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欽ちゃん・中田・キャンディーズ

2006年07月22日 11時01分00秒 | 音楽・芸能
一般人は持っていない特別な才能を持つ人間が、突然、それを投げ出してしまうことは、これまで何度も起きている。一般人には不可解な引退劇。

歌手が「もう歌えない」と言って、歌うのをやめてしまう。
作家が「もう書けない」と言って、書くのをやめてしまう。
最近の例で言えば、サッカーの中田英寿選手の引退も該当すると思える。

中田引退で、しきりに「モチベーション」という用語が用いられた。これは当事者にしか解らない物だ。
部外者が「W杯でもずば抜けたプレーをしていた。まだまだ第一線で活躍できる能力は有る」なんて言ったところで、何の意味も無い。

突然の引退劇は、しばしば大きな波紋を起こしてしまう。周囲が多大な迷惑を被ることもある。もちろん引退する当事者も、そんな事は解っているだろう。
でも「もうできない」のだから仕方がない。モチベーションとは、努力して手に入れる物ではなく、自然に湧き上がってくるものだ。本人ですら、どうすることもできない物なのだ。

今回の萩本欽一氏の茨城GG解散騒動も同じ心理かと思う。正確に言えば「チームを解散します」というより「もう野球をやめます」という心境なのだろう。
彼はコメディアンであるから、この宣言は「もうコントはやめます」とか「もうテレビは出ません」とか、そういう類だと思う。つまり「野球に対するモチベーションの喪失」だろう。

茨城GGの問題点を指摘すれば、経営システムまで萩本氏中心になっていたことだろう。
たとえば芸能人の場合は、所属プロダクションがマネジメントしている。
キャンディーズが突然解散する際に発生した様々な問題は渡辺プロダクションが解決したし、山口百恵の引退後の処理はホリプロダクションが行った。フォロー、バックアップする体制が作られているのだ。だからモチベーションという、いつ喪失するか解らない不安定な代物に依って活動している人間とも、ビジネスとして契約する。

現状分析すると、茨城GG解散は回避される可能性が高くなってきたように思う。しかし、それで「めでたしめでたし」にはならない。今後、茨城GGは萩本氏とは別のしっかりとした運営・経営システムを確立しておかなければならないと感じる。でなければ、また同じことが繰り返される可能性がある。
なぜならば萩本欽一という人物は、決して経営者ではなく、己のモチベーションによって行動が決せられる個人的な表現者であるからだ。


【補記】
一般社会でも「モチベーション」という言葉が用いられるが、これは「意欲」とか「やる気」みたいな意味と感じる。
「モチベーション低いけど、仕事終わらせよう」は「やる気ないけど……」だろう。
これに対して、表現者や競技者にとって「モチベーション」とは活動の源と言って良いだろう。
つまり中田にとって「モチベーションを喪失したけど、プレーを続ける」というのは、決して「やる気しないけど、サッカーしよう」という意味ではない。モチベーションを喪失したらもはや行動は不可能なのである。

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