乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑 (三条木屋町 高瀬川橋 東側) (3景)

2012-10-23 | お出かけ




 佐久間象山先生 遭難之碑
 大村益次郎郷  遭難之碑
         北へ約壱丁 

    背景には紫の「時代祭」の旗が風にたなびく…と言うほど、風も無し





 佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑       

        三条木屋町 高瀬川橋 東側
        京都市中京区木屋町通御池上る西側


 「北へ約壱丁」     1丁=約109m


 今回 北へ約壱丁へは行けず トホホ(*^D^*)  m__m



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なぁんか なつかしい京都  (三条大橋近く)   (4景)

2012-10-23 | お出かけ



   なぁんか なつかしい京都 

           三条大橋近く









 なぁんかなつかしい京都
 歩いたら
 ほっとするわぁ~



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高山彦九郎 皇后望拝の像と、色づきはじめたもみじ 京都・三条大橋 (3景)

2012-10-23 | ことのは


    高山彦九郎 皇后望拝の像と、色づきはじめたもみじ





 大御門その方向きて橋の上に 頂根(うなね)突きけむ 真心たふと   

                             橘 曙覧(あけみ)






 江戸時代、ここ三条大橋は東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入口であった。今ここにある銅像は、高山彦九郎正之(1747~1793)の姿を写したものである。高山彦九郎は、群馬県の出身である。18歳の時以来、前後5回、上洛したが、京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した。その姿は
  大御門その方向きて橋の上に
   頂根突きけむ真心たふと

              橘 曙覧
と和歌に詠まれた。
 明治維新を成就した勤皇の志士達は、彦九郎を心の鑑と仰いだといわれる。後、明治の中頃の俚謡、サノサ節には
 人は武士
 気概は高山彦九郎
 京の三条の橋の上
 遙かに皇居をネ伏し拝み
 落つる涙は鴨の水アサノサ
と謡いつがれた。
 



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京都 時代祭〈1〉 「明治維新時代」維新勤王隊列 幕末志士列  2012年(7景)

2012-10-23 | 神社仏閣・祭り




 京都 時代祭 


 明治維新時代

  維新勤王隊列
  幕末志士列
















 10月22日

 有給休暇のこどもと京都で待ち合わせ、京都の時代祭をみてきたよ。

 時代祭は明治維新時代から時代をさかのぼって、最後は延暦時代まで☆

 河原町三条の大安(おつけものやさん)の前で楽しんだので、少し遠いけれど、曲がるようすがみられたよ☆

 全部見ると一時間半か二時間くらいかかったよ。

 とりあえずの七枚

 みなさんに見て頂ければ、嬉しいな(^-^)
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