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節分とは本来、季節を分ける意。
つまり季節が移り変わる節日を指す。
元は 立春・立夏・立秋・立冬の各前日に、節分は設けられていた。
つまり、一年に四回。
日本でも立春は年の始まりとして尊ばれ、次第に春の節分だけをそう呼ぶようになった。
平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を厄払いしていた。
そして室町時代にはいると豆をまいて悪鬼を追い出す行事へと発展。
京都ではこの時期、表鬼門にあたる『吉田神社』と裏鬼門にあたる『壬生寺(みぶでら)』の節分祭がことに有名。
百万遍は当たり前だが、祇園などを歩いていても『吉田神社』の豆まきのポスターが貼られている。
また、『壬生寺(みぶでら)』では毎年壬生狂言が行われ、私などはあのデンデケデンデケの音が今も心に響き、懐かしく感じる。
そういった意味で、節分のころになると心は京都に向かい、幼きころを思い浮かべる。
柳田國男氏は『都市には民俗はない。従って芸能は民俗ではない。』といいきったとのことだが、節分には狂言、祇園祭が来れば夏、顔見せが来れば年の瀬で正月を迎えるといった感覚が身に付いており、これも一種の民俗であると感じるのは私だけか・・・。
だが、宮田登氏をさかのぼり、南方熊楠氏や折口信夫氏や赤松啓介氏などの話によるとこういったものもを語らずして 民族学は語れないとのことなので、胸をなで下ろす事しきりなし。
今日は一月三十一日。
今年も早一ヶ月が過ぎ、明日は二月。
この頃になると豆を買い、太巻きの食材の用意を始める。
不思議なことに一月末日、我が家では毎年のように赤飯を炊く。
これは私が作り出した新しい風習で、赤飯を炊くことにより、良き二月が迎えられると信じてのこと。
そして 今晩赤飯を食べ終え、今ほっこりとした時間を楽しんでいる。
もうすぐ節分。
今年も良い風が我が家の中を流動するだろう・・・、そんな気がする。