(写真はテヘランの南のバザール。2007年9月)
記録だけ
2008年度 71冊目
『例えばイランという国』 8人のイランの人々との出会い
奥 圭三著
新風社
2002年12月15日 第1版発行
254ページ 1400円+税
面白かった。
イランを駆け足で回った著者の感想は、総てうなずけるものばかりでもなかった。
又、食事に対する表現はいただけない。
イランの食事はまずく、ぱさぱさのキャバブ、ぱさぱさのナン、ぱさぱさの米・・・といった表現で、食生活が豊かではないような書き方。
確かに家庭料理の方が美味しいであろうし、中途パンパナ店ばかりだと旨いものにはありつけない。
イラン料理は、外食の場合は安いものに旨いものがあるとも言われている。
レストランや小さな食堂、ハンバーガーやでさえもイラン人が食べるみせに旨いもの、或いは日本とは食文化が違ったものもある。
羊の脳みそ、香辛料の効いた溶けそこないのようなヌードル(これがいっぱい60円だが、或意味 やみつきになる)などといった変わったものもある。
ヨーグルトに ニンニク、或いはキュウリの入ったものや、ドゥーグルというヨーグルト炭酸は旨い。
クビデ、肉団子、ディルの効かせたナツメ入りライス団子、チェリーライス、甘くない肉じゃがのつぶしたもの、果物は間違いなく旨い。
シンプルだが焼きたてのナンにゆで卵とチーズとキューりとトマトも、驚くほど旨い。
ケーキや菓子も美味しいので、通い詰めたこともある。
私は、外国に行って日本食は食べたことがない。
テヘランの日本寿司店へ行くような人間ではないので、著者のイランの料理の記述は逆に楽しく、ただただくすくすと笑い転げていた。
辛口ではあるが、私は諸外国に行く際、その国の食文化をけなす人間は、認めることができない。
他にも文化面で意見は食い違った。
確かに西洋の文化を入れない、よって音楽や映画の規制があることは重々承知なのだが、概念だけでとらえると、思わぬ方向に進んでしまう。
シーラーズとテヘランでは、ひとりで映画館に入った。
映画館は広く、皆は前の座席に足をかかげあげて、リラックスして見ていた。
私が見た日本の映画は、いずれも コメディ。
言葉はわからないが、バカほど笑ってしまった。
日本に来ているイラン映画は、彼らイラン人にとっては退屈だそうで、イラン人はほとんど見ないことも付け加えておく。
音楽についても同様。
著者は西洋の音楽を取り入れられないから、イランの音楽は遅れているように書いていた。
しかしながら音楽も好きな私は、何度もCDショップに足を運んだ。
又、店からはいろいろな音楽が流れてくる。
イランロック、イランジャズ、イランピップホップ、イランポップスの日本のものよりもアップテンポで、リズムもイギリスやアメリカの音楽に近い。
おそらくペルシャ語がロックやピップホップがにあうのだろう。
タクシーの運転手が何人もかけていたのは、ロックとピップホップが多かった。
ただしイランロックは、イギリスよりもアメリカよりのものが多い。
運転手はノリノリで田舎なら猛スピードを上げて走る。
従って、著者としては無意識なのだろうが、彼が言うように、音楽に関して、日本の方が・・・という上目視線という態度は疑問を感じる。
日本のように西洋の音楽は入って無くとも、自国(イラン)で工夫している感が強いということを付け加えておく。
記述の中で、シーラーズのタクシードライバーの話は懐かしかった。
あまりにも似た運転手を知っているからだ。
私はこの項目では行為を持って楽しんでいたことを付け加えておく。