2010年度 4
『意味の深みへ 東洋哲学の水位』
井筒 俊彦 著
岩波書店
1985年12月10日 第1版
P.306 2100円(+税)から
五 シーア派イスラーム
ーーーーシーア的殉教教者意識の由来とその演劇性ーーーー
(P.157~P.196)
アーシューラーやタアズィエの意味は難しくてわたしにはわからない。
日本でも専門の先生方が本格的に研究なさっているらしい。
旅行者のわたしはアーシューラーやタアズィエについて全く知らないので思いつくままに記すことにする。
先日TU様から教えていただいた井筒俊彦著の『意味の深みへ 東洋哲学の水位』より【五 シーア派イスラーム ーーーーシーア的殉教教者意識の由来とその演劇性ーーーー】を何度か読むませていただいた。
わたしなりによくわかった。
唐突だが、わたしがイランに初めて行ったのは三年前のことだった。
イラン到着のその日にテヘランの北のバザールに位置するモスクに行き、まず目にしたのは日本人であるわたしとイラン人との宗教観の違いだった。
テヘラン北バザールにあるモスクはイスラム色が強い。
見知らぬ親切なイラン人女性に連れられてモスクの中に入れてもらったまでは良かったが、視線が強い。
突き刺すような視線はだんだん鋭くなり、そのうち見知らぬ親切なはずのイラン人女性はいつの間にかわたしの前から姿を消した。
そしてわたしは散々な目にあった。
これが初めてのイランの第一日目であった。(爆)
イランのモスクは厳戒態勢のものから、チャードルさへつけずに中に入れるものがあるが、北バザールのモスクは前の方である。
中全体がガラス,鏡張りに近い。目映いほどのモスク内に、女,女、女。
ご存知だとは思うが、イスラムでは男女別の世界である。
わたしは女性たちを見て、驚いた。
入り口のドアや壁や中にある墓のような区切られた鏡ばりの部屋の鉄柵や鏡の何処かしこに、それらに口づけしたりおでこや頬をつけたりビンヅル様のように体に触れたりしながら大粒の涙を出して、人に見られようがおかまいなしにおいおいと泣く女性たちを見た。
イスラム教を全く知らないわたしは、初めそれらの泣き叫ぶ女性群を観て驚いた。
初めはまるで芝居のようにも感じた女性が、しばらくすると本当に悲しんでおられるように真剣さが伝わる。
わたしは自分の身の置き場の無い異空間でもある真剣な宗教観をもつ人々の間に紛れ込んでしまったという感が強かった。
昨年十二月の旅行中に観たアーシューラーやタアズィエは以前受けた上のような感覚を大掛かりにしたように感じた。
間違っているかも知れないが、村や人や動物や臭いや色彩や音や闇と光や食べ物や戦死者や花や旗や全てのものが演劇性に満ちた儀式のように感じ、イランにいる間中興奮した。
口では言い表せないくらいに宗教的にパワーのあるものであった。
まさしくわたしは言葉も仕草も筋書きも意味合いも知らないイスラムの舞台空間に放り投げられ感じで、日本人である異教徒のわたしたちは右往左往した。
多くの親切なイラン人に度々助けられたことは、わたしたちにとって幸運であった。
『意味の深みへ 東洋哲学の水位』ではアーシューラーについて、次のように記されていた。
殉教のこの演劇性を、人々は、アーシューラー祝祭において、演劇的にしなおすのです。
この象徴性豊かな宗教行事の示す異様な受難の演劇性こそ、シーア派イスラム文化の、他には全く見られない特徴なのであります。
上は少ないわたしのイラン体験的で納得できる内容だった。今までわたしなりにモスクなどで感じた疑問も解決したと喜んでいる。
今回の旅行中にわたしはアーシューラーやタアズィエを通して様々なものを見たり体験をした。
今わたしは何の宗教色もくったくも無く日本の伝統芸能を楽しむことの出来る幸せをしみじみと味わっている。
最後までイラン一旅行者の読書記録をお読み下さいましてありがとうございました。
『意味の深みへ 東洋哲学の水位』のアーシューラーやタアズィエの載った部分はコピーをして、大切に残しておきたいと思います。
教えて下さいましたTU様、心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
乱鳥