uparupapapa 日記

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<広島中3自殺>直前に非行歴確認指示、校長推薦の基準変更

2016-03-10 04:43:48 | 日記
広島県府中町立府中緑ケ丘中3年の男子生徒(当時15歳)が

誤った万引き記録に基づく進路指導を受けた後に自殺した問題で、

昨年11月20日に同校が高校入試の校長推薦を出す基準を変更し、

月末までに推薦希望者の非行歴の有無を確認するよう

各担任に求めていたことが9日、分かった。

自殺した生徒の女性担任は、記録の正確性を判断せず、当時の教師、

保護者らにも確認しないまま生徒に直接万引きについて尋ね、

「確認できた」と判断していた。

町教委の幹部は「限られた時間の中で非行歴を確認する形になってしまった。

時間に余裕があれば、当時の教師などに確認することなどもできたと思う」と述べ、

学校側の性急な対応が確認不足を招いた恐れもあるとみている。

同校や町教委によると、

同校は推薦を出す判断基準としてきた非行歴の調査対象を

「3年時のみ」としてきたが、

昨年11月20日に坂元弘校長の判断で「1~3年時」と広げた。

坂元校長は8日の記者会見で

「年度当初から検討を続けてきたが、11月まで結論が出なかった。

入試直前に基準を変えたことは甘い考えだった」と振り返り、

町教委の高杉良知教育長も11月の基準変更について

「行き過ぎた判断だった」と述べた。

同校の担任からの聞き取り調査によると、

生徒への進路指導は計5回行われた。

推薦基準の変更方針は11月に入ってから伝えられ、

担任は16日ごろに進路指導を始めた。

1年時に万引きしたとする誤った記録に基づき、

「万引きがありますね」と聞くと、生徒は「えっ」と返答。

「1年の時だよ」と言うと、生徒は間を置いて「あっ、はい」と答えたとしている。

 
同月26日ごろに2回目の面談をし、

担任が「万引きがあるので(推薦が)難しくなった」と伝えると、

生徒は「万引きのことを言うと家の雰囲気が悪くなる」

と返答したとしている。

こうしたやり取りを通じ、

担任は万引きの事実を確認できたと判断したとみられる。

【石川将来、安高晋】

-毎日新聞 3月9日(水)22時44分配信-







≪広島・中3自殺  誤った指導で自殺相次ぐ ≫

広島県府中町で中学3年の男子生徒が自殺した問題で、

専門家らは学校の誤った指導が生徒を死に追いやるケースが相次いでいると指摘する。


<広島・中3自殺>別生徒の万引き誤って記録 .

「指導死」親の会(東京都)の代表世話人で、

教師の誤った指導で次男が自殺した大貫隆志さん(59)によると、

「指導死」とは、教員らによる不適切な言動や暴力行為といったパワーハラスメントで

子どもが死に追い詰められることを指す。

だが、生徒指導で子どもが自殺に至るほど

心に深い傷を負うことはあまり知られていないという。

教育評論家の武田さち子さんがまとめた統計によると、

教員の指導が原因で児童生徒が自殺したとみられる事案(未遂も含む)は

1989年以降61件で、

うち間違った事実に基づいて生徒を責めるなどした「えん罪型」も10件ある。

札幌市内の道立高校では昨年10月、

3年生の男子生徒が同級生の携帯電話を盗んだとの疑いをかけられ、

教諭に事情を聴かれるうちに失踪して遺体で見つかった。

生徒は「盗んでいない」と同級生にメールをしていたという。

2009年には、福岡市内の中学1年の男子生徒が、

同級生の上履きを隠したとして担任から1時間以上問い詰められるなどし、

悩んで自殺した。

母親には「否定したのに何を言っても信じてもらえない」と話していたという。

大貫さんは「言い分を聞いてもらえず、人格を否定されたり、

長時間責められたりするケースが多い。

今回は『えん罪型』にあてはまる」といい、

府中町教委が設置する第三者委員会には

「情報管理のあり方だけでなく、

進路指導で教師が具体的にどのような対応を取ったか明らかにしてほしい」

と求めている。

【高橋咲子】


-毎日新聞2016年3月8日 23時13分(最終更新 3月9日 01時35分)-






誠に傷ましい事件だ。


進路指導の際の生徒本人の返答が、

担任教師の証言が本当だとするなら、

「万引きのことを言うと家の雰囲気が悪くなる」など、

明確に否定せず且つ、認めたとの誤解を招く返事だったことになる。

何だか極めて不自然な証言で、

事実を歪曲してはいないか疑問が残る。


その事実関係は当事者の一方が亡くなっているので

担任教師の主張に沿うしかないだろう。



そのことについては、それ以上追及するつもりはないが、

私が今回、この日記でこの記事を取り上げた理由は他にある。


推薦制度そのものに潜む問題と、

過去から何度も続く冤罪の招く悲劇が無くならないことだ。



推薦制度は入試による弊害を一部緩和する制度として

機能していることは分かる。


しかしその制度のおかげで、生徒が教師や学校に

自分の素直な意見や主張ができない、若しくはしにくくなっているのも確かだ。

大人の前では、いい子いい子であることを求められる一種の呪縛。

本来中学・高校の時期は、人としての自我を育み、

大人になるための重要な人間形成の過程である。

自由奔放過ぎるのも問題で、一種の抑圧も必要だろう。

でも現在の推薦制度は、人の一生を左右しかねない進路を人質に、

生徒の意見や主張を過度に

『反発に対する、無言の圧殺をする武器』の制度として利用されていないか?

今回の事件は、当該校長の勇み足であり、圧殺ツールの権限強化に使われた悲劇との

非難を浴びても仕方ないだろう。

しかも選考基準の変更もあまりに性急過ぎた。

推薦による選考の期日が迫る中、なぜ強行したのか。

起きてしまってからではどうする事もできないが、

悲劇の引き金になったことは否めず、悔やまれてならない。




もうひとつ私が取り上げたかった問題、

何度も続く冤罪だ。


古い古い昔の話になるが私自身、

小学校の2年生のとき、冤罪の被害者になった経験がある。


学校の敷地内にある物置の屋根に上り、

危険な遊びをしていたとの

同じクラスメートの讒言(ざんげん)による学級裁判でのことだ。



讒言をしたのはクラスの優等生。

私がいくら無実を主張しても、誰からも信じて貰えず

担任も助け船を出してくれるどころか、

一方的に有罪を宣言、私を『クラス内村八分』の刑にした。

私は一か月に及ぶ長期間、学級内で完全ムシされ、

針のむしろだった。

そして最後は「クラスの皆に、嘘をついたことを謝れ」と

謝罪を強制された。




私は黒板の前に立たされ、クラス全員を前にし、

涙をこらえ、こぶしを握り謝罪した。




あの時の屈辱を一生忘れない。



その時から人を信じられなくなったオヤジが一句。




先生は お気に入りだけ いればいい




お粗末。