憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

26日~1月1日 御予定

2022-12-27 02:12:59 | ご予定
宮内庁は12月26日~来年1月1日の予定を発表した。天皇陛下は12月26日、皇居・宮殿で衆議院の永年在職表彰議員のあいさつを受ける。

天皇、皇后両陛下、愛子さま
12/26(月)
天皇陛下 皇居・宮殿(新任駐在マレーシア特命全権大使と新任駐在イエメン特命全権大使の信任状捧呈式)
天皇陛下 皇居・宮殿(衆議院の永年在職表彰議員のあいさつ)


皇嗣家(秋篠宮ご一家
12/31(土)
佳子さま 皇居・神嘉殿前庭(大祓の儀)


高円宮家
12/27(火)
久子さま 味の素フィールド西が丘(高円宮妃杯JFA第27回全日本U-15女子サッカー選手権大会決勝戦)

久子さま 味の素フィールド西が丘(高円宮杯JFA第34回全日本U-15サッカー選手権大会決勝戦)

12/28(水)
久子さま 国立競技場(第101回全国高等学校サッカー選手権大会開会式・開幕戦)

😨 1月1日の予定が発表されていません。
昨年はどうだったのか、、


令和3年12月27日に発表された御予定には、1月9日までの予定が書いてありました。
正月3日に予定発表を出していられないので2週間分をまとめて出したのでしょうが、何と言っても愛子さまが初めて正月行事に臨まれたことが大きかった。今年は愛子さまが初めて一般参賀にお出ましになるという華やかな話題もあるのに、何だか寂しい御予定発表です。
いや、いや愛子さまを盛り上げるために年末に正月の予定を華々しく出すつもりなのかもしれません。

宮中の大祓儀は公開されていませので、伊勢神宮、春日大社の大祓の写真を。






19日~25日 ご動静

2022-12-26 23:27:07 | ご動静
*19日、宮内庁が発表した天皇御一家の19日から25日のご予定

12/19(月)
天皇陛下 皇居・宮殿(新任駐在フィンランド特命全権大使と新任駐在欧州連合代表部代表・特命全権大使の信任状捧呈式)
天皇陛下 皇居・御所(セネガルのサル大統領との会見)

以上

*実際のご活動
(19日)
【午前】
陛下 フィンランド、欧州連合代表部の新任駐日大使の信任状捧呈式(宮殿)
【午後】
両陛下 財務大臣表彰の国税庁税務職員および総務大臣表彰の地方公共団体税務職員が拝謁(宮殿)
両陛下 宮内庁の新規採用職員が拝謁(宮殿)
陛下 セネガルのサル大統領とご会見(御所)

(20日)
【午後】 陛下 ご執務(御所)

(23日) 
【午前】
両陛下 上皇さまお誕生日につき祝賀(東京都港区・仙洞御所)
【午後】
陛下 ご執務(御所)

(25日)
【午前】
陛下 大正天皇例祭の儀(皇居・皇霊殿)
皇后さま 大正天皇例祭の儀に当たりご遙拝・お慎み(御所)


*御執務 週回午後

*下線が御予定で発表されなかったご活動。
 ●税務職員の拝謁
天皇皇后両陛下、今年表彰の税務職員ら166人と面会 皇居・豊明殿


●セネガル、サル大統領との面会

こちらは、御所、小広間。
すぐ前に宮殿で税務職員、宮内庁新規採用者の拝謁にお出ましになった雅子さまだが、サル大統領の面会にはお出にならなかった。
どうやら「皇后は御客様が夫人同伴の場合のみ顔を出す」というのが令和流と定まったようです。


平成までは、御客様が夫人同伴でなくても、天皇皇后でおもてなし。
このほうが誠意ある対応と思われるがどんなもんでしょう。

”類い希なる外交力”の雅子さまを宮内庁は出せないのか、出さないのか。
奇妙なことでございます。

椅子も盛り花も昭和平成の時代より格段にレベルが落ちているのも気になります。天皇と外国要人との面会映像は相手国内でも公表されるでしょう。
日本の威信を示すためにも、花くらい奮発しましょう。

