったに会えないはずの人にも会えました。おまけに、数少ない後輩のMくんが、わざわざ転勤先から泊まり明けでそのまま遊びに来て、これまた久しぶりの再会になりました。こういうことにはやっぱり顔を出しておくものです。懐かしい一日でした。

だいにじにじ(第二次虹)

2005-06-12 08:11:16 | 雑記
昨日の夕方、きれいな虹が出ました。さっそくケータイで撮影して、PCに送って画像処理を施すためによく見たら…太い虹の外側にうっすら薄い虹がもう一本(見えますか?)。撮影した時には全く気付かなかったんです。副虹(ふくこう、ふくにじ。またの名を「第二次虹」)と言って、大変珍しい現象なんだそうです。まぁ、何てラッキーな♪近々いいことあるかも…え?これで運を使い果たしたって?ガチョーン。