uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
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「政治的公平性は権力が判断することではない」高市氏発言に田原氏ら危機感

2016-03-01 04:17:54 | 日記
高市早苗総務相が、

政治的公平性を欠く放送を繰り返した放送局の

「電波停止」を命じる可能性に言及したことに対し、

田原総一朗氏らテレビの報道キャスター6人が29日、会見し、

「高市氏の発言は憲法と放送法の精神に反している」

と抗議する声明を発表した。

会見では

「政治的公平性は一般的な公平公正とは違う。

権力が判断するものではない」

「誰もチェックしない権力は最後に大変なことになる」

などと批判し、日本のメディアと政治の行く末に懸念を示した。

会見には田原氏のほかに、

岸井成格氏、鳥越俊太郎氏、大谷昭宏氏、

金平茂紀氏、青木理氏が出席した。




◇「萎縮が蔓延」「誰もチェックしない権力」に懸念




冒頭、鳥越氏がアピール文を読み上げた。

高市氏の発言は、憲法によって保障されている

「放送による表現の自由」や

「放送が民主主義の発達に資する」

という放送法1条の精神に反していると批判する内容。

高市氏が「電波停止」の拠り所とする放送法4条は

「倫理規定」であることが定説であり、

放送法は戦争時の苦い経験として、

政府からの干渉の排除や

放送の独立を確保することが意図されていると説明した。


出席したキャスターからは、口々に高市氏の発言への批判が聞かれた。

金平氏は、放送の現場は「いま息苦しい」と語る。

権力からの攻撃なら跳ね返せるが、

自主規制や忖度、自粛といった雰囲気が

「メディアの内側に生まれてきている」と指摘。

「過剰な同調圧力から生じる『萎縮』が蔓延している」と危機感を示した。


岸井氏は、高市氏が電波停止の条件として言及した

「政治的公平性」について、メディアとしての姿勢を語った。

「政治的公平性は権力側が判断することではない。

政治家や官僚は大事なことはしゃべらないか隠す。

場合によっては嘘をつく。

政府の言うことだけ流すのは本当に公平性を欠く」。

さらに「公平公正」いう言葉にみんな騙されると指摘する。

「政治的公平性は一般の公平公正とは違う。

権力は必ず腐敗し暴走する。

それをさせてはならないというのがジャーナリズムであり、

ジャーナリズムの公平公正」とした。

鳥越氏は、「これはある種のメディアへの恫喝。

背後には安倍政権の一連のメディアに対する姿勢がある」

と、高市氏一人の発言ではないとの見方を示した。

そして、「政権のチェックをするはずのメディアが、

政権によってチェックされている。

誰もチェックしない政権は、最後に大変なことになる」と述べ、

戦前の大本営発表などを例に上げ、懸念を表明した。


田原氏は「高市氏の発言は非常に恥ずかしい発言。

直ちに全テレビ局の全番組が断固抗議するべき。

だが残念なことに多くのテレビ局の多くの番組は何も言わない」

とテレビ局の姿勢に疑問を投げかけた。

また、この3月で岸井氏(ニュース23)、

古舘伊知郎氏(報道ステーション)、

国谷裕子氏(クローズアップ現代)

が時を同じくして降板することに触れ、


「骨のある人たちが辞める。残念なこと。

まるで『高市発言』を受け取って

自粛したという行動になりかねない」と述べた。


青木氏は

「ジャーナリズムの矜持に関わるときは

組織の枠を超えて連帯して声を上げないといけない時があると思う」

と語り、大谷氏は

「視聴者に既に多大な影響が出ているのではないか」

と自らの取材先での経験を元に語った。

大谷氏は、東日本大震災の被災地で

「まだ復興していないのに復興しているかのような

取材をさせられているんだろう」

という住民のメディアへの不信感を痛感したという。

会場の記者に

「メディア人だから危機感を共有してほしい」と呼びかけた。


-THE PAGE 2月29日(月)18時35分配信-





報道の使命は「政治的公平性」を遵守する事ではない。

権力の暴走や、社会的不正や、

不当な仕組みをペンで攻撃する事にある。

世論に対する『啓蒙』

それこそが報道に課せられた使命であり

存在理由ではないのか? 


第二次世界大戦の反省の上に

表現の自由が保障された憲法や放送法。



報道とは本来、

極論すると、権力と戦うためにあると云っても過言ではない。


『ペンは剣より強し』

その言葉を噛み絞め、記者や編集者たちは

民主主義の啓蒙に勤め、社会正義の旗振りをしてきた。



「政治家や官僚は大事なことはしゃべらないか隠す。

場合によっては嘘をつく。」



つい最近の日記で指摘した財務省の嘘。

その嘘で固めた消費税増税の主張。


これはほんの一例であって、

つつけばいくらでもボロが出るだろう。



報道により、批判される側の権力者のイライラは

分からなくもないが、それは『弾圧』と呼ばれる

社会に対する背信行為である。



それにしても、昨今の報道関係者たちのふがいなさよ。


昔のような格調の高い記事を書ける人がいなくなった。

実に嘆かわしい事である。


その一因に、気骨の無さにある。


報道関係者たちの、権力になびくへっぴり腰な姿勢と不勉強。


人の心を打つ志の気高い姿勢と、

常日頃の知識を得る努力に欠けている。


新聞の衰退は時勢の流れかもしれないが、

奮起の努力の足りない新聞社も多く見受けられる。


テレビに於いては、NHKと民放に大別されるが、

NHKは『公共放送』と『公平性』と云う言葉の呪縛に

雁字搦めにされ、独立性、独自性といった

本来持つべき武器を自ら放棄し、サラリーマン化している。


民放は、

『スポンサーの意向』という呪縛から逃れられない。


現在は広告代理店というボスの言いなりで、

抵抗する術を持たない。

広告代理店は、本当の意味でのスポンサーではないはずだが、

スポンサーたちを束ねる代理人として、

絶大な発言力を有している。


その弊害は中国・韓国報道、とりわけ韓国関連の報道に

顕著にみられる。

彼の国に実質的に支配されてしまった大手広告代理店。

その意向に逆らう番組を編成できない今の民放は、

本当の意味での『旗振り役』を果たせていない。


その証拠に、ネットニュースと

新聞・テレビ・ラジオ報道を比べてみると良い。

ネット上をにぎわす特定の話題は、

マスメディアから完全に無視されている。



自らの存在意義と、自らの価値を

自らつぶしていることに、何も感じないのか?


報道を萎縮させる恫喝に声を上げるのは良いが、

自らも身を正し、律するべきである。




それにしてもチンピラ週刊誌。


あんたら、何をするために生まれてきたの?

広告代理店の支配を受けず、自由に記事を書くのは良いが、

ゲスなゴシップ記事ばかり書かず、

志を持った仕事をなさい。




最近、称賛できる話題を見つけられず、

他人をけなす日記ばかりで

少々嫌気がさしているオヤジが一句。




きな臭い 世相に蓋する 記事増えた?





お粗末。