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愛猫が逝って三日目

2015年01月06日 10時22分22秒 | その他
何をしていればいいか解らない毎日になりました。
「悲しみで」というよりは、「猫がいるのが当然になってしまっていたので」が、一番大きな理由です。
19年半という月日は、猫がいなかった頃の生活など思い出せないほど長い。
飼い主が30歳に飼い始めたら49歳に、40歳で飼い始めたら59歳になるんです。
人間ならば赤ん坊が高校を卒業して大学生や社会人になっている期間です。

死ぬ直前は、ほぼ寝たきりでした。
時折、横になっている炬燵の中を覗き込んで生死確認する程度の触れ合いでした。
でも、その際に何度か頭を撫でてあげた1分にも満たない時間がなくなったのが、とても寂しい。
頭を撫でると目を細めました。ただの反射かもしれませんが、人間は「笑顔になった」と解釈するもんですね。
最期の瞬間までカワイイ猫でした。

生前、午前中は結構忙しかった。
動物病院が徒歩8分程度の場所にあったのが幸運でした。
今回に限らず、具合が悪くなると直ぐに診てもらえました。
しかし動物病院の数が少なく、というより御長寿ペットが増えているようで、いつも混んでいました。
ペットの世界も人間同様に高齢化が進んでいるようです。人間の病院も長時間、待たされるのが珍しくありませんよね。
ペットの高齢化が進んでいるのはペットフードを見ると明らかです。
20年くらい前は、高齢猫用フードは「7歳以上」となっていました。それが10年ほど前から「11歳以上用」を見かけるようになり、今では各メーカーから「15歳以上用」が発売されています。メーカーとて商売ですから赤字になる商品は出さないはず。15歳以上の猫がそれだけいて売れるから発売しているのでしょう。
話が逸れましたが、その動物病院の診察開始が午前9時。1時間前の午前8時から診察券受付が開始されます。遠くからクルマで来る方などは8時半頃にペットと一緒にやってきますが、徒歩8分程度の距離にある私は、まず8時に飼い主だけで行って診察券を出し、ペットは9時に間に合うように家に迎えに帰りました。1時間キャリーケースに入れたまま待合室にいたら余計に容体が悪くなりそうでしたから。キャリーケースには使い捨てカイロを吸水シーツの下に敷きましたが、それでも往き返りは気を遣いました。
動物病院については、もうひとつ言いたいことがあります。
暇と寂しさを紛らわすために、ネットで「飼猫に死なれた人」が書いたあれこれを読んでいました。
傾向として「後悔して自分を責めてる方」と「周囲に怒りを感じてる方」に大別される印象を受けました。
自分を責める気持ちはとても良く解ります。私にもいろいろとあり過ぎます。「なぜあの時に、こうしなかったのか」なんて数限りなく思い出されます。ただ救いは、19歳まで生きてくれたことでしょうか。他の猫があまり生きられない年齢まで生かしてやれたことが、後悔の念を薄めてくれます。長生きしてくれた愛猫に感謝します。本当に飼い主孝行な猫でした。
怒りの矛先で一番多いのは獣医さんでした。獣医が悪かったせいで死んだ…というもの。
「後悔」と「怒り」は、中に出るか外に発せられるかの違いで、要するに「悲しみから目を逸らすカタルシス」じゃないかと思います。所詮、素人の飼い主にとっては間違った治療法にしか見えなくても、実際はそれしか方法がなかったのかもしれません。
でも色々と読んでいると、やっぱり問題ある獣医師や動物病院がないとは言えない印象でした。
その点、愛猫が掛かった病院は本当に良いところでした。感謝こそあれ、恨みなど全くありません。

にしても、まだ午前中なんですね。
生きていたら動物病院に行ってた時間です。
遺体があったうちは、それでも撫でてやれる物がありましたが、つつがなく火葬も済ませたために、それも無くなってしまいました。
死体を撫でるというと猟奇的に聞こえるかもしれません。
確かに肉体は死後硬直でカチカチに冷たく固まってしまっていましたが、毛はふさふさしたままでした。
死ねば毛の質感も変わるのではないかと想像していましたが、体温を感じなくなっただけで毛の手触りは同じでした。
ぬいぐるみを撫でてる感じをイメージしてもらうと適当です。
まさか骨を撫でることはできず(それは猟奇的ですw)またひとつ寂しくなってしまいました。