●23日上皇誕生日の御挨拶も予定発表されませんでしたが、私的お出ましという扱いなのか。しかし沿道に報道陣を招き美々しき行列を仕立てて祝意を述べにお出ましになるのは、私的お出ましというより天皇が親への孝を尽くす姿を見せるデモンストレーションのようなものでしょう。
予定発表があってしかるべきと思われます。


上皇さまの誕生日を祝うため、仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下=23日午前10時56分、東京都港区(代表撮影)© 産経新聞 

お住まいが同じ赤坂御用地内のためか、仙洞御所に向かわれる皇嗣御夫妻の写真は公表されていない。

●25日、雅子さまは大正天皇例祭はを予想通り欠席でした。
昨年の大正天皇例祭は、愛子さまが成年皇族となって初めての祭祀に出席されるということで大いに話題になりましたが、今年は愛子さまのご動静は何も聞こえてきません。拝礼されたのでしょうか。

山陵儀に今年は承子さまが行かれたはずなのですが、報道が見つかりません。
三笠宮系列の方々は直系の天皇として大切にされているようなので、皇霊殿でも多摩陵でも丁寧に拝礼されたことでしょう。


雅子さまを全快したことにしても問題は解決しない。

2022-12-26 01:54:27 | 令和の天皇家

23日、宮内庁が来年4月に広報室を新設することをメディアは一斉に伝えた。

宮内庁 「広報室」を新設へ 来年4月から SNSを含めた新たな情報発信手法を検討
12/23(金) 18:08配信 日テレNEWS
宮内庁は、積極的な広報展開のため、来年4月から「広報室」を新設することになりました。ホームページのリニューアルやSNSを含めた新たな情報発信手法の検討を行うということです。

宮内庁は、来年度予算案の説明の中で、積極的な広報展開のために人員を増やし、宮内庁総務課の中に「広報室」を新設すると発表しました。

来年4月から広報室長を含めた10人の体制で発足するということです。

これまで広報は、宮内庁総務課にある「報道室」が担ってきましたが、報道対応の報道室と直接発信する広報室との役割を分けるということです。

ホームページのリニューアルや新しい情報発信手法の検討を担当していくということですが、宮内庁は、SNSの手法を取り入れるかについては、「まだ決まっていない」と話しています。

😃 どのようなものになるか、4月を待たなければわからない。
が、今のように天皇皇后の予定すらまともに国民に伝えない宮内庁が広報室を作ろうがSNSを始めようが、その内容がまともな情報発信になるとは到底思えない。

篠田氏は今まで週刊誌が担ってきた皇室の裏事情を発信する役割を広報室が果たして行くのだろうと言っているが、篠田氏がyahooニュースに寄せた文章を読んでも、宮内庁は正しい裏事情ではなく国民向けに発表したい裏事情、即ち印象操作のためのプロパガンダをするつもりであるような気配を感じる。




yahooニュースはすぐに消えてしまうので、いつまでリンクが有効か解らないが。

<抜粋>
つまり、適応障害と愛子さまというふたつのことに言及しなかったのは、雅子さまがそれらのことについて最も厳しかった状況を乗り越えつつあると認識していることの現れだというのだ。
 最初、週刊誌1誌がそう書いていたのを読んだ時には、なるほどそういう見方があるのかと思ったが、幾つかの週刊誌が同じ見方をしているのを見て、ああこれは情報源である皇室関係者がそういう見方をしているのだとわかった。翌週の『週刊新潮』12月29日号も「『主治医』と『侍従』が代弁 『雅子さま』の『ウィズ適応障害』宣言」と題して同趣旨の記事を掲げているから、これは単なる特定の雑誌の見方ではないのだろう

😐 『女性自身』が12/27号で、雅子さまがお誕生日文書で御自身の病気と愛子さまについて言及しなかったのは、病気の御回復と愛子さまの自立を意識されているからだ、と報じた時、私は「文書に言及が無い」という事実だけで、よく話が作れるものだと呆れたが、情報の出所は皇室関係者だったようです。
「雅子さまは回復した。」「愛子さまは自立された。」と記事にすることを望んだのは皇室関係者だった。
何のために?雅子さまと愛子さまのイメージアップのためでしょう。

しかし、全快したはずの雅子さまは15日御神楽の儀、欠席、16日御会釈、欠席するも、夜8時近くに曜変天目茶碗を御鑑賞。
オカシイでしょう。

愛子さま21歳誕生日行事を雅子さまが欠席したのは、愛子さまが自立したからと言いたいのか。
その一方で宮内庁は、愛子さまが今後も大学へ登校するかどうかはご両親と侍医に相談して決める。と発表している。
学生が大学へ登校するしないを両親と相談して決めるようでは、自立しているとは言い難い。😁

こんな調子の辻褄の合わない例が記事中には他にも書いてある。
皇室や宮内庁が週刊誌に書いて欲しいことが正しく事実を伝えているとは限らない。週刊誌を話半分で読むように宮内庁からの発信も注意して読んだ方がよいかもしません。

天皇ご一家そろって公の場に じっくりと国宝などを鑑賞

雅子さまと愛子さまの眼をアップで観察できる。
雅子さまはとても全快されたかたの眼ではないし、愛子さまの眼は御優秀なかたのそれではない。(説明に頷く眼には苛立ちのようなものが浮かぶ。もしかしたら、説明を理解できないのかも?)

宮内庁は、雅子さま、愛子さまを大切にするということはどういうことか、天皇御一家を護るということはどういうことか、を根本から考えていただきたいと思います。
勿論、皇嗣御一家を護ること、悠仁殿下を護ることも。


上目遣いの上皇誕生日

2022-12-25 01:11:45 | 上皇上皇后
12月23日上皇誕生日。
この方がお生まれになった時は国中が奉祝に沸いたようだ。歌まで作られている。
【歴史的音源動画】童謡 皇太子さまお生れなつた

8歳から12歳まで太平洋戦争。戦争末期1944年から1945年8月終戦直後あたりまで大変怖い思いをされたようだが戦後の復興期から高度成長期、日本がみるみる経済大国に駆け上がって行った時代を皇太子、天皇として過ごされ、世界的に保たれていたパワーバランスが崩れ始め、日本がグラリと傾き始めた丁度そのころに退位された。

東宮御所を仙洞御所とされた念願の終の棲家でのお暮らしぶりをNHKが伝えている。


記事中、気になった部分。
宮内庁や関係者によりますと、毎日、朝と夕方に上皇后さまと一緒に庭を散策し、その際、近くのビルから人々が上皇ご夫妻に向かって手を振ることがあり、上皇さまは手を振って応えるなど交流を楽しみにされている様子だということです。

😅 これと全く同じ文章を高輪仮仙洞御所でのお暮らしぶりを伝える記事で読んだ記憶がある。




航空写真で東宮御所となっているのが赤坂仙洞御所。
庭を散歩される上皇上皇后を見下ろして手を振り合えるようなビルがあるとも見えないが?何処まで歩いて行かれているのか。

週刊誌報道によれば、赤坂仙洞御所へお入りになられた御夫妻は公表されている外出の他に私的に何度も外出されているという。御夫妻の朝夕のお散歩も御門の外へ及んでいるのかもしれない。


*宮内庁が発表した上皇の御日常

毎日、ご起床後に上皇后さまとお庭をご散策になり、お戻り後にお食堂の水槽で飼われているチチブハゼに餌をお与えになります。

7時のTVニュースをご覧になりながら朝食をおとりになり、その後はゆっくりと新聞に目を通され、上皇后さまと本を音読なさいます。

東宮時代からこれまでにモンテーニュの「随想録」、パスカルの「パンセ」、堀辰雄の「大和路・信濃路」、寺田寅彦の随筆などをご一緒に読んでこられましたが、最近は、お二方が共に小学生五年時に学ばれた国語の教科書を読み返していらっしゃいます。

9時には上皇后さまとご一緒に、当直の侍従から当日の上皇上皇后両陛下のご日程、皇室全体のご動静について説明をお受けになります。

また、国内外で発生している出来事についても話題となさり、説明をお受けになっています。

毎週、月曜日と金曜日の午前午後は皇居生物学研究所で、水曜日午前は仙洞御所で、生物学研究所職員とハゼ科魚類の分類に関する研究を進めておられ、国内外の論文を確認されたり、標本を顕微鏡でご覧になったり、2か月に一回開催される魚類分類研究会のオンライン会合に可能なかぎりご参加になっています。

ご研究がない日の午前は、日本や世界各地の歴史、文化、自然等を紹介するテレビ番組の録画を上皇后さまや侍従とご覧になります。

夕方には、上皇后さまがお付き添いになり、赤坂御用地内を30分程ご散策になっています。

隣接する迎賓館は、かつて東宮仮御所があった場所で、陛下は昭和12年3月から沼津にご疎開になる昭和19年5月までお住まいでしたが、10月の迎賓館休館日に一度、その辺りもご散策になりました。

ご散策からお戻り後は、上皇后さまとご一緒に、お供した職員としばらくご歓談になります。

最近では、ワールドカップサッカー日本代表の活躍が話題となっていました。

その他、午後には、読書をなさったり、大相撲の時期にはテレビ中継もお楽しみでした。

ごタ餐後の一時は、侍従が上がり、1953年の初めての英国ご訪問を始め、これまでの国内外のご訪問について、当時の記録集を見ながらお話を伺う時間になっています。

ご体調については、今年6月ごろから、体重がやや増加し、血液検査のBNP値が上昇したため、胸部レントゲン検査をお受けいただいたところ、心拡大、胸水貯留など心不全の所見がみられたことから、7月24日、東京大学医学部附属病院において心臓MRI検査をお受けになった結果、三尖弁閉鎖不全による右心不全と診断されました。

その後の経過については、6月末からの薬の服用、水分の摂取制限、ご運動を控えめにするといった内科的治療をお続けいただいた結果、現在、右心不全の所見は改善されつつあります。

また、9月19日には左眼の白内障手術を、9月25日には右眼の白内障および緑内障の手術を、いずれも同じく東京大学医学部附属病院においてお受けになり、無事にお済ませになりました。

術後の経過は良好であります。

宮中祭祀(さいし)が行われる間、陛下は上皇后さまと共に、今も静かにお慎みになっていらっしゃいます。

<中略>

ご研究については、現在、生物学研究所職員と二つの課題に取り組まれています。

一つは、生息域が重複するチチブとヌマチチブについて、それぞれの鰾の形状やひれの動きと遊泳行動の関係を明らかにするとともに、同一水系内で住み分けている両種の生息環境の違いを確認するためのご研究です。

これまでの標本や水槽遊泳を対象とする形質的観察に加え、他の研究者のCTスキャン骨格解析の結果も取り入れられるなど、研究手法を広げられています。

二つ目は、日本産クモハゼ属の分類学的研究です。

陛下は1980年の共著者との論文(「日本で採集されたクモハゼ属Bathygobius6種について」魚類学雑誌27巻3号)で、クモハゼ属を分類するための特徴的な体形質を抽出さ れ、その6種を分類されましたが、その後に新たに4種のクモハゼ属が日本に分布していることが確認されました。

このため、現在、この4種を含め、当時発表された体形質上の分類指標がなお有効であるかを確認するための研究をなさっています。

😐 上皇は認知症を患われていらっしゃると見るのですが、”上皇陛下”に相応しい御威厳を保ちつつ、ゆったりと穏やかな日々を過ごされているご様子は目出度い。万歳、万歳、万々歳。

日本の良い時代に甘い生活をし日本が苦悩の時代に突入しかけたらさっさと退位して、なお優雅な御生活を楽しまれている。と言ったら無礼に過ぎるだろうが…。


一瞬、良いところの坊ちゃんが銀座のママにせがまれて遠出してきたのかと…。😅


偕老同穴。良い御姿です。
上皇の御腰のあたりがふっくらして見えるが、備えて紙パンツを召されているのでしょう。経験的にですが・・・全体的な雰囲気からその段階に来ていらっしゃるように思われます。

至れり尽くせりの介護を受けられる上皇陛下はお幸せです。上皇后は「上皇のお世話をするのが私の役目。」と仰ったようですが、してあげたいことは何でもお出来になる上皇后もお幸せです。

長い長い人生を過ごした果てに認知症になり介護施設で職員から虐待を受けて落命する者もいる。
誰しも好んで認知症になるわけではないのだが…。


22日 皇嗣御夫妻福岡の受賞式へ 今上11月8日の月食写真を突如公表・・当てたの?

2022-12-22 23:40:22 | 秋篠宮
本日、皇嗣御夫妻は福岡アジア文化賞受賞式に御出席。現地入りしての御出席は3年振り。



秋篠宮ご夫妻、3年ぶり「福岡アジア文化賞」の授賞式に…和太鼓奏者の林英哲氏ら大賞
2022/12/22 22:17 読売新聞
秋篠宮ご夫妻は22日、福岡市内で開かれた「第32回福岡アジア文化賞」(福岡市など主催)の授賞式に出席された。コロナ禍の影響で、現地入りしての出席は3年ぶり。

同賞は、アジアの文化や学術の発展に貢献した人をたたえるもの。大賞に選ばれた和太鼓奏者の林 英哲えいてつ 氏(70)ら3人に賞状とメダルが贈られた。日本人の大賞受賞は9年ぶり3人目。

秋篠宮さまはあいさつで「賞を通じて、アジアの各地に対する理解、国際社会の平和と友好がいっそう促進されていくことを祈念します」と述べられた。

😊 皇嗣殿下は稲や家禽の広がりを通じてアジア史に興味をお持ちですから、このような活動への理解もお有りと拝察します。お小さいころの興味をもったものには実際に手を触れて見るという御性格は生涯変わらず、フィールドワークを重要視されるのも、その好ましい御性格ゆえかと見ています。




😱 宮内庁が何を思ったのか、今日、突然、今上が11月8日に撮影した月食写真を公表。
月食から1ヶ月以上経った今日発表した理由は?またしても当てたのか。

天皇陛下が撮影した11月の皆既月食の写真7枚 宮内庁が公表
TBS NEWS DIG - 2022年12月22日(木) 18:06
今年11月8日の皆既月食の際に天皇陛下が撮影した月の写真7枚を、宮内庁がきょう公表しました。

公表された7枚の写真は、月が徐々に欠けて赤黒くなり、再び元の月に戻る様子をとらえています。

11月8日、陛下は、皇后さま、愛子さまとともにお住まいの御所の庭で小学生の頃から愛用している天体望遠鏡などで皆既月食を観察し、カメラで撮影されたということです。陛下は太陽に隠れた月を「赤銅色になりましたね」と話されていたということです。また、皆既月食中に天王星が月に隠れて再び出る様子も観察されながら楽しまれたということです。

😁 新嘗祭の夜に愛子さまがサッカー観戦したことが今上御夫妻の予想に反して不評だったので、イメージアップのために親子三人仲良く月食観察したことを出したのか。それは良いとして、わざわざ皇嗣御夫妻が3年ぶりに福岡へ行かれた日に発表しなくても。

11月8日は、
【午後】
両陛下 全国老人クラブ連合会創立60周年記念全国老人クラブ大会ご臨席(東京都墨田区・国技館)
陛下 ご執務(御所)
両陛下 人事異動者が拝謁(御所)
両陛下 宮内庁総務課長から説明お受けに《兵庫県行幸啓について》(御所)


と、珍しく今上御夫妻そろっての御活動が3件あった日であった。
昼間は天皇皇后揃って仲睦まじく御公務。夜は親子三人仲良く月食観測。
今上御一家の綺麗な一日として国民にアピールするのは悪いことではないが、皇嗣御夫妻が福岡へお成りになった日に公表する必要があったのか。