世界遺産に登録されているイタリア・フィレンツェ中心部にある「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」で、日本人が書いたとみられる落書きが多数みつかって物議を醸している。
中には大学名を書いている大学生や有名高校野球チームの指導者とみられる人物の物もあった。
もちろん落書きしているのは日本人だけではないが、共同報によれば、
ほとんどはイタリア語、英語、スペイン語など欧米の言葉で書かれ、日本語は全体の1割程度だったが、ハートマークの中に多くの女性の名前が書かれ、その下に「本当の愛をさがしにいくよ」との落書きも。都内の私立大生を名乗るものもあった。2008/06/29 22:19 【共同通信】
とのこと。おそらく日本人観光客が1割も占めているはずがないから、比率として日本人の落書き率が高いように感じられる。
「日本人は落書きに寛容すぎる」と指摘する有識者も多い。たしかにこの大聖堂だけでなく、各地の有名観光地に行くと、訪問記念として書かれた落書きをよく目にする。
神社や仏閣を参拝して、つい落書きしてしまうのは、日本人のDNAに染み込んだ性かもしれないと思う。そもそも千社札とは寺社へ参拝した印として貼り付ける物だった。現在では千社札禁止という寺社も多いが……。また絵馬を奉納するのも、御神籤を枝に結びつけるのも似たような行為だろう。
たぶん日本人は、なにか形に残さなければ不安な民族ではないか? 海外旅行にカメラをぶらさげて回る日本人の漫画はおなじみだ(笑)。つまり日本の歴史(訪問証明の千社札が許されていたこと)や民族性(旅行先では写真等の記録に残したがる)などが反映されているのではないかと思う。
もちろん落書きが日本人の専売特許ではない。外国人でも落書きする。
悪名高く有名になったのはニューヨークの地下鉄の落書きか?
かつて、このNY地下鉄の落書きやジュリアーニ・元ニューヨーク市長、彼が唱えた「ブロークン・ウインドー・セオリー(割れ窓理論)」などについて米国人と話したことがある。
そこで日本人と違うなと感じたのは、彼らの感覚だと、壁にスプレーで落書きすることと、窓ガラスに石を投げて割る行為がほぼ同一なんですね。
これには違和感を感じたが、じっくり考えれば納得できる。落書きされたら消すのに労力がかかる。ペンキ代などの費用もかかる。いっぽう窓ガラスを割られたら取り替えるのに労力がかかる。新しい窓ガラスの費用もかかる。労力と費用を考えれば、米国人がいう「落書きも窓ガラスを割るのも同じような悪行」という捉え方のほうが適切かもしれない。
でも、日本人はどうでしょうか? もちろん落書きもするしガラスも割る悪ガキもたくさんいるだろうが、各地の観光地に書かれている夥しい数の落書きをしている人間達が、平気でガラスに投石しているようには感じられない。
大多数は「ガラスを割るのは大きな悪いことだが、落書きは小さな悪いこと」という認識ではないかと感じられる。
全国の小中学校の机に落書きがまったく無い物はどれぐらいあるだろうか?
実際に筆者も小・中学生時代には、教室の自分の机に落書きしてしまった。だが、それで教師から叱られた記憶は無い。
こういう部分から、まず改めるべきだろう。学校の机といえば公共物だから、それに落書きしてはいけない――というような所から周知していくべき。そういうのを野放しにして育てといて、世界遺産は駄目――といっても防止策にはならない気がする。
『東京ラブストーリー』の最終回。学校の柱に彫られた永尾完治と赤名リカの名。
このシーンを「こいつら、モラルが低いバカップルだな」と思って見ていた日本人は、どれぐらいいただろう?
中には大学名を書いている大学生や有名高校野球チームの指導者とみられる人物の物もあった。
もちろん落書きしているのは日本人だけではないが、共同報によれば、
ほとんどはイタリア語、英語、スペイン語など欧米の言葉で書かれ、日本語は全体の1割程度だったが、ハートマークの中に多くの女性の名前が書かれ、その下に「本当の愛をさがしにいくよ」との落書きも。都内の私立大生を名乗るものもあった。2008/06/29 22:19 【共同通信】
とのこと。おそらく日本人観光客が1割も占めているはずがないから、比率として日本人の落書き率が高いように感じられる。
「日本人は落書きに寛容すぎる」と指摘する有識者も多い。たしかにこの大聖堂だけでなく、各地の有名観光地に行くと、訪問記念として書かれた落書きをよく目にする。
神社や仏閣を参拝して、つい落書きしてしまうのは、日本人のDNAに染み込んだ性かもしれないと思う。そもそも千社札とは寺社へ参拝した印として貼り付ける物だった。現在では千社札禁止という寺社も多いが……。また絵馬を奉納するのも、御神籤を枝に結びつけるのも似たような行為だろう。
たぶん日本人は、なにか形に残さなければ不安な民族ではないか? 海外旅行にカメラをぶらさげて回る日本人の漫画はおなじみだ(笑)。つまり日本の歴史(訪問証明の千社札が許されていたこと)や民族性(旅行先では写真等の記録に残したがる)などが反映されているのではないかと思う。
もちろん落書きが日本人の専売特許ではない。外国人でも落書きする。
悪名高く有名になったのはニューヨークの地下鉄の落書きか?
かつて、このNY地下鉄の落書きやジュリアーニ・元ニューヨーク市長、彼が唱えた「ブロークン・ウインドー・セオリー(割れ窓理論)」などについて米国人と話したことがある。
そこで日本人と違うなと感じたのは、彼らの感覚だと、壁にスプレーで落書きすることと、窓ガラスに石を投げて割る行為がほぼ同一なんですね。
これには違和感を感じたが、じっくり考えれば納得できる。落書きされたら消すのに労力がかかる。ペンキ代などの費用もかかる。いっぽう窓ガラスを割られたら取り替えるのに労力がかかる。新しい窓ガラスの費用もかかる。労力と費用を考えれば、米国人がいう「落書きも窓ガラスを割るのも同じような悪行」という捉え方のほうが適切かもしれない。
でも、日本人はどうでしょうか? もちろん落書きもするしガラスも割る悪ガキもたくさんいるだろうが、各地の観光地に書かれている夥しい数の落書きをしている人間達が、平気でガラスに投石しているようには感じられない。
大多数は「ガラスを割るのは大きな悪いことだが、落書きは小さな悪いこと」という認識ではないかと感じられる。
全国の小中学校の机に落書きがまったく無い物はどれぐらいあるだろうか?
実際に筆者も小・中学生時代には、教室の自分の机に落書きしてしまった。だが、それで教師から叱られた記憶は無い。
こういう部分から、まず改めるべきだろう。学校の机といえば公共物だから、それに落書きしてはいけない――というような所から周知していくべき。そういうのを野放しにして育てといて、世界遺産は駄目――といっても防止策にはならない気がする。
『東京ラブストーリー』の最終回。学校の柱に彫られた永尾完治と赤名リカの名。
このシーンを「こいつら、モラルが低いバカップルだな」と思って見ていた日本人は、どれぐらいいただろう